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ひさしぶりに観る。もともとまあ「普通」くらいの好き度の映画なのだが、ルパンというともはや「カリ城」しか知らない世代もいそうだし、公開時期が近い「カリ城」と対比する意味でも、重要な作品だと思っている。
ただやはり何回観ても「ん?」と思うところがある。
今回再見して感じたのは、マモーの「生への妄執」と、ルパンの「長生きしたってろくなことにならねぇ」的な人生観の対比がうまくできていないというところだ。
てっきりマモーは、不二子と結婚してその子孫を、自分自身として育てていくのかと思っていたのだが(この辺は『家』を最重要なものとみなす「カリ城」と混同していた)ぜんぜんそんなことはなかった。本当に、ただ美しい不二子に惚れていただけだった。
一万年も生きてきたマモーが、過去の配偶者とどう生きてきたかなどは、まるごと端折られている。この辺、もう少し説明が欲しい。
もうひとつ、マモーの行動で謎なのが、「賢者の石」でクローンの強化ができないと知ったマモーが、人類を滅亡させようとする点である。ここの意味がまったくわからない。
「人類の歴史に干渉してきた」と作中で言っているが、人類そのものにルサンチマンがあるわけではなさそうだ。だから、マモーが人類を滅亡させるのは謎だ。
そんなわけで、本作のルパンとマモーは激突しそうで、微妙にすれ違う。ただし、ルパンが聖女のような女性ではなく、いつ裏切るかもしれない不二子に固執する、というのは大変良いと思った。
「裏切りは女のアクセサリー」とは、ルパンが第一シリーズで言った言葉だが、本作でもそのとおりなのだろう。そして女性のわがままや裏切りに手を焼きながら(当然、他の女性にも手を出しながら)死期が来たら死ぬつもりなのだろう。
一方で、マモーの不二子に対する固執は「美の賛美」と「自身の孤独の補てん」という以上の意味はないように思える。というよりも、映画冒頭で不二子のシャワーシーンをカメラでのぞき見したり、ルパンと不二子が乳くりあっているシーンを観て怒鳴りつけたりするところを観るに、マモーが執着しているのはおそらく「セックスの能力」なのだろう、と少々勘ぐってみる。
マモーの「永遠の生命」は、おそらく「永遠のセックス能力」の暗喩なのだ。
(というように、私が勝手に妄想しているわけです。)
だからマモーが人類の歴史に干渉しているとか、核ミサイルで人類を滅亡させるとかいうのはマモーにとっては付随的なことにすぎない。要は不二子さえいればいいのだ。しかし一緒にいるだけではダメだ。
年老いたマモーはたぶん、「若い女はセックスの快感でつなぎとめないといけない」と思い込んでおり、だからこそ「賢者の石」に執着したのである。
最終的には、不二子すらもあきらめ、宇宙に旅立つことになるが、人類を支配することにも対して興味がなく、永遠の生命も手に入らない以上、配偶者もいない状態で地球に居続けることはプライドが許さなかったのだろう。
つまり、ルパンが言うように、彼は「やっと死ねた」のだ。
しかし、ここまで書いて、本作はマモーの妄執が「セックス能力の暗喩」からズレていること、マモーの欲望とルパンの欲望が微妙にズレていることこそが、重要なのだと思いなおした。
そうでなければ、本作はただの「若いカップルを引き裂き、ヒロインをわがものにしようとするヒヒジイイ」という陳腐な図式で終わってしまうからだ。
ルパンという男とマモーという男が、それぞれの欲望を追及していく中で、ある瞬間に決定的に激突する。
それがいいんだなあ、と思った次第(ぶっちゃけ、展開としては多少中ダレしますけどね)。
なお、掘り下げられてはいないが、若いルパンがまだ「女性」に幻想を持っているのに対し、作中で妻子がいるとされる銭形は、女性に幻想を持っていない。そして、だからこそ「世紀の盗賊ルパン」を捕まえることに、あれほどまでに血道をあげているのではないだろうか?
世界を飛び回っている銭形だが、本作だけを観るかぎり、本当は家に帰りたくないのかもしれない。