エロ

【表現】・「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その2(完結)

ちょっと気になったのが、一連の騒動を通して、
「ジャンプってマチスモでしょ」
と捨て台詞のように一行、だれかがツイートしていたことである。
検索すると「マチスモ」とは、ラテン・アメリカの男性優位主義のことのようだが、この場合は「マッチョイムズ」程度の意味だろう。

こうなってくると「ゆらぎ荘の幽奈さん」は、そもそも男性優位なマンガなのか? というところから議論を始めないといけないが、「だいぶマイルドにした、『おちぶれたマッチョイムズ』」だというのが、70年代後半以降の少年ラブコメや少年エッチマンガである、というのが私の認識だ。

だから、「幽奈さん」に限らず、ハーレムラブコメ作品にまつわる問題というのは、批判者側からすれば、「おちぶれたマッチョイムズを放置するのか、潰すのか」ということになるだろう。

そもそも、ハーレムの設定が「コメディ」として描かれていること自体、マッチョイムズをまともに描くのはアホらしいという含意がある。
こういう傾向が始まったのは、七十年代後半頃から。
「うる星やつら」とか、美少女二人どっちを取るかというあだち充の「みゆき」などが嚆矢となるだろう。
当時は「少年ラブコメ」と言った。もっと正確に言えば「ラブコメ」。少年誌だけで流通していた言葉だからだ。
(少女マンガのラブコメと少年マンガのラブコメはかなり違っていた。)

時代的には、松田優作主演のテレビドラマ「探偵物語」(79~80年)が、コメディ調に描かれていたことと重なる。
もちろん、同時代にも大藪春彦のハードボイルドの映画化や、渡哲也の「大門軍団」みたいな「男らしさ」を持ち上げる傾向は続くのだが、それでも70年代前半とは違ってきていた。

設定としては、多くの場合、主人公は優柔不断、何となく本命の女の子はいるのだが告白できず、そのうちなぜかいろんな美少女が集まってきてしまうというパターンである。
しかし、ときおり不良にからまれたりとか、冬山の山荘に二人きりになったりしたときには男気を見せる。
エロ描写で言えば、サービスショット的なものもときおり入っていたと思う。
(少年エッチマンガを、ラブコメ作品ととらえるかは面倒だがここではとりあえず、別物とする。)

ここにははっきりと「理想の男性像」の変質がある。別に昔っから同じことをやってきたわけではないのだ。

そのあげく、「ラッキースケベ」の導入となった。こうなったら、たとえ合意でも好きなこと手を握ったり、キスしたりすることもむずかしい。
つまり、そこまで「旧来の男像」を骨抜きにしたのが現在の「ハーレムラブコメ」の主人公なのだ。

だから、問題とするならそうしたハーレムものの構造自体を問題にしないといけない。

そもそも、すでに「幽奈さん」は6巻くらいまで単行本が出ている。
しかも、週刊少年ジャンプという超メジャー誌だ。
それが巻頭カラーになって「見つかり」、騒ぎ立てられる。

たまたま子供の買ってきたジャンプを観て、顔をしかめる母親、というのはわかる。
だが、それに寄ってきてわーわー言っている人は、「そういうのの監視員」としても、ぬるすぎる。

むろん私としては、繰り返すが「放置しても何ら問題ない」という考えである。
まあはっきり言って、どうでもいいということだ。
たとえば、「優奈さん」がこの騒動で打ち切りになったら、世の中変わるのだろうか?
まず変わらないだろう。

少年マンガ界が今まで無法地帯で何もやってこなかったのならともかく、時代の流れで、主人公の少年のキャラ設定まで「ヘタレ」になっているのに、それでもまだ批判する意味がわからない。
まあ、ジャンプも客商売だからクレームが来れば考慮はするだろう。

だがそれにしても、どうでもいい話だ。
フェミニズム的な課題にしぼったとしても、他に考えるべきことはたくさんあるはずだ。

(関連)
「ゆらぎ荘の幽奈さん」巻頭カラー問題

「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その1

|

【表現】・「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その1

「ラッキースケベ」の語源については、いろいろあるのかもしれないがとりあえず、ネットで検索していちばん最初に出てくるのは「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」(2004~2005年)の作中に出て来たという話。
その後、「少年主人公の側から、絶対にエッチなことを仕掛けないようにしよう」と、原作者とマンガ家のあいだで決めたという「To LOVEる -とらぶる-」が2006~2009年まで週刊少年ジャンプで連載されている。
(この「取り決め」に関しては、単行本の1巻に書いてあったと記憶するが、今手元にない。すいません。)

ネットを観ると「To LOVEる -とらぶる-」が、少年誌エッチの限界を超えた、みたいな意見が多く誤解されがちだが、連載当初に、「少年主人公の側から、絶対にエッチなことを仕掛けないようにしよう」と決めた、というのはすなわち、
「ラッキースケベなシチュエーションしか登場しない」
ということである。

ではなぜ「ラッキースケベ」なシチュエーションが多様されるようになったかと言えば、現場でどういう話し合いがあったか知らないが、普通に考えて「少年主人公からのセクハラ的な行動を描かない、要するにセクハラを描かない」ということが目的だとしか、考えられない。
(80年代には、「少年主人公やその仲間たちが、女子更衣室や女風呂を覗く、などの明確にセクハラなシチュエーションが定番化していた。)

くわしく調べていないが、2004年に「用語」として「ラッキースケベ」が登場しているということは、シチュエーション自体はそれより前からあったと考えられる。
また、こちらも調べていないので申し訳ないが、「女性の乳首を描かない」というのも自主規制としてずいぶん前から行われてきた。
これも立派な自主規制である。

もちろん「時代は変わったのだから、もっと厳しくすべき」という意見もあるだろうが、個人的にはピンと来ない。
少年マンガなんだから、戦いや恋愛や、多少の(ここが反対派にとっては問題なのだろうが)エッチシーンが出るのは普通だとしか思えない。

なお、「エロではなくハラスメントだからいけないのだ」という意見に関しては、風でスカートがめくれるとか、雨でブラウスが透けてしまうとか、水着が吹き飛ばされてしまうとかいったシチュエーションに、「ハラスメントする側」がないので、成立しづらいと思う。
「作者がハラスメントをする側だ」という意見もあるだろうが、それでもマンガ作品内で行われる非・道徳的行為(暴力や殺人、ほかの違法行為)よりも率先して規制されるべきという理由が見当たらない。

そもそもが「ラッキースケベ」自体が妥協の産物なのだから、それに反対するなら、「もう時代が変わったんだからそれすらも許されない」というロジックがなければならない。

では「ラッキースケベ」に到達する前は少年マンガはどうだったのか、ということについて、気力があれば次回、説明する。

続く。

|

【問題】・「ゆらぎ荘の幽奈さん巻頭カラー問題」

少年ジャンプマンガの「ゆらぎ荘の幽奈さん」セクハラ騒動、個人的にはこのツイートがいちばんしっくりきますね。

(引用開始)
話がズレてしまいましたが、PC的なもの、あるいは合意に基づく性という性教育は学校教育、メインストリームがきっちり担うべきもので、少年ジャンプをはじめとする資本主義の中のサブカルチャーのすべてが「正しい」ものである必要はないと思います。それらはカオスの海に浮かんでいるべき微生物です
(引用終わり)

ただし、「18禁以外の娯楽作品」って、常に「こんなに面白いんだからメジャーであるべき」という「気持ち」にもオタクはさらされてきたので、そこで矛盾が生じ、繰り返し問題になるというところはあるでしょう。
多くのオタクは、「シン・ゴジラ」や「君の名は」が大ヒットしたことを、嬉しく思ったでしょう。それらの作品は「微生物か?」という問題が常にある。
立派なメジャー作品なんだから、影響力も強い、だからちゃんとしてほしい、という意見も一方であると思うんです。

だから、全年齢向けの作品については、最初から18禁の作品に難色を示すのとは、ちょっと違うんですよね。
海女さんのゆるキャラとかのときもそうでしたが。

にしても、私個人は今回、「何の問題もない」と思っている派です。
意見の違う人にはきらわれてしまうかもしれないけど、「問題がないから問題がない」と言っているのではなく、「何か多少道徳上、問題があったとしてもことさら問題にする必要はない」という見解です。

それは、たいていの性的な表現以外でも同じです。
「だから何!?」としか思えません。
「進撃の巨人」で言えば、人間が壁をつくったら、もっと大きな巨人が来たみたいな。
「進撃の巨人の壁」にたとえたのは、「ゆらぎ荘の幽奈さん」自体が、ここ半世紀の少年マンガにおける自主規制の産物だからです。

道徳的・倫理的な問題なら、「ありのままの私を認めてくれるだれか」を求める少女マンガ、「生き残るためなら何をやってもいい」とするデス・ゲームものなどの方が、よほど悪いと思います。

そもそも「ラッキースケベ」というのは「少年主人公によるセクハラの回避」という自主規制上の要請からできたもののはずで、「ラッキースケベがセクハラである」というのは、自主規制したらまたワンランク、厳しくしてきたな、という見解しか持てません。
(「ラッキースケベ」問題については、やる気が残っていれば後述します。)

それと、性表現を規制したい人々というのはほとんどそれだけをグイグイ押してくる人が多いので錯覚しがちですけど、
やっていることは昔の「年金党」とか「減税日本」みたいな、ワン・イシューで押してくるのと同じ。
だから「他に重要なことがあるのでは?」と返すと「論点をずらしてる」みたいな感じになりますが、本当、繰り返しますが「他に重要なことがあるのでは?」と思います。
あるいは、性表現反対について、マルチ・イシューのひとつとして「ハラスメントだからダメなんだ」と、「人権」全般で押してくる人もいますけど、イメージの世界なんでね。絵だし。人権そのものがおかされているわけではない。
だったら電通の自殺した女性のことをもっと考えるべきです。

運動論的には、表現規制は成果を得やすい、ということが確実にあると思いますね(最初に抗議めいた発言をしたのは、運動に参加していない人かもしれませんが、あっという間に賛成反対両陣営、集まってきた印象です)。
いつまで経っても成果の出ない運動を続けることは、キツいですから、潜在意識として「潰しやすいところから手を付けている」ということは、あるかもしれないと思っています。。
CMなんかあっという間に中止になりますから、さぞかし抗議のしがいがあると思います。

繰り返し書きますが、とにかく今回「え!? 少年誌でここまで!?」というわけでもないし、抗議が来ないかと言えばまあ不快に思う人もいるだろうし、という日常レベルの話で、議論としてまったく面白くなかったです。

なお、「ウチの子供には読ませたくないから読ませない」というのは、別にその人の勝手で、いいんじゃないかと思います。

続く。

|

【書籍】・「グラビアアイドル『幻想』論 その栄光と衰退の歴史」 織田祐二(2011、双葉新書)

[amazon]
ヒトから聞いた話だが、あまりの出版不況に驚いてしまった。

不況というよりも、電子書籍やスマホの出現によって、以前から「ネットに食われるのでは」とささやかれてきたこと、つまり「本が売れない」という現象が現実のものになってきたということだろう(むちゃくちゃ本を買っている私は、出版界の実情には疎いのです)。

このため、出版物発信のムーヴメントというのも起こりづらくなってきた気がする。グラビアアイドルもまた、「本が売れない」ということの影響を受けた一ジャンルと言わざるを得ない。

つまり、本書のサブタイトルどおり「栄光」の後の「衰退」の時期か。

本書は、「グラビアアイドル」の歴史を六十年代後半くらいから、本書が刊行された2011年までの歴史を追ったものである。

続きを読む "【書籍】・「グラビアアイドル『幻想』論 その栄光と衰退の歴史」 織田祐二(2011、双葉新書)"

|

【テレビアニメ】・「ルパン三世 第二シリーズ 第108話 1979年11月5日 『哀しみの斬鉄剣』」

・その1
ルパン、次元、五右衛門の三人は僻地の温泉で慰安旅行としゃれこんでいる。

ルパンが混浴温泉、次元が草原の中でクラシックを聴きながらバーボンを楽しむ間、五右衛門だけは剣の修行に余念がない。

そこにかわいい女子高生がやってくる。「時代劇の主人公みたい」と五右衛門を笑うその少女は、刀鍛冶の祖父の「斬鉄剣以上の刀をつくりたい」という悲願のために五右衛門の斬鉄剣の秘密を狙っていた。

私にとっては、2016年から観ると、問題作。

続きを読む "【テレビアニメ】・「ルパン三世 第二シリーズ 第108話 1979年11月5日 『哀しみの斬鉄剣』」"

|

【AV】・「(個人的激怒)業界まかせの一般人」

先日、NPO法人「ヒューマンライツ・ナウ」が発表した「アダルトビデオ強制出演」についての報告書なるものが出て、それに対してAV女優からは反発の声も出ている。
なんとなくそれらの記事を眺めていたら、あるコメントで、
「AV業界は社会貢献が足りない。偏った性のファンタジーをばらまいておいて、責任を取らないのはおかしいので、学校教育が後手に回っている性教育などをすべき」
という意見があった。
私の個人的な感想は、「えー、ふざけんなよ、じゃあおまえが率先してやれよ」
である。

続きを読む "【AV】・「(個人的激怒)業界まかせの一般人」"

|

スタンス

私のフェミニズムに対するスタンスは、自分の親やきょうだいや、親しい女性の友人が悲しむのは観たくないから、ある程度までは真剣に考える。
もちろん、今はまだまだ男性中心主義的な社会である。そしてある程度近代化された国々の女性たちにも、抑圧された数千年の怨念がある、と私は思っているから、たとえば男女が完全にフィフティフィフティな状態であっても、過去からの蓄積を考えると女性の方がワリを食っている、と考えている。

ただし、ものには言いようというものがあり、私にも非・論理的な感情の臨界点というものがあって、
「そんなに攻撃的になるなら、こちらは理解の努力もしないし協力もしない」
と言いたくなるときもある。

というわけで、「いつかは出るだろう」とは思ってはいたものの、ある女性ライター(ライターでいいのか? けっこうキャリアのある人)の「テレクラキャノンボール2013」批判には、本当にがっかりしてしまった。

続きを読む "スタンス"

|

【書籍】・「ぼくたちの80年代 美少女マンガ創世記」 おおこしたかのぶ(2014、徳間書店)

[amazon]
主に80年代に活躍、次代を担ったマンガ家に、当時や現在についてインタビューした本。
登場するのは、「少年誌のエロ路線」を描いていたえびはら武司、遠山光など、当時勃興した「ロリコン・美少女マンガ誌」に描いた、河本ひろし、山本直樹など、そのちょっと前の世代であるダーティー松本、サブカル・アングラ系では山野一など、非常に多岐に渡っている。
もともとエロ雑誌の中の活字ページの連載だったらしく、エロ目当てで雑誌を買った者にとっては、息ぬき的な、どちらかというと軽い内容になっている。それでも、「広義のエロマンガ」が破竹の勢いだった80年代、そしてひとつのターニングポイントになった「連続幼女誘拐殺人事件」を経てどう変わったかが各作家に質問されており、時代の空気が真空パックされた内容になっている。

私は、私の青春時代だったというだけで80年代を愛でているが、同時に「オタク黎明期」としての80年代の流れをおさえておくことは、オタク史のうえでも重要なのだとうったえ続けてきた。
まあ「重要かどうか」ということを言い出したら90年代も00年代も同じように重要なのだが、やはり「草創期」としての80年代はとても大切なのである。
というわけで、本書は80年代という時代を体感したい人には、必読の書といえる。

で、ここから先は、本書とは直接関係ない話である。

続きを読む "【書籍】・「ぼくたちの80年代 美少女マンガ創世記」 おおこしたかのぶ(2014、徳間書店)"

|

【AV】・「SODの応援歌とか知らん!! なんだこれは!!」

個人的な話だが、私は滅多にAVを観ない。
それは中高生くらいからそうで、理由はいろいろある(エロマンガは読んでいた)のだが、ここでは省く。
ネット時代になり、セルDVDになってから、私にとってはAVは観やすい環境になった。通販で買えるし、中古も安く出回っている。もっとも、そう思っているのは少数で、なんかみんな違法なやり方でタダで観てんでしょ?
実にけしからん。タダでAV観ている人はもっと業界にお金を落とすようにしないとダメだ。

前置きはこのくらいにして、SODというメーカーのDVDを買った。7月発売のものだった。
これが再生してみてビックリ、まったく聞きたくもない「SOD応援歌」なるものが流れ出した。
しかも、他の再生機では知らないが、ウチのものではスキップできないんだよ。
4~5分、えんえんとこれが流される。
ただ、黙って観ている(聞いている)しかない。
ネットで調べたら、7月の全タイトルにこの「応援歌」を入れたという。
気が狂っているとしか思えない。

続きを読む "【AV】・「SODの応援歌とか知らん!! なんだこれは!!」"

|

【書籍】・「私も女優にしてください」 バクシーシ山下・編(1997、太田出版)

[amazon]
担当編集者が、AVの企画モデル二十数人にインタビュー、その後、AV監督・バクシーシ山下が編集者とその娘たちについて対談した本。
これは個人的には衝撃的な本。なにしろ、登場する99パーセントの女性が顔もおっぱいを出して全身像で映っている。アンケートで彼女たちの仕事への意気込みや趣味趣向が書かれてあるが、後はムチャクチャ言われ放題。女性たちの名前はすべて仮名だが、それにしたって、ネットの発達した現在、こんな本は出せないだろう。

続きを読む "【書籍】・「私も女優にしてください」 バクシーシ山下・編(1997、太田出版)"

|

より以前の記事一覧