マンガ雑誌

・「キューティーハニー対デビルマンレディー」 永井豪(2014、秋田書店)

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キューティーハニーとデビルマンレディーのそれぞれの戦いが、たまたま交錯する番外編。
まあ「この二つでストーリーを構築しようと思ったらこうなるだろうな」という感じ。

「デビルマンレディー」本編は、それなりに面白いのだがラスト近くのどんでん返しのために、全編が暗いのが難点。

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【マンガ雑誌】・「コミックフラッパー」4月号(2010、メディアファクトリー)

鶴岡法斎氏原作、榊原瑞紀氏作画で「切断王2」が掲載。
近未来、日本政府に見捨てられた東京は大犯罪地帯となり、独立自治政府「歌舞伎町政府」が誕生。
それを仕切るのは、何らかの戦闘術に長けた「王」という存在であり、本作は殺された父から「切断王」の座を受け継いだ少女の物語である。

前作掲載からちょうど1年。2話目を読んでやっと気づいたが、敵がビザールなシュミを持っている、というのが特徴のひとつなんですね。
対するにさまざまな戦闘能力を持った「王」たちがいる世界なので、連載化したときのさまざまな「王」や敵の出現に想像がふくらむ。
ヒロインは先代の王であった父親の幻影にあこがれ、また自分もそのようになりたい、ならなければならないと悩んでいる。

鶴岡さんの原作は、本作に限らず主人公が常に見えない何かと戦っている。金とか地位とかではなく、常に遠くを観ている。
そこに自分は高潔さを感じます。

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・【マンガ雑誌】・「別冊パチスロパニック7」9月号(2009、白夜書房)

Bessatsu_panic7_2009
三号変則集中連載で、原作:鶴岡法斎、作画:張慶二郎「アルケミーの羊」の第三回が掲載。
要するにいちおうの完結編ですね。

書けない小説家・成田優一は、目まい、眠気、脱力感、幻覚といった体調不良に苦しむ。しかしその原因はわからない。
彼の中で普通に存在しているのは、漠然とした不安感。しかし、それでもスロットを打つことはやめられない。
かといって「スロットを打つと病気が持ち直す」というのでもない。むしろ逆で、当たっていると病状は悪化する。それでも、体調不良のときには奇妙に当たるのでやめることができない。

そこに、佐倉フミという、彼の小説のファンだという女性が現れて……。

というのが前回まで。

ここからは私が思ったこと、読み取ったことなので間違っていたらゴメン(だれにあやまっているのか?)。

物事には常にいい面と悪い面、ラッキーを運ぶ側面とアンラッキーを運ぶ側面がある。要するに両義性だ。
三話まで読んだ感想としては、この物語ってすべてこの「両義性」で成り立っているなあ、と。

「病気なのにすごいスロット能力を発揮する」でもなく、「すごいスロット能力の持ち主の弱点が病気」というのでもなく。
スロットに本気で打ち込もうと決心するのでもなく、スロットを通じて本当に自分のやりたいことを思い出す、というのでもなく。

「真の愛」に目覚めるでもなく、偽りの愛に身をゆだねるでもない。

そもそも、成田がスロットに夢中になっちゃったら小説をますます書かなくなってしまうかもしれない。けれども、今の成田にはスロットでさえ、楽しく打つことが重要なことかもしれないとも思わせる。

で、もちろんその「両義性」というのは達観したソレではなく、錯綜した、ゴチャゴチャな、日常のどうしようもないいろんなことの中で生きていくうえで、どうやって人生にとって「いいこと」を51パーセントにして、「悪いこと」を49パーセントにするかみたいな。
いいことが少しでもまさっていればそれはいいことなわけで。
それが積み重なっていけば、だれもが感じる絶望感多き人生、何とかなるんじゃないか、というような。

それも自己啓発的な「こうなんだッ!!」っていう感じじゃなくて、ジワーッと、人間の生、生きることの意志を肯定しているようなね……そういう感じがするんですよね。

以前の連載「crossover」の最終回を読んだときにも感じたんですが、何かが終わったとき、人の心の中でも何かが終わるけど、違う何かは変化し、しかし確実に先送りされていくでしょう。それは希望かもしれないし、絶望かもしれないし、もっと違う別の感情かもしれないけど、人の日常というのはそういうものであると。

なんか、すごいそういうのを感じるんですよね。

これは三号続けて読んでよかったと思いましたよ。本当に。

以下は私、僭越ながらおまけというか。
これで鶴岡さん原作のマンガを、いろんなタイプ、かなりの数読んできたんですけど、
・短編
・中篇
・長編
・長編の中の1エピソード
・伏線を活かす
・伏線など追っていない読者向きに長編を書く
・きちんと最終回で物語を終わらせる

……っていう、マンガ原作を商売として書いていくためのひとおりの技術がすばらしいと思います。
(職人的なものなのか、毎回苦心しながら執筆されているのかは知らないのですが……。)
短編はうまいけど連載したらアララとか、その逆とか、ぜったいないと思うのでマンガ出版社のヒトたちは注目しておいた方がいいですよ。

「アルケミーの羊」01感想

「アルケミーの羊」02感想

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【マンガ雑誌】・「パチスロパニック7」8月号(2009、白夜書房)

三号変則集中連載で、原作:鶴岡法斎、作画:張慶二郎「アルケミーの羊」の第二回が掲載。

書けなくなった小説家・成田優一は、不意に襲われる目まい、眠気、脱力感、幻覚に苦しめられている。それが「書けない」ことからくるのか、何かハッキリした病気なのかはこの第二回の段階ではわからない。
しかし、その発作が出たときには不思議とゆがんだ光景の中から「自分が必要とする物」だけが観え、パチスロで勝つことができる。

やがて、優一はスロ中に打てなくなるほどの強い発作に襲われてしまう……。

第一話の展開を引き継いだかたちで、三話で完結する話なので結末を予想して感想を書くことがなかなかむずかしい。
が、思いきって書いてみると、徹底的に個人的で、他人が成り代わることのできない孤独な悩み(小説が書けない、持病があるなど)に関して、他人とのちょっとした関わりとか、偶然とか、そういったものが救いをもたらす場合があるかもしれない、ということなのかなと。

もともと原作の鶴岡さんは、「ヤマアラシ」、その続編の「ヤマアラシ CROSS OVER」を読むかぎり、人と人とのちょっとした触れあいが孤独な人間に光を与える、状況にささやかな奇跡を起こしていく、という話が得意であるように感じている。

「友情」とか「恋愛」というのは、とくに青年期を経てトシをとってくると、物語において非常にベタなものに成り下がってしまうものだが(ベタなりの切実さを受け手が要求しているとしても)、鶴岡さんの原作は、たとえば何かに属しているという連帯感でもなく、傷のなめあいでもない、静かで、それでいて強い絆を志向しているように感じる。

それと、この第二話目から読んでも基本的に違和感がないのがいいと思った。パチスロ誌という性質上、たとえば自分の知りたい機種が載っているからその号だけ買おう、という人もたぶんいるだろう。
そうなると細かい伏線を張ったり、その号だけではお話がわからなかったりしたらまずいわけで、なおかつ、長期連載になった場合も読者側に、蓄積された長い物語を了解済みのものとして続けるのは困難だろう。
パチスロマンガには「実際に打ってみてのレポート」といった実録モノや、1話完結のギャグ、コメディ調のものが少なくないのもその辺が理由だろうと思う。

だが、たぶん本作は長期連載化しても、続けて読んだら読んだで面白いし、途中からでもすんなり入れる物語になるだろう。
そういう長期連載の才能は読みきりを書くのとはまた別の才能で、バランス感覚がないとむずかしいと思うが鶴岡さんにはそういう能力が備わっていますからね。それは過去の作品で実証済みのことでもあるし。

続きが楽しみ。

最終話は、7月25日発売の「別冊パニック7」に掲載。

「アルケミーの羊」01感想

「アルケミーの羊」03感想

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【マンガ雑誌】・「別冊パチスロパニック7」8月号(2009、白夜書房)

三号変則集中連載で、原作:鶴岡法斎、作画:張慶二郎「アルケミーの羊」が掲載。
数年前に作品を発表したっきり書けなくなっている自称(?)小説家・成田優一。同棲していた彼女には愛想をつかされ、睡眠障害もあるっぽい。ただし、パチスロではけっこう稼ぐ腕はあるらしい。
夢を持つことができず死んでしまおうかな、とも思う彼だったが、明日がパチスロ店のイベントだと思い出すと、行ってみようかとも思えてくる……。といった感じの導入部。

鶴岡さん原作のパチスロマンガとしては、「ヤマアラシ」は主人公がパチスロに対してある意味求道的というか、スロットに対してどう向き合うかみたいなところがテーマになっていたと思う。
で、今回の主人公は「小説が書けなくなった自分」とか、「また書きたい自分」っていうのがまず最初にあって、そのうえでパチスロをやっている、という印象。

こういう人生における「迷い」を物語として(しかも決して登場人物が自暴自棄になって終わったりせずに)書くのはウマい人なので、そこら辺が今後どう転がっていくのかというのが、楽しみ。

張慶二郎の絵のカッコよさは、文句なし。

「アルケミーの羊」02感想

「アルケミーの羊」03感想

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【マンガ雑誌】・「コミックフラッパー」4月号(2009、メディアファクトリー)

公式ページ

鶴岡法斎氏原作、榊原瑞紀氏作画で「切断王」という読みきりが載っています。
原作者の知り合いの私が言っても説得力ないかもしれないですが、面白い作品です。

近未来、日本政府に見捨てられた東京は大犯罪地帯となり、「歌舞伎町政府」がつくられた。そこには治安維持と支配のために悪人を殺す「王」という存在がいた。
その中の一人が「切断王」……という話です。

あんまりあらすじを書くとネタバレになっちゃいますが、あそこがあーだったというのは、何が正しいかわからなくなり、すべてがあべこべになっていろいろ難儀している現代社会の現状を直観的に表現していると思います。

連載になればものすごく良質の脱・セカイ系の話になるとも予想できるので、人気が出ればいいなあ。

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【マンガ雑誌】・「『時代劇漫画 刃-JIN-』が今月で休刊」

5月21日(水)発売号で、「刃」が休刊

刃 休刊のお知らせ

ほとんど「小池一夫一人マガジン」みたいな感じの雑誌が休刊。
個人的には、旧作を雑誌形式で読めるというのが嬉しかった。「牙走り」っていう名作を知ることができたのもこの雑誌だし。
また、「御用牙」のかみそり半蔵のその後を追った「レイザー」や、丹下左膳の青春期(?)を描いた「キャットディフェンス」など、面白いマンガも多かった。

それと、時代劇マンガの旗手・もりもと崇が確か「鳴渡雷神於新全伝」を連載したりしていたはず。

「手塚治虫マガジン」とかも個人的には好きだったけど終わっちゃったし、こういう「大御所メインのマンガ雑誌」ってまたやってほしいんですけどねえ。

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【雑誌】・「パチスロ7 Jr.」 8月号(2007、蒼竜社)

Pachisro7

鶴岡法斎、宮塚タケシ「ヤマアラシ 〜CROSS OVER〜」が今月で最終回。
いやー、こういうふうに終わるのかー、と感慨にふけってしまった。
最近、スロットのマンガを細かく読んでいるわけではないけど、本作の主人公・トシユキのように、「スロプロになりたいけどなれない」といった半端な若者を、ギャグでもコメディでもなく、スロットの雑誌に描くというのは他にあまり例がないのではないかと思う。
でも、決してダークになりきらず、変な楽観主義も入れず、義理人情なども描き、それでいて最後まで安易なお約束には落ち着かず……という読んでいてとても面白い作品でした。

なんとなく70年代っぽいけど、そこには確実に「現在」があった。登場人物はきっちり、2007年を生きる人たち。
いかにもイマドキ風に人生を絶望していたりとか、達観していたりとか、そういうのいっさいナシで、でも今、現在の人間を描いてたと思います。

何というか、たとえばスロプロって着地点が無い職業だと思うんですよ。変なたとえだけど「ディオラマ大作戦」とう私の大好きなマンガがあって、「ジオラマづくりの好きな少年」の話なんだけど、最後は「アメリカの工房でSFXの手伝いをしないか」って言われてアメリカへ行く。
「ジオラマづくり」でも「SFX」っていう着地点が(まあかなり荒唐無稽とはいえ)存在するんですが、
スロプロにはそれがない。まあややリアルな話なら、「真剣にスロライターを目指す」とかそういうのもあるんだろうけど……。
で、前作「ヤマアラシ」では、「スロットを求道的にやっている人間の着地点」っていうのを、わりとだれもが納得するかたちで描いていたと感じるんですよ。
それが、続編「ヤマアラシ 〜CROSS OVER〜」では、主人公はスロプロにすらなれない半端者、という設定だったからいったいこれはどうするのかと思っていたんですね。

「きっぱりやめて就職」っていうのもアリはアリだけど、どこか安易な気もするし……。
と思っていたので、なんか感心しました。

それと、最後まで読んであらためて思ったのは一種の群像劇なのだなと。
だから主人公の生き方だけで完結するわけじゃないんですね。物語に参加している人たちがいて、成立しているって感じで。
そんなことを思いましたよ。

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【マンガ雑誌】・「コミックヨシモト」7月17日号(2007、ヨシモトブックス)

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永井豪とダイナミックプロ、キャラクター協力:レイザーラモン「私立探偵H・G」についてのみ少々。
現状の永井豪について語るとき、いつも冗談めかして「このままでいいんだよ」という雰囲気になるが、私は完全に本気で「このままでいい」と思っている。

それは、本作についても同じ。
ファンの多くは、「デビルマン」や「凄ノ王」、「バイオレンス・ジャック」といったシリアスな作品群と、最近よく豪ちゃんが描く脳天気なマンガを比較しているけど、自分はこれからの豪ちゃんの可能性はシリアス路線よりも、腰砕けしてしまうような呑気なギャグ作品にあると思う。

赤塚不二夫の出現あたりから、「ギャグマンガ」っていうのは本当の本当に時代の先端を走っていないとダメという風潮になったと思う。
でも、それまではもっとのんびり、まったりした作風のものも多くあった。
永井豪のギャグマンガは、今はそういう位置にいると思う。

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【マンガ雑誌】・「コミックヨシモト」 7月3日号(2007、ヨシモトブックス)

付録のDVDはまだ観てません。タカアンドトシ・笑い飯・ロバート・POISON GIRL BAND・カリカのネタ収録、ということで、まあそれを考えれば全体的に値段は安い、ってことになるんですかね。
連載ラインナップは、自分の想像の域を超えなかった。要するに、
・大御所芸人原作の感動もの
・それよりちょっと下の世代のベテラン芸人の感動もの
・架空キャラを主人公にした漫才師を目指す青春もの
・作家的素養のある芸人に原作をさせた作品
・実在の芸人の半生を描いた作品
……などなど。
たぶん任されてる人も、自分と似たようなことを思ってネタ出ししたんだろう。
で、企画自体は予想の範囲内だったが、創刊号としてはそんなに悪いものではないとは思う。
ただし、目玉的な作品が、無い。吉本がバックアップする以上、ある程度著名な芸人の協力は見込めるとしても、それは誌面には出にくいタイプの「すごさ」。
だから、マンガ家方面でももう一人二人、人気の人を引っ張ってきてもらいたかった。まあ私もたいがい高見からものを言ってますがね。そんなに簡単に行かないかもしれないけど。

それと、せっかくお笑いブレーンが揃っているんだろうから読者投稿欄をもうちょっと面白くすればいいのに、とは思った。

作品として、正直個人的に注目すべきものはあんまり……。
原作:島田紳助、漫画:高田桂/アトリエモーティヴ「いつか見た島」と、原作:倉科遼、漫画:ナカタニD.「んなアホな!! 」が、ある程度の水準まで行かないと今後たいへんだと思う。

あと、私はどんなに「正当なものを評価せず、ウケ狙い、ネタ探しでレビューを書いている」とカン違いされようが、
キャラクター協力:レイザーラモン、漫画:永井豪とダイナミックプロ「探偵事務所H・G」
を全面的に支持するものである。現状の豪ちゃんのギャグマンガを評価できない日本人は民度が低いとすら思っている。半ば本気で。

あ、あと原作:後藤ひろひと、漫画:イシデ電「HŪS」もなんとなく面白くなりそう。
原作:白岩久弥、漫画:いつきたかし「ガングリオン」は、「悪の組織でがんばる中間管理職的な男の悲哀」という、もはやベタに属する物語。「日本のスーパーヒーロー観」を追いかけている自分としては気にはなるが、たとえば「天体戦士サンレッド」のような突出した作品にはならないかも……なあ。

あと、吉本の雑誌なのに純粋にギャグを目指した作品が少ないなあ、とは思った。
ああ、それと、表紙がだれだかわかんねーよ!!

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