日記・コラム・つぶやき

またやりたいな~

「ネタ的なものは一切見せずに、オタクトークだけする会」、またやりたいな~。
タイトル忘れちゃったので、ここにメモしておく。

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【アイドル】・「ダイエット騒動」感想続き、あるいは今さら「BiSキャノンボール」の感想

前回の続き。

BiSのダイエット騒動で、「何もわかってないくせに」と言われるのがイヤでいちおう、過去どんなことをやってきたか観ましたが、リアルタイムではアイドルマニアの知り合いからいろんなことは漏れ聞いてたわけですよ。
で、そのときは「そういうアイドルもあるんだなあ」くらいの感想しかなかったわけです。

しかし、半月前の「童貞。をプロデュース舞台挨拶騒動」の映像を観てしまった後では、ファンの人には申し訳ないですがどれも陳腐に思えるんですね(27時間テレビのマラソンが「陳腐」というのと似たような感覚です)。

広い意味でのアイドル史、サブカル史ではどうか知りませんが、私の中で「童貞。をプロデュース舞台挨拶騒動」は自分でも驚くほど大きな出来事だったようで、「目標を達せられなかったら即休業のダイエット企画」なんて、もう「童貞。舞台挨拶騒動」以降はすべて陳腐化しちゃったと、個人的には思っています。

だから、あくまで個人的に、ですが、ダイエットしているプー・ルイも大変でしょうが、もうこの手の企画は「日野てるまさビンタ騒動」と似たようなもんでね。私にとっては。
「なんか他に面白い企画、考え付かないの?」
などと、無責任なことを考えています。

思い起こせば、私は「テレクラキャノンボール2013」に感動しすぎて、過去のテレキャノや、前にも書いたとおり他のパロディ的な企画の映画もつとめて観に行きました。

「テレキャノ2013」は、「ナンパされた女性のブスさ加減を嘲笑する映画」とだけとらえている人もいるようですけど、私はまったくそうは思っていないんで。
むろん反PC的な映画ではありますけど、監督たちも「痛い目」を観ている、罰ゲームに当たりに行っていること、女性たちを単に「笑いものにする」以上のものが確実に存在しているという点で、今でも私の評価は高いです。
(ただし、今、同じ方法論でつくったとしても、面白いと感じるかどうかはわかりません。理由は時代の変化です。)

で、テレキャノ好きが高じて「劇場版 BiSキャノンボール」を観ました。私の当時のBiSに関する知識は断片的なものでしかありませんでした。
だから、鑑賞直後はうまい感想が思いつかなかった。
(あ、ここからは「劇場版 BiSキャノンボール」の話です。検索していて未見の「完全版」があることを知ってしまい動揺したのですが、とりあえず「劇場版」についての話を進めます。)

で、あくまで2017年現在の観点からの感想ですが、まあ、ダメでしたね。
初期の上映時、監督のカンパニー松尾も舞台挨拶で納得のいかない表情をしていて、「まだ編集し直している」とか言っていたんですが、当時はその意味がよくわかっていませんでした。
とにかく「テレキャノ」側からの観点しか、私は持っていなかったので。

ちなみに「テレキャノ2013」では、登場する素人女性たちは、劇場版として映画館で上映されていることを知りません。
その点でアンフェアなのですが、まあそういう契約になっているのでしょう。

しかし、「劇場版 BiSキャノンボール」に関しては、アイドル側が「だまされていた」ことが明らかになるんですね。
映画の中で、「解散コンサートくらいまともにやりたかった」と泣いて怒っている子(確かファーストサマーウイカ)がいましたが、まあ当たり前だと思います。
やはり、この場でも「過去のサブカル内パワハラ」と同様、「意に沿わないことをされたアイドル(立場的には弱者側)と「仕掛ける大人たち」というのが露骨に出てしまっていて、まあAKBはそこをスマートにやるんだけれども、「わざと泥臭くやって煽る」ってのはね。
なんだかいやだなあ、と。
正直、「童貞。をプロデュース」の舞台挨拶映像を観てしまうと、そういうのがまったく面白く感じなくなってしまったんですよね。

今後、こういう……「サブカル的」っていうと雑すぎますが、「反ポリコレサブカル」をからめたアイドルは、もう話題にはならないと思います。

それと、「劇場版 BiSキャノンボール」でとくに気になったことのひとつは、(まず絶対に成功しないけど)セックスまで持っていこうとするビーバップみのるが、テンテンコに、雑誌でセミヌードになったことについて話を聞く際、
テンテンコが「私は裸になったことを、いやらしいことをした思っていないし、ヌードになる女性を下に観たことはない(大意)」
って言わせちゃったことです。

それをずっとビーバップみのるが、優しくせめるんです、「いやらしいと思っていないなら、同じこと(フルヌードになること)もできるでしょう?」って。

あれがキツかったですね。
そりゃ、ミュージシャンがジャケットなどでセミヌードになることは、別にBiS以外にもありますけど、そういう人たちも、表面上は「私たちはヌードになることを専業としている人たちを下に観ているわけではありません」としか言えないですよね。

だから「じゃあそう思っているなら、あなたも全裸になれるでしょう?」と問われてしまい、それにはうまく返答できないことになってるんです。

これは観ていてキツかったです。

実際には「裸になることを専業としている人が裸になることと、アイドルが裸になることは意味合いが異なります」とかなんとか、反論できなくはないんですが、そこまで理路整然と反論できるアイドルは、いないでしょう。

ビーバップみのるは、別に「自分のやり方」で攻略しようとしただけでしょうが、「劇場版」や、今回のダイエット騒動などを観ると、
「もしかして、アイドルたちは『洗脳されていない』と思い込みながら『洗脳されている』のでは?」って思ってしまうんですよね。
そこが、またマネージャーの思惑と重なっていると勘ぐったりなんかしてしまって。

結局、劇場版は、このビーバップみのるとテンテンコとの関係がどうなるか、が落としどころになるんですが、やはり無理矢理感はぬぐえなかったですね。
「完全版」はまた違うのかもしれませんが、「劇場版」は、ちょっとアイドルたちがかわいそうに観えてしまいました。

で、私が何が言いたいかというと、私は「行き過ぎたPC」に反対の立場なんです。しかし、だからといって、PC的には「アイドルに過剰にダイエットさせることは、グローバルスタンダードからしても、摂食障害などに影響を与えるからダメ」という正論があります。

もう、両者はどこかで折り合いをつけないとダメだろう、ではどうしたら着地できるのか? ってことです。

そもそも、本来の「芸能人は普通人と違うからモラルも価値観も違う」という物言いでさえ、
「都合のいいときだけ普通の人になったり、コミュニティ外の人になったりするんじゃねえよ」
という反論は、実際にできますから。

私は90年代半ば頃からの「オタク再評価」の機運は、「プロアマボーダーレス」ということが最も重要だと主張し続けてきたのですが、同じことはアイドルにも言えるってことです。

日本のアイドルは本質的に「不完全性」がキモですから、「どっちつかず」の存在なら、「無理なダイエットされてかわいそう!」という批判だって、当然通用するということです。

まあ、現在のBiSはそのことに、答えようとはしないでしょうけどね。

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【アイドル】・「プー・ルイ ダイエット騒動」

こんな意見があります。

芸人であるギュウゾウが、「当事者同士の問題」と言いきるのはむしろ当然ですね。
芸人さんは信頼関係で無茶をやる職業であり、また自分たちの世界を「普通とは違う」と思っているわけですから。
(BiSのマネージャーも、ツイッターで似たような発言をしています。)

ただ、10年前、20年前(「BiS」の活動で言うならセミヌードのPVを出した2011年頃)と同じスタンスで芸能人、および企画がやっていけるかどうかは、現状ではなかなかむずかしい問題です。

こんなのもありました。文脈を理解するうえでは重要でしょう。

プー・ルイがダイエット失敗してBiSが燃えてるアレ(あざなえるなわのごとし)

ただし「曲も聞いてないくせに」というのは、あまり関係ないでしょう。ダイエットの歌を歌うのならともかく(本当に歌うのならすいません)。

さて、この件がプチ炎上したのは、PC案件だからにほかなりません。

「当事者同士の問題、ということだけではもう片付けられないんだよ」

というのが、PC推進派の理屈で、もはやどんな映像や音声も残せる時代に、そういうものいいを覆すのはむずかしい時代です。

PC推進側としては、どうもこういうの後に引けないというか、例外は存在しないという考えらしいので、後は実際のパワーバランス(ぶっちゃけPC推進側が飽きるかどうか)で決着が決まっちゃうようなところがあると思いますが。

とくに「ダイエット問題」はフェミニストにとっても重要なイシューなので、一度こじれると面倒なことになるかもしれません(なんとなくここ数日の感じを観ると、ならなそうですが)。

私は「BiSキャノンボール」くらいしか知らなくて(むろん今のグループとは別物というくらいは知っている)、「テレキャノ」が大好きすぎて、観に行ったんですが、「まあ、こういう不穏さ(要するにドッキリ企画的なものを映画にする)」というのがいいと思っているアイドルグループでファンが納得しているなら別にいいんじゃねえの、くらいに思ってました。

(話がテレキャノの話になりますが)
テレキャノのメソッドを使った企画の映像は「メチャイケ」も含めてできるだけ観たんですが、「仕掛けられる側」が主役になっているのは「BiSキャノンボール」だけで、「本人たちが納得しているのならそれでいいのかな」くらいの感想しかなかったです。
それは裏を返せば「本人たちが納得していないのなら、ひでえ企画だな」と思ったということです。
実際、「ここまで着地点がないのか」と思ったことは事実ですね(舞台挨拶でのカンパニー松尾監督も、かなり納得していない様子でした。「まだ編集し直している」とか言ってたし)。
でもよく考えれば着地点があいまいになるのは当然で、「テレキャノ」と違って「仕掛ける側」と「仕掛けられる側」、双方の意識を取り上げるわけだから、そりゃこじれるわな、と。
そんなわけで「BiSキャノンボール」は、成功した作品とは言い難いと思ってます。

で、あれから二年くらい経っていますが、わずか二年で、PCに対する意識はかなり変わってきていると思います。
まあアイドルのダイエット企画を「PC的観点から」観ている人はそうはいないですから、別に問題がなければ仕掛ける側もとぼけたっていいんですが、私がPC推進論者であれば、2017年の段階で「女性のダイエット」について、「当人を追い込んでいるような演出」を見せられたら、「えっ……」って思うとは思いますね。

ところで、「アイドルを追い込む」ということに関して言えば、あらゆるアイドルがそうなわけで、とくにAKBグループがそうなんです。
つまりAKBグループがやってきた「仕掛け」こそが、実は反PC案件なのですが、
あたかも「アイドルとしての世界標準はAKBグループなんだよ」と思わせているのが、秋元康のすごいところです。

だから、AKBのさまざまな企画に関して、直観的に「反PC、反フェミニズムだな」と思って批判されても、
「いつものことだろ」
で流されてしまうことが多い。
あるいは一時炎上して、みんな忘れてしまう。

なお「前田敦子はキリストを超えた」と言っていた学者がいましたが、宗教と言うのは基本的に反PCなので、これ言った学者はそうとうなバカだとは思いますが、バカで前田敦子信者ゆえに、間違ったことは言っていないということになります。

あ、それとさらにつけくわえておくと、マキタスポーツが「悪性のエンターテインメント」という言葉を考え付いて、AKBもその中の一つだと言っているわけですが、彼の言う「悪性」というのは、反PCだということです。
それを「悪性」と名付けて、条件付きで肯定しようというのは、かなりの直観力だと思いますね。

芸人が、「わかってて入った」芸能界について擁護するのは、まあ当たり前のことなんで。

このエントリの続き

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【社会全般】・「日野皓正の体罰問題」

「童貞。をプロデュース」の舞台挨拶問題とともに、こちらもPC(ポリティカル・コレクトネス)問題として、取り上げられるケースが多いだろう。
しかし体罰そのものに関しては、私が子供の頃からさまざまな局面で問題視されており、当然ながら別に今、始まった問題でも何でもない。
ではどのように体罰に対するとらえ方が変わったのか、駄文を書き連ねたい。

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【社会全般】・「童貞。をプロデュース問題」

昨日、一昨日と、意にそわぬ形で大散財してしまった。
別にキャバクラでぼったくられたと思われても、十数万円もするトランスフォーマーのスタチューを買ってしまったと思われてもかまわない。
それと、心無いことも言われた。
辛い。

辛いついでに、現時点での「童貞。をプロデュース」をめぐる騒動について勝手に書く。
ちなみに、大前提として私はこの映画を観ていない。

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【イベント】・「9月1日(金)「かに三匹&新田五郎のアニメとマンガのマニアックな話をユルく語る会Vol.7」

9月1日(金)
「かに三匹&新田五郎のアニメとマンガのマニアックな話をユルく語る会Vol.7」

タイトルまんまの超絶ゆるいイベントが好評につき第7回!!
今回からお互いに大ネタ1本の持ち込み企画も発表!!
お互いの語りたい「キーワード」を2時間かけてユルユル消化していきますww

<かに三匹キーワード>
「”有名人”と飲んだときにどこまで言っていいのか問題」
「おそ松さんの新作は楽しみだけど、BLは知ったかぶりで語ると怖い」

<新田五郎キーワード>
「自分の同人誌処分問題」
「秋元康の歌詞問題」
かに三匹(大ネタ)
「夏の原稿締め切り地獄」
新田五郎(大ネタ)
「オタクをやめるとは?」
映像や画像も気の向くままに紹介します。

客入れ(19:00〜19:30)
「新田五郎の好きな中途半端映像を流す」
【出演】
かに三匹(これがホントの神アニメ)
新田五郎(ふぬけ共和国)
OPEN19:00/ START19:30
前売り¥1500 / 当日¥1800(共に飲食代別)
前売り予約は、下記予約フォームまで
※「お名前 / チケットの枚数 / メールアドレス / 電話番号」をご明記ください。
お問い合わせ:090−2588−9905(担当:奥野)

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【オタク】・「正義を問わないのなら、ヒーローものなんて見なくていい」

実は、まったく好きではない勧善懲悪のシリーズものがある。好きではないのですべてを鑑賞して論評することもできない。ただそれが絶賛されるさまを、横目で眺めているだけである。

また、別のことも過去にあった。
ある人が言っていた。
「鉄人28号」で、正義の正太郎くんの側につくか、悪の組織につくか選ぶのだったら断然、悪の組織だ。そっちの方がずっと楽しそうじゃないか」

まあ、「鉄人28号」のシリーズというのは、いちおう勧善懲悪ものだが、そもそも「正義とは? 悪とは?」を問うような話ではない。よく言われる「リモコンを使うものによって鉄人は正義にも悪にもなる」というのも、形成が「リモコン」をきっかけにたやすく逆転するストーリーの面白さを表現したかったということだろう(原作の「バビル二世」でも、三つのしもべはヨミも扱えるという設定になっている)。
別に「鉄人」において、「何が善で、何が悪か」は明朗すぎて疑うところはない。

とは言え、「勧善懲悪モノ」は文字どおり、善をすすめて悪を懲らしめるものである。これは絶対的なもので、いかに定型を崩そうと、あるいは定型どおりにやろうと、この「勧善懲悪」の部分から目をそらしたら、それは「ものすごく面白い物語」であるのかもしれないが、「勧善懲悪もの」ではないのである。

私の経験上、オタクはすれっからしというかひねくれているというか、「勧善懲悪モノを好む」のが性癖であるようで、実はまったくそんなことはない。
こだわっているのは私くらいのものであり、いつも孤独を感じている。

ハリウッド映画を観ていると、「勧善懲悪」ということにかなり意識的だ。
半可通を承知で言えば、これはキリスト教などの「唯一神」と「個人」が対峙するという、文化的な背景があるように思う。

だから「バットマン」は、彼にとっての「神」である、「正義(むろん彼にとっての)」に準じている存在である。
彼は自分の行動に際し、常に自分の心の中の「正義」を参照しているのだ。
人気のスパイダーマンも、「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのを価値基準にしているようだ。
「責任」をまっとうすることが、スパイダーマンにとっての正義ということだ。

対するに、日本人にはこういう「戒律」的なものはそぐわないようだ。
実は日本で人気のヒーローものでも、精査していくと結構いいかげんであったりする。
こうした、日本におけるヒーローの「正義論」については、戦後の作品に関して言えば「日本自体が先の戦争で悪いことをした(とされている)」ことが根底にある。何も考えていないような作品にも、それがある。
だから、「世界の警察」とか言っていたアメリカとは、事情が違う。

しかし、それすらも考察の対象にはなっていないことが多い。
巷のヒーロー論を読むと、日本のヒーローものが好きな人は、「ヒーローの倫理観」みたいなものに無頓着な人が多い気がして、本当にウンザリする。

当然だが、「勧善懲悪」そのものに興味がないのなら、勧善懲悪ものは観ないでもらいたい。
あくまでも「勧善懲悪とは何か?」をベースにしないと、ヒーローものを論評する意味は半減する。

それがわかっていない人が多すぎる。

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【社会全般】・「えっ、韓国領事館にベトナム反戦像?」

8・15在福岡韓国領事館前“ベトナム反戦像”設置にあたっての韓国向け声明(「我々少数派」)
外山恒一の声明文。
知的ユーモアというのは、こういうことを言うのだろうな。
海外ではたまに、こういう「知的、かつ政治思想への問題提議的なパフォーマンス」の存在を耳にするが、日本ではこの人くらいしか実践者はいないのではないか。

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【オタク】・「オタクを始めることにも、やめることにも意味なんかない」

オタクがオタクでなくなるとき 「ヤメヲタ」はオタク活動を終止するとき何を遺すか(山本一郎、文春オンライン)
「だれかがオタクをやめる」ことで、他のオタクたちは言いようのない不安に包まれるらしい。
44歳の山本一郎にとってはそうなのかもしれないが、50歳の私にとっては、どうでもいいことではある。
そのことについて語りたい。

まず、「オタクをやめる」ことについて語るには、「オタクを始める、続ける」ことの意味について考えなければならない。
で、私の考えでは、別に何の意味もない。
趣味なんだから。

実はそこにこそ、まず第一のトリックがあるのだ。

「オタクこそ、実はエリートなんだ」的な言説をばらまいたのは、岡田斗司夫だと言っていいだろう。
それまでにも、オタク擁護に尽力した人はいる。大塚英志の功績は小さくないと私は思っている。宅八郎だっていた。他にも、目立たないがいとうせいこうなどはオタクに関して重要な発言をしている。
が、ここでは置こう。

で、岡田斗司夫が95年に「オタク学入門」を出した年というのは、宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件から数年が経ち、ようやく「オタクイコール危険で気持ち悪い」というイメージから、何かアクションがあれば脱却できそうな時期だった。
だから、「オタク学入門」は、プロパガンダの書であり、今読むとおかしなことがたくさん書いてある。
だが、それは「オタクイコール気持ち悪い」イメージからの脱却のために書かれたため、仕方がない部分もある。

「気持ち悪い」というイメージが、そもそも、「オタクはアニメやゲームを愛するかぎり、そこから抜けられない」ということを意味していた。中島らもは引きこもりのイメージがある「おたく」とは逆の「おそと」なる言葉も編み出したが、やはり「脱却不可能」というイメージを感じたのだろう(定着はしなかったが)。

岡田斗司夫はオタクに関する負のイメージを逆転させるために、いろいろな策を弄したわけだが、そのため「逆転したオタク像」は、求道的で、まるで修行僧や武道家、お茶やお花のような「道」としてとらえられた。
実はここから「錯誤」が始まっている。
だって、オタク趣味って、趣味なのだから。

それまでの「大人の趣味」であった、切手集め、盆栽、囲碁、将棋、釣り……。どれも、「脱却不可能な道だ」と唱えられたことはなかったはずである。

というより、「オタク趣味」は「それ以前の趣味とは違う」という差別化を図らなければならなかった。なぜか。
「新しいライフスタイル」として売り出すためだ。
だれが何のために、というのはいろいろややこしいので置いておく。

おれは岡田斗司夫なんか関係ない、彼のことなんか昔から嫌いだった、何の影響も受けていない、という人たちも、オタクを「道」ととらえている点は同じである。

そうじゃないのだ。
ただの趣味なのだから。

「ただの趣味」なら、やめようが、やめてからまた始めようが、個人の勝手である。

「オタク趣味の情熱は、必ずしも年老いてから持続しない」と言うが、そんなのは当然である。
趣味なのだから(しつこい)。
そうでなくても、仕事だって、情熱を四十代、五十代になって持続させている人ばかりかどうかはわからない。

それと「オタク趣味を持続させるかどうか」は、結婚や子育てと関わってくる。結婚したり子育てするようになれば、趣味にさく時間は確実に減るからだ。
だが、ここの点でも、別に結婚や子育てに当てる時間と趣味の時間が、等価交換になるわけではない。

ここで注意してほしいのは、私が「だから結婚しても子供が生まれても、オタク趣味は続けられる」と言っているわけではない、ということだ。
別にやめてもいいんじゃねえの、と言いたい、ということである。

「オタク趣味をだれかがやめると、オタク仲間に不安が広がる」などと言うのは、
不安商法とまでは言わないが、それに近いものを感じる。
本来、ほぼどうでもいいことなのだから。

オタク的趣味を持続させることは果たして「求道」なのか? ということから、まず考えた方がいい(余談だが、小池一夫のツイートにおけるオタク擁護も、この「求道精神」が垣間見える)。

求道なら、オタク趣味に一生を費やした後、虚無感しかない、ということはないはずだし、求道でないなら、イヤになったり無理が生じたら、やめてもいいはずである。
宗教じゃないんだから、途中で投げ出したって地獄に堕ちることはないだろう。

それだけの話だ。

まあ、気楽にやろうよ、ってことである。

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【同人誌新刊】・「ぶっとびマンガ大作戦 Vol.21」(WAIWAIスタジオ)

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一般的評価の対象外となってきた、主に70~80年代のマンガを紹介する本です。

夏コミで頒布予定。
スペースナンバー:U 05b
サークル名:WAIWAIスタジオ

まあだれでもそうでしょうが、つくるのに苦労しました。
買ってね!!


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