マンガにまつわる雑記

【雑記】・「80年代少年ラブコメブームの謎」

最初のオタクムーヴメントは、だいたい77~78年頃から始まる。
これは調べれば調べるほど、そう確信できる。
もちろん、前兆のようなものはあるが(「トリトン」ブームとか)、「スター・ウォーズ」、「うる星やつら」、「未来少年コナン」、「翔んだカップル(少年ラブコメの元祖的作品)」などはみんなこの時期に始まっている。翌年にはガンダムである。
で、それだけでは「単なる特殊なシュミの拡散」という話だけで終わってしまう。
実は(?)この「78年頃」を契機として、ひとつのブームが80年代初頭に花開く。
それが「少年ラブコメブーム」である。

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【雑記】・「類似問題」

「コトコトくどかれ飯」類似指摘について編集部が公式に否定 一部では指摘した「女くどき飯」作者に非難も
ネットウロウロして見たが、「峰さんの方が今回の件で恐いと思われたのだから、干される心配はむしろ峰さんにある」という意見がありましたが、「ンなわけねえだろ」と思いました。

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【マンガ記事】・「このチラリズムがすごい! 『パンチラマンガ』ベスト3」(「このマンガがすごい!WEB)

このチラリズムがすごい! 「パンチラマンガ」ベスト3  「ふぬけ共和国blog」新田五郎さん【目ききに聞く】

書かせてもらいました。
読んでね。

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【昼ドラ】・「幸せの時間」

「幸せの時間」は、国友やすゆきによる、1997年から2001年に漫画アクションで連載された、色欲と金欲に翻弄された家族が崩壊していくというドロドロな「昼ドラ的」マンガである。
ほぼ10年経ってからのドラマ化なわけで、逆になぜもっと早くドラマにならなかったのか、不思議なくらいのオイシイストーリーであった。

発端は、念願のマイホームを建て、そこに希望を持って引っ越してきた家族(夫・浅倉達彦、妻・智子、受験生の兄・良介、中学生の妹・香織)が、一人の若い女性・高村燿子を車でひいてしまい、その女性が夫と肉体関係をもってズブズブになっていくというもの。

ドラマ化を知ったのが、5、6回過ぎた後であわてて視聴を始めたのだが、まず「漫画アクション」という媒体上、主に「男性視点」だった本作を、「昼ドラ」の主要視聴者層である女性向けに描き直してあることに気づいた。
また、地上波で昼間に放送されるという制約上の問題など、いろいろと見るべきものがあったので、最終回を迎えたこともあり、その辺の話をしていきたい。

まず、単に「いわゆる昼ドラ」のドロドロ、メチャクチャ、アナクロを目指すのではなく、かなり誠実につくられたドラマだと思う、ということは最初に言っておきたい。これをコントとか言ったらつくった人がかわいそうだ。
まず、ヒロイン・智子の家庭を壊す耀子(夫の愛人となる)と花屋・篠田(智子をレイプしようとする。未遂に終わる)には、それなりの「孤独」という理由があったこと。
次に、最終回に突然改心するとかではなく、ドラマが経過していく中で耀子と花屋の心の動きをきちんと描いていたこと。
そして、「絵に描いたような幸せ家族」をつくることだけを考えてきたヒロインの思考の変化をも描き、自身も浮気することによって、自分にとって異物だった耀子を受け入れたこと。
(また、息子・良介がはらませた蓮っ葉なおねえちゃん・奈津とその子供の存在も受け入れている。)

これだけとっても、周到につくられたドラマだとわかる。「ラストが中途半端」という声もあるが、ドラマの流れから言ったら、家族が完全に崩壊する(あるいは元通りになる)方がおかしい。

達彦の親友・矢崎(柳沢慎吾)夫婦が「きれいごとだけではない、理想の夫婦」として登場するのは原作と同じだが、おそらく自主規制で慎吾ちゃんが香織と肉体関係を持たなかったために「子供のいない夫婦と、それに憧れる少女」の聖性は増した。

なお、ヒロイン・智子の浮気はその顛末が少々コミカル、達彦の浮気が地獄の大罪のように描かれるのは主婦向けだから。原作は「つくりもの家族を放置して我欲に徹する夫」が中心だったが、それを妻視点に書きなおした手腕は相当なものだと思う。

なお、会社パートは「家族」というテーマを打ち出すためか原作と比較して大幅にシーンが減っているので、原作で印象深いキャラクター「望月さん」が、脇役に後退してしまったのは少し残念だった。

本作は、簡単に言えば「家族一人ひとりが、自分たちの役割を放棄し、我欲に走ってしまったらどうなるのか?」という、モラル崩壊の物語である。
「それまで形式だけでうまくいっていたものが、そうではなくなる」というのは今日的なテーマだ。ちなみに映画「アウトレイジビヨンド」もそのたぐいである。

ふた昔前なら、厳格な父親か、懐の深い母親がまとめたこと、あるいは逆に、浮気なら浮気でだれかが耐え、だれかがちゃらんぽらんになることで成立していたことが、今は通じない。
ヒロイン・智子の母(丘みつ子)の世代までが、「自分の結婚に愛はなかった」と言う時代。つまり、まず大家族幻想は断たれている。

次に、智子が持っている「ニューファミリー幻想」も、夫・達彦の浮気によって崩壊する。しかも、ニューファミリー幻想は、「大家族制度」以上に倫理観について厳格なため、一度でもルールを犯すと心情的にも「裏切った」と見なされ、「ニューファミリー」は元に戻れなくなってしまう。

結果、浅倉一家が「今までどおりの家族」に戻ることはなかった。しかし、バラバラになるのではなく、どこかでゆるくつながっているような関係は保持されていく……というラストは、当然と言えば当然のものである。

さて、最後に智子の「お弁当」について。
番組のラストに毎回、視聴者から送られてきたカワイイお弁当の写真が載るのだが、ドラマ版「幸せの時間」では「お弁当」や「食事」が、かなりの意味合いを持っていた。
娘・香織が、学校で友達に自分のつくったお弁当を売っていた、ということで衝撃を受けた智子は、それでも弁当をつくり続ける。
智子にとって毎日の弁当づくりは、「家族」を守る象徴的行為なのだ。
彼女は毎日のお弁当を、すべてデジカメで撮ってデータを保存してある。

それでも家族は、いろいろあってなしくずしに崩壊していく。では、智子の主婦としての「弁当づくり」は本当に無駄だったのか? の問いには、本作は「無駄ではなかった」と応える。
主婦の観ている時間帯のドラマだから、というだけではなく、智子の「職業人としての主婦」の矜持の象徴が「弁当」であって、それは娘が友達に売ろうが、いいかげんに扱われようが、関係のないことなのである。

別の見方をすれば、理想ばかり追い求めていた智子が、いろんなものを受け入れて成長していくドラマの中で、「弁当」は「智子の最後のプライド」として機能していた、と言えよう。

……というわけで、マンガ原作のアニメ化へのコメントはよく見るが、「マンガ原作の昼ドラ」の感想はあまり見ないと思ったので、長文を書かせていただきました。

なお、マンガ版について私があーだこーだと感想を書いた同人誌が、アマゾンで売られているので、よかったら買ってください!!

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【映画】・「これでいいのだ!! 映画赤塚不二夫」

1967年頃。小学館に入社した武田(堀北真希)は、入社式でイヤミのコスプレで新入社員たちに「シェー」を強要した赤塚をグーで殴ってしまい、それがもとで希望の少女コミックではなく少年サンデーに配属、赤塚の担当にさせられる。
「バカになる」ことを至上の価値とする赤塚と、彼に振りまわされる武田記者(堀北)を中心に巻き起こるドタバタコメディ(らしい)。

結論。マイナス1おくてん。

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【宣伝】・「ダ・ヴィンチ6月号で『進撃の巨人』特集」

発売中のダ・ヴィンチ6月号において、「進撃の巨人」について「震災後どう読むか」とキャラクター解説などについて書かせていただいております。
作者の震災後の心境をまじえたインタビューも入っているので(インタビュアーは別の方です)、お得です。よろしければぜひ読んでください。

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【雑記】・「気になったので補足」

このエントリのこの一文について、補足。

この頃の少女マンガは「少女が少女であること」は描いても、「少女がオンナであること(男性とは違う考え方をしていること)」を強調することはなかった。

たぶん、少女マンガのフェミ的な読み解きなんてとっくの昔にだれかがやっているだろうし、私が学術的な解説を書けるわけもない。

ただ、やはり補足させてもらう。

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【エッセイ】・「柳沢きみおの『なんだかなァ人生』」

「週刊新潮」に連載している、柳沢きみおの文章によるエッセイ(「文章による」とわざわざ書いたのは、「エッセイマンガ」ではないということ)。

ネットを検索するとオタク批判やAKB批判についてさまざまな人から論評が加えられたりしていて、まだまだ活字メディア……しかも昔ながらの週刊誌の影響力について思いをはせたりするがそれはまた別の話。

この「なんだかなァ人生」は、タイトルどおりとりとめもなく作者が最近の流行や想い出話などを書きつづったものだが、柳沢きみおのマンガ観やいつ、どんなんときにどんな気分で作品を書いていたのかなどが作者本人の手でつづられるため、過去の彼のマンガの作品読解にも大変役に立つ。

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【雑記】・「『デビルマン問題』は複雑である」

永井豪は、評するのに実はなかなか複雑な作家である。

より正確に言えば、「ある人にとってはひどく単純なのに、ある人にとってはひどく複雑だ」というふうに言えると思う。
以下のブログのエントリで、永井豪ファンについて興味深い分け方をしている。
ちなみに私は「激マン!」は毎週喜んで読んでいます。

「『激マン!』是非を語るというコトとは」(ビバ!ダイナミックBlog@おたく鍋)

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【萌え談義】・「アニメ絵、萌え絵とは何か(80年代まで)」

だいたい、マンガやアニメ、ゲームを熱心に観ておらず、なおかつ「アニメ絵」、「萌え絵」を批判するやつにロクなやつはいない(検索して二つほどのブログを読んでの確信)。

マンガが好きで、「でもおれはどうしてもアニメっぽい絵がダメだなあ」というのなら、それは理解できる。
別にアニメ絵、萌え絵があるからマンガがあるわけではない。
池上遼一だって東海林さだおだっているわけだし、隣接ジャンルでオタク文化全般が気に食わないという人はいて当然である。

ところが、そこから間違った論理展開をされてしまったのではたまらない(たまたまそういうところを読んでしまったのだ)。
私は争いを好まない人間なので、そこがどこかは明記せずに反論を書いていくことにする。

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