アイドル

アイドル談義

ツイッターで、複数の人から同じブログのある文章がリツイートされてきた。

リツイートというのも、なかなか面倒くさい。だれがリツイートしてきたかで、文脈が変わってしまうからだ。
「ぜひ広めたい!」なのか、「しょうがねえなあ、こういうの」という苦笑まじりのリツイートなのか、それとも否定的なものなのか(否定の場合はさすがに、コメントするだろうが)。
そのリツイートしてくる人の背景がわからないと、わかりづらかったりするのである。

で、そのブログは、とある上り調子のアイドル(っていうか乃木坂46)のヲタが、「乃木坂こそ最高!」とのぼせあがっていてウザいということであった。
そのブログの文章は、「他のアイドルを観てないからそんなこと言えるんだろ」ということが趣旨で、そのこと自体は間違ってはいない。

確かに、過去にも「このアイドルグループは、過去のアイドルグループとは違うんだ!」と強く主張されるグループがあった。
AKBだって「前田敦子はキリストを越えた」という発狂した本が書かれているのである。
Perfumeやももクロ、ベビーメタルなども、熱狂的なヲタから「それまでのアイドルとは違う」と言われてきた。

アイドルに対してファンが熱狂的になるのはめずらしいことではないが、果たして自分が推すグループが、アイドル史の中で本当に「特異な」グループなのかは、アイドル史および同時代の他のアイドルグループを知らないと判断のしようがない。

しかし、やはり熱狂してしまうと「ウチこそ最高!」となってしまうようである。
まあそんな文章だった。

それにしても、その文章を読んで気分が悪くなった。それは、最初は「乃木ヲタ」を事例にした「熱狂的なアイドルヲタ」についての批判だったのに、途中から乃木坂46そのものに対する批判になっていたことだ。
いわく「やる気がない、ダンスがへた」、「東京女子流の方がずっとがんばってる」など。

確かに、他のアイドルを知らないと自分の好きなアイドルとの比較ができないのは確かだが、歌やダンス、寸劇でもいい、何らかのパフォーマンスが一級品でも、それとそのアイドルグループが「すばらしい」ものかは、ぜんぜん別の話である。

かつて秋元康(とそのグループ)は、「おニャン子クラブ」という、目に見えて「やる気のない」アイドルグループをつくった。秋元康のプロデュースは、もちろん全部が全部ではないが実は「やる気と魅力は関係ない」ということを裏テーマにしているものも多い。
芸能に関してまったくのシロウトの女子大生だったり、番組スタッフだったりを引っ張り出してきて「歌手」にしたてあげたりしたことがそうである。

というか、そもそも「とんねるず」自体が別にプロの歌手でも何でもなかったわけだし。

時は移り、(秋元康とは直接の関係はないが)「モーニング娘。」以降、アイドルは突出して「努力」が全面に出るようになった。そしてそれをファンも受け止めるようになった。
80年代は、「ラクして儲けたいなあ」みたいな雰囲気が日本全体にあったが、不景気な90年代以降は「努力しているイメージ」は不可欠だったと思われる。

AKB発足から売れ始めるまではどうだったか知らないが、「総選挙」が行われるようになった2009年にはもう「努力」の要素は出てきていただろう(AKB発足は2005年12月)。

しかし、当然だが、努力したからって成功するわけではない。
「やる気がない」と言ったって、明確に、たとえば観客の見えるところでサボっていただとか、そういうことでもなければ「やる気がないかどうか」など、観客がわかるわけがない。
むろん、「やる気がないように見えた」と書くことはできる。しかし、それでもやはり努力と人気とはイコールではないのだ。

リツイートされてきたブログでは、アイドルたちが「アーティストになりたい」と言ったことに対し、「努力がともなっていない」と説教じみたことを書いていたが、アイドルが憧れる「アーティスト」でさえ、バックダンサーの方がよほどダンスがうまかったりするのである。
また、「アーティスト」の定義も定かではないが、小室哲哉が「アーティスト」という言葉を使って、当時「アイドル」イメージを「古いもの」とした経緯も忘れてはならないだろう。

とにかくそのリツイートされてきた文章のレベルが低すぎて、本当にやる気をなくした。
一日経っても気分が悪いので、こうして長文を書いた。

疲れたので、終わる。

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【書籍】・「グラビアアイドル『幻想』論 その栄光と衰退の歴史」 織田祐二(2011、双葉新書)

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ヒトから聞いた話だが、あまりの出版不況に驚いてしまった。

不況というよりも、電子書籍やスマホの出現によって、以前から「ネットに食われるのでは」とささやかれてきたこと、つまり「本が売れない」という現象が現実のものになってきたということだろう(むちゃくちゃ本を買っている私は、出版界の実情には疎いのです)。

このため、出版物発信のムーヴメントというのも起こりづらくなってきた気がする。グラビアアイドルもまた、「本が売れない」ということの影響を受けた一ジャンルと言わざるを得ない。

つまり、本書のサブタイトルどおり「栄光」の後の「衰退」の時期か。

本書は、「グラビアアイドル」の歴史を六十年代後半くらいから、本書が刊行された2011年までの歴史を追ったものである。

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【雑記】・「で、秋元康自身は女性差別者なのだろうか?」

<HKT48>「女性蔑視の歌詞だ」新曲に批判
「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が女性蔑視ととらえられるのは当然だ。

だが一方で、それの替え歌をつくるのはダサい。

「替え歌がださいかださくないか」は運動論の問題だから深追いはしないが(シールズの「ラップ」もまだ聞いてない)、サブカル的に面白いのは実は秋元の何百曲もの作品の中から「女性賛歌」の歌を探し出すことだ。

もっとまじめにやるなら、秋元の思想史をたどることだ。どうせ反対派はそんなこと、絶対やらないだろう。

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【雑記】・「おニャン子はモラルを破壊したか」

(引用開始)
×××@xxxxx ・ 4月6日
アイドルちゃんにきわどい歌歌わせるのは山口百恵のアイドル歌謡時代に確立されて、おにゃん子でモラル破壊に繋がったんだな。
(引用終わり)

なんだか眠れないので、たまたま目にしたこのツイートについて思ったことを書いてみる(注:別に、このツイートに対する批判ではありません)。

「若い子がきわどい歌を歌う」というのは、パッと思いつくと「藤圭子の夢は夜ひらく」が1970年で、藤圭子は20歳。山口百恵デビューのわずか三年前ということにまず驚く。

確かに山口百恵は十代からきわどい歌詞で歌っていたので、成人していた藤圭子と比べて大きな対比となるか微妙だが、「若い」、「薄幸」、「きわどい」ということで言えば、やはり一時期の山口百恵の楽曲と藤圭子のそれには共通点が否定できない。

そして、藤圭子の方が山口百恵より早い、ということになると思う。

藤圭子よりも前がいるかもしれない、というかいると思うが勉強不足で、知らない。

ただし、山口百恵は「アイドル」という枠内で、きわどい曲を歌った嚆矢とは言えるだろう。

さて、山口百恵の、たとえば「ひと夏の経験」みたいな歌が、おニャン子の「セーラー服を脱がさないで」に直接つながっているか? というと、これも私には断言はできない。

というか、そもそも、おニャン子の歌っていたことが「モラル崩壊」と言えるかどうかという疑問が残る。

70~80年代アイドルは、むちゃくちゃ大雑把に言うと、非処女よりも処女に価値を置く「処女信仰」で成り立っている。

山口百恵~中森明菜の路線はちょっと違うが、歌っている歌と本人たちのキャラは別だった。だからこそ、百恵・友和カップルは一般庶民にとって一種の「理想」だった、という、百恵が歌っていた歌との矛盾が出てくるのだが、それはまた別の話。

で、「処女が最も価値が高い」というのはどういうことかというと、原理的には生涯に一度しか男性と付き合えない。処女でなくなったら神通力を失う、ということ。

だから「別に処女でなくてもいい」というのは、少女側からすると「解放」である一面が確実にある。実際の性行為の有無だけでなく、あらゆる「処女っぽさ」を守らなければならない行動から解放されるからだ。

おニャン子の一連のぶっちゃけた歌は、こうした「別に処女じゃなくてもいい、むしろ処女じゃない方が身軽」という「解放」面に重点が置かれたものだった。

それに対し、山口百恵が十代の頃の歌というのは、その全段階というか、もっとジメッとしている。

おニャン子の歌が、山口百恵の歌に対し、「何をジメッとしてんだよ! もうそういう時代じゃないんだよ」という意味で歌われたという文脈であれば、山口百恵の(一時期の)歌とおニャン子の路線は、つながっていると、いちおう言える。

ちなみに、アイドル楽曲には「一見清純な歌なのに、エッチな隠喩とも受け取れる」という技法もあるので、

「アイドル楽曲がだんだんとモラルを失っていった」みたいな流れにはならないと思う。

一例として、河合奈保子の「大きな森の小さなお家」をあげておく。

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【ただ、おれの好きな顔シリーズ】・「永尾まりや」

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新田五郎がエロいと思っている顔ベストテンに入る、永尾まりや(AKBやめたらしい)。

この人の精神性とか、パフォーマンス能力とか、ほとんど知らない。ただ、顔がどエロ(おれの中では)。

でもこの人のグラビアとか観ると、普通なのである。
それはなぜかといえば、グラビアアイドルが、AKBの子たちに比べて、もはやマンガやアニメのような体形をしているからだろう。

ところで、アイドルが「普通の男女交際経験以外で、恋愛感情をアピールする、あるいは微エロな部分を出す」発言というのが、常に四苦八苦しながら考えられている。

たとえばかつて南野陽子は、「理想のタイプ」を聞かれて、だれだったか忘れたがアイドル当時六十代、七十代くらいの大御所俳優の名前をあげていた。ジャニーズとかだとファンが傷つくけど、おじいちゃんなら大丈夫というわけだ。

他にもだれが言ったか忘れたが「いまだにお父さんと一緒にお風呂に入っている発言」というのもある。この発言は、発言者のカマトトぶりと同時に、なんだかエロい気分にもさせてもらえるので本当かうそかは知らないが用いる人が少なくない。

で、この延長線上にあるのが、永尾まりやの「実家に帰るとおとうさんにリンパマッサージしてもらっている」発言である。

なんじゃそりゃ! こわいよ。

ちなみに、この発言を聞いたとき、茂木忍が「父親の前にショーパンで出るのもいやだ」と言っていたが、こちらの方がリアリティがあり、こちらはこちらでなんだか生々しくていやらしいな、と思った次第。

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【アイドルソング】・「赤いスイートピーは地雷女の話か?」

ツイッターを眺めていたら、「松田聖子の『赤いスイートピーの歌詞は、男を振り回す地雷女を描いている」という書き込みがあり、「んんっ?」となった。
百歩譲って「そうとも読めるよね」という話なら、まあ……一種の「解釈遊び」なので引きさがってもいいが、もしも「本当に地雷女を描いている」と主張したいのなら、それは間違っている。

それは80年代アイドル歌謡の定番を無視した発言だ。

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【雑記】・「昨今のアイドル事情についての私的見解」

いわゆるライブアイドル、地下アイドルブームになってから、まったく足が遠のいてしまった。
また、アイドルについてネット上に書くことも少なくなった。
それやこれやについて、漠然と書く。

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【映画】・「悲しみの忘れ方 DOCUMENTARY of 乃木坂46」

公式ページ
「AKB48の公式ライバル」として2011年に発足した「乃木坂46」の主要メンバーを追ったドキュメンタリー映画。

長いよ!

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【雑記】・「矢口真里騒動について考える」

矢口真里の「ミヤネ屋」での会見を見逃してしまった。
それにしても、これほど視聴者を残酷だと思ったことはない。

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【アイドル】・「私の80年代アイドルかくづけ」

80年代女性アイドル格付(はてな匿名ダイアリー)
リンク先のテキストが面白かったので、自分も私見を書きます(あくまで私見)。

そもそも、80年代は前半と後半に分けなければならない。
前半は、70年代的な湿っぽさを離れた「ポップさ」が、本当に時代のメインストリートになるのか、及び腰なところがあった。
それが、アイドルで言えば82年組を経て、84年くらいを境に「商法」として確立され、80年代後半には送り手が自信満々になっていく。
だから、私の基準で言えば、「松田聖子」と「浅香唯」は、比較にならない。デビュー時期(浅香唯の場合はブレイク時期を基準とする)に間が空きすぎているからだ(聖子が80年デビューで、浅香唯がスケバン刑事でブレイクしたのは86~87年である。6年も差がある)。
だが、ベスト10にしないと盛り上がらないので、私もベストを考えることにする。

第1位 松田聖子
はてな匿名ダイアリーでは「徹頭徹尾能天気」、そして「絶対正義」、「日本が初めて獲得した先進国アイドル」となっていて、私もあまりにも聖子の輝きがまぶしいので忘れていたのだが、「聖子的な明るいアイドル」ということで言えば、70年代にすでに榊原郁恵、倉田まり子などがデビューしている。もっと前にさかのぼると、天地真理がいる。
そもそも「女性アイドル」というのは、「子役」でも「大人の女」でもない「少女」を全面に押し出して形成されたものだ。それ以前の女性の歌手といえばピンキーとキラーズとか山本リンダとか夏木マリとかが代表的で、少女でも「大人の女」イメージで売るケースも多かった。
だから、聖子の「能天気さ」を、生い立ちに還元するのは実は正しいとは言えない(ずっと前、小倉千加子が百恵や明奈との比較で「聖子の親は公務員、中産階級」と言ったことが元になっているのか?)。
榊原郁恵と聖子の「明るさ、ポップさ」以外の違いはと言えば、歌唱力くらいしかないわけで、聖子のスターっぷりは案外、そこら辺に単純に求められるのかもしれない、と個人的には思っている。

第2位 中森明菜

簡単に言えば「魔女っ子メグちゃん(松田聖子)」に対するライバルの「ノン」的役割、その席を獲得していたということだろう。
リアルタイムでは、百恵との比較がよくなされていた。70年代的なウェットさを好む人々には、百恵よりもどこか明奈は物足りない、といった感じがあったらしいが、その理由は、「貧困でも強く生きる」という「男一匹ガキ大将」から、なんとなく面白いことがないからダラダラヤンキーをやっている「ビーバップハイスクール」への変化と言えばわかりやすいか。
なお、顔は童顔で、それが案外メジャーになれた理由ではないかという気もする。
ラブコメマンガ「気まぐれオレンジロード」の「鮎川まどか」は明菜がモデルであることから考えても。

第3位 小泉今日子

デビュー当初から順風満帆のアイドルだったが、ある時期までは他の82年組(堀ちえみ、石川秀美、早見優など)とそう変わらない印象だった。
しかし85年の「なんてったってアイドル」以降、サブカル文化人御用達的な、そして「キョンキョンなら本音を言ってくれそう」といったイメージが定着する。「見逃してくれよ!」はそうしたイメージを代表する曲だが、1990年頃の作品で、もう90年代に入ってしまっている。
「本音を言ってくれそう」と言っても、あくまで「アイドルのイメージ内で」ということだが、それでも当時はかなり画期的なことだった。
なんにしても、キョンキョンを評するときには「なんてったってアイドル」以前以後で分けるべきだろう。

第4位 薬師丸ひろ子

「角川映画の専属女優」というイメージが強いが、アイドル歌手としても歌がうまく、ヒット曲も出した。
「はてな匿名ダイアリー」では、「アイドル的な先駆者はおらず、むしろNHKの少年ドラマシリーズのようなジュブナイル的なものの延長」と書かれているが、何も裏をとっていないが角川春樹が目指したのは60年代かもっと前の、きれいだけどぜったいヌードにならない女優をイメージしていたのではないだろうか。「緋牡丹博徒」の富司純子のような。
薬師丸ひろ子について書かなければならないのは、「映画女優」のイメージを保持して、「隣りのみよちゃん(死語)」的イメージから、まだ「ちょっと手の届かない存在」にとどめた、ということに尽きる。
だからアイドル女優時代の薬師丸ひろ子の人気はハタから観ると「カリスマ的」な印象が合った。
なお「はてな匿名ダイアリー」では「理系イメージ」とも書かれているが、それは沢口靖子がそういう役をやっているのと同じ感覚か? だとすると、「アイドル的な透明感」が年齢を経て「どこか浮世離れした感じ」にシフトしたということで、アイドル時代メインの話とはちょっと違う。

第5位 菊池桃子

「おっとり清楚系」のトップとして、80年代中盤以降のアイドルをけん引した存在(と、個人的には思っている)。
私より少し下の世代が、「かわいい女の子」としてイメージするのは80年代中盤以降は、もろに彼女だった(ちょっと前の前田敦子みたいなもんである)。
「はてな匿名ダイアリー」では、「『桃子』と言う名前が新生児の命名の上位を占めることがあった」とされ、事実そうなのだろうが、同時にエロマンガに出て来る少女たちの名前がやたらと「桃子」であったことも忘れてはならない。
発言にもまったく危なげがなく、「大人へのステップ」的なセクシー路線に移ることもなく、なんとなく現在に至る、といったたたずまいはアイドルのトップの座にふさわしい。
なお、今さら彼女をヴォーカルにした謎のバンド「ラ・ムー」の話をするのは野暮のきわみだと思うが、ちょうどレコードからCDへの移行期でもあり、デビュー曲は意外と入手しづらいことはひと言申し添えておく。
個人的にはその後の「TOKYO野蛮人」が好きでした。
なお「トレンディ女優でアイドル時代よりも大成功」って、ホントなの?

第6位 岡田有希子

「おっとり清楚系」として、菊池桃子最大のライバルとして立ちふさがったのが岡田有希子であった。
今でこそ「突然の自殺」という最後から帰納法的に彼女の半生は評されることが多いが、当然、当時の彼女の繊細さがテレビ画面を通して伝わってくることはなかった。
「さすがに芸能界に入っているのだから、最低限の開き直りはあるのだろう」とみんな、思っていたはずである。
歌もそこそこうまく、テレビ的にも彼女が現在のAKBのようにことさらにおふざけする必要もなく、正統派アイドルと評されることになんら遜色はなかった。
なお、隠れ巨乳としても有名であった。

第7位 河合奈保子

「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」がデビューのきっかけなのは有名。歌手としては80年デビューで、松田聖子の同期にあたる。
聖子の活躍は確かにものすごいものだったが、河合奈保子は路線が微妙に違っていたため比較されることはなかった。
というより、ざっくり言えば天地真理、榊原郁恵などのぽっちゃり系アイドルの直系とも言える。
「ファンのイメージを損なうようなことはしていない」という点では(極端な低迷期がない、ということも含めて)ほぼ完ぺきと言えるアイドルであった。
「はてな匿名ダイアリー」では「オタクアイドル的な扱われ方であった。」とあるが、世代の差もあるのかもしれないがリアルタイムで私にそのような印象はない。
そもそも、彼女がもっとも活躍した80年代前半には「オタク」という概念も曖昧だったし、その巨乳に対するフェティッシュなイメージもあまり聞いたことがない。
なお「はてな匿名ダイアリー」では「けんかをやめて」以降の路線変更がうまく行かずいったんフェイドアウトしている、と書いてあるが、その後の7、8曲までは私は記憶しているし、通産18枚目の「唇のプライバシー」もベストテンに入っているから、「けんかをやめて」以降の路線変更はいちおう成功したとみるべきではないだろうか?
「あしたのナオコちゃん」という4コママンガにもなっている。

第8位 松本伊代

「はてな匿名ダイアリー」ではベストテンに入っていなかったが、やはり入れるべきだと思う。
キョンキョンが「会議室でお弁当食べてもいーじゃん!!」とポップに「ホンネ」を打ち出したのに対し、伊代ちゃんはどこか「裏」的な「ホンネ」感があった。
実際にはないが、「ファンの人って気持ち悪いですよねー」とニコニコしながら言ってしまいそうな、でもそんなことしないだろうな、という安心感を持っていた。
だからこそ、伊代ちゃんの「本を出したんですって?」「はい、まだ読んでいませんけど(笑)」と言ったという都市伝説がまかり通るのだし、ナンシー関が喝破したように「なぜかバラエティの伊代ちゃんはぞんざいに扱われている」という状況が出現したのだ。
だが、それが彼女のアイドルとしての「親しみやすさ」、タレントとしての息の長さにつながっているのでる。
マンガ家の島本和彦が大ファンだったことでも有名。

第9位 斉藤由貴

第三回ミスマガジン。野村誠一の独特のソフトフォーカスのかかったアイドル的フォトが強烈にイメージに残っている。
デビュー当時からCM(「青春という名のラーメン」だったっけ?)を見ても私が「これは売れる!!」と確信したかわいさで、独特のイモっぽさに愛嬌があったし、そこがある程度、女性ファンも獲得できた理由なのだろう。
初代「スケバン刑事」のダイコンぶりも忘れられないが、それも愛嬌としてかたづけられてしまいそうな雰囲気があった。

第10位 南野陽子

楽曲に関し、「順位は高くまで行くが落ちるのが早い」というのはそのとおりだと思う。
その理由は、こういってはナンだが歌唱に面白みがないこと。
ドラマ「スケバン刑事」でブレイクしたのは事実だろうが、あのドラマがあまりにむちゃくちゃだったため、歌手としての活動にはあまり影響はなかった気もする。
検索すると「ミスマガジン」ではないようだが、講談社のミスマガジンがよく出ていたアイドル雑誌にひんぱんに出ていて、イメージは「ミスマガジン」に近い。
どんなイメージかというと、「徹底的に男好きのする美少女」という感じで、実際はそうでもないんだが写真の撮り方とかが、そうだったんですよ。
野村誠一撮影のグラビアが、そう思わせたのかもしれない。野村誠一の写真は、「徹底してエロ」というよりは今でいうところの「萌え」に近いものだったから。

第11位 中山美穂

当初はヤンキー路線で売ろうとしたらしいが、もっと女性っぽい印象で売りだした、という「はてな匿名ダイアリー」の意見には同意。
というか、逆に言うとそれくらいしか書くことがないのだ。それは路線変更後の彼女がかなり正統派なアイドルだったことを証明してもいる。
「ママはアイドル!」というドラマでアイドルを演じられたのも、そうした部分が大きい。なお彼女の愛称「ミポリン」は、そもそもドラマ内でのものだったと記憶する。

第12位 原田知世

実は「月刊OUT」か何かで、ゆうきまさみがゴリ推ししていたという印象しかない。
映画「時かけ」で強い印象を残したのは間違いないが、いわゆるアイドルマニアとは違う人が騒いでいたという感じ。
感覚的に言うと、ちょっと前に「ももクロ」にはまっていた人の温度に近いものを感じていたと思う。
ウッチャンナンチャンのバラエティでコントをやっていたが、「ああ、この人コント興味ないんだなあ」と骨の髄まで思い知らされた。

……とまあ、こんな感じです。
こういうのって、世代で簡単に変わっちゃいますけどね。

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