日記・コラム・つぶやき

ウッピピ太郎のだいぼうけん

ウッピピ太郎の大冒険
年齢は48歳
無職
怒ると泣く
そんな彼が 恋をした
鈴木あみのバックコーラスをやっている プライド高そうな女に
でも 三分後にその恋は冷めてしまった
その人が野グソをするのを
観てしまったから……
いかも東京のど真ん中
三宿のこじゃれたバーの前で

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【サブカル】・「鬼畜系とは何だったか」

ロマン優光氏の論考に、ほぼ違和感はない。
雨宮かりん氏に対する考察も、同意できる。
しかし、「鬼畜系90年代サブカル」は、80年代や70年代にはさかのぼれないのだろうか?
むろんさかのぼることができる。90年代の「悪趣味ブーム」には各ジャンルに立役者がおり、その人たちの業績を否定するものではないが、同じようなものは80年代にも70年代にも60年代にもあった。

たとえば80年代のスプラッタムービーのブーム。あるいは平岡正明は映画「フリークス」を(彼流に、カクメイの一端として)持ち上げていたようだし、団鬼六や山田風太郎、刺青、少年愛などについての評論を、文章で行った。

「残酷時代劇」(「駿河城御前試合」のような)の流行も、かなり前の話だ。「ウルトラマン」で怪獣がスパスパとコマ切れにされ、流血する描写は残酷時代劇映画の影響と言われている。

いや別に「過去にも似たようなものがあったよね」と、「似たようなもの思い出し合戦」をしたいのではない。

これらの「似たようなもの」は、80年代でも70年代でも60年代でも、その存在意義はみんな同じだったと思うから、ここにわざわざ書くのである。

ちなみにポリティカルコレクトネスだって今に始まったわけではなく、私が勉強した範囲では60年代後半からある。

60年代後半からあるということは、そのカウンターもあり、そのカウンターの一部が、同時代の「悪趣味系」だったのだと思う。

すなわち、いつの時代でも「悪趣味なもの」は、ロマン優光氏が言うように、「だれかが勝手に決めた『普通という基準』への反逆」という要素があった、ということである。

繰り返しになってしまうが、「(鬼畜系を内包する)悪趣味」が内包する問題意識自体は、私の知るかぎり、60年代終わりから始まっているのではないかと思う。この辺の流れを見ない限り、90年代の「鬼畜ブーム」も浮かばれないだろう。

村崎百郎氏が生きていれば、もっとずっと明確に解説してくれたのではないかと思うが……。残念だ。本当に。

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【イベント】・「ネタ的なものは一切見せずに、オタクトークだけする会」第四回

「ネタ的なものは一切見せずに、オタクトークだけする会」第四回
日時:2018年6月16日(土)18:45開場、19:00開演
入場料1000円(当日のみ)
場所:中野Mスタジオ
(不動産屋のとなり、電話ボックス向かい、地下一階)
出演:新田五郎、ゲスト:小杉あや(世界グラニュー糖協会副会長)

会話のキャッチボールによって、人に聞かせられるオタクトークライブをする……それが新田五郎の悲願のひとつです。
今回ひさしぶりに、そんなネタいっさいなしトークライブです。
ゲストは、第一回のゲストだった小杉あやさん。前回は主に80年代のことを聞いたので、今回は80年代後半から現在まで(広い)、それか70年代のオタク出現以前のことを、お互いに話そうかなと思っています。
よろしくお願いします。

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【イベント】5月24日(木)ついに10回!!「かに三匹&新田五郎のアニメとマンガのマニアックな話をユルく語る会Vol.10」

「われわれの仲間である江戸栖方が逝去しました。
慎んで冥福を祈ると共に生前を偲んでコーナーを設けて語りたいと思います。」
(かに三匹)
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タイトルまんまの超絶ゆるいイベントです。
お互いの語りたい「キーワード」を2時間かけてユルユル消化していきますww
<かに三匹キーワード>
「リズと青い鳥というアニメ映画」
<新田五郎キーワード>
「ぶっとびマンガ小ネタ紹介」
かに三匹(大ネタ)
「韓国アニメ大全発売して半年間で起こった事」
新田五郎(大ネタ)
「忘れ去られてゆくオタク史について」
映像や画像も気の向くままに紹介します。
なんと今回は、初めてのゲスト出演者もあり!
追悼コーナーも含め、熱く語りたいと思います!!
【出演】
かに三匹(これがホントの神アニメ)
新田五郎(ふぬけ共和国)
【ゲスト】
バッドガイナベ

【時間】
OPEN19:00/ START19:30
☆客入れ(19:00〜19:30)
「新田五郎の好きな中途半端映像を流す」
【入場料金】
前売り¥1500 / 当日¥1800(共に飲食代別)
高円寺パンディット

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ブログやめようかな~と思ったり思わなかったり

もうブログ的なこと(テキストサイト的なことも含めて)からずいぶん長い間、テキストをネットに書いてきたが、ほとんど何のメリットもなく、クソリプが来るのはまだいい方で、思いもよらなかった人物がコメントも感想も、いや「読んでますよ」という報告もくれず、ただじっと文章を読み続けてきて、突然自分が気に食わない感想に出くわすと、リアルで会ったときに、
「いやぁ、それは違うなぁ」
とか言い出すんで死ねばいいんじゃないですかね。

それとオタクサベツの話ね。
あ、最初に行っておくと野間さんの「在日特権の虚構」という本はいい本ですよ。「在日特権」について興味があったら最初に読むことを勧めます。
で、野間さんがオタクがきらいだなんて、ウィキペディアでプロフィール読んだだけで、「オタク嫌い」なんてわかるでしょ。
私は年齢的には彼とタメか一個下。
多感だった中高生の頃、オタク第一世代(私より8~10歳以上年上の人たち)は、ダサいと言われようと何だろうと、「自分たちは最先端の、やるべきことをやっている」という自負があり、それは基本的に「モテないこと」だったわけで、「モテないことをやって充足している男」を、ホモソーシャル的に、マッチョ的に認められない男、というのがこの世代には一定層、いるんですよ。
まあ野間さんがそのような理由だけでオタクをディスっているわけではないのでしょうが、でも別にぜんぜん不思議じゃない立場の人なんですね。

それより、その論争の相手をした人たち、「オタク史」について勉強していなさすぎる。そりゃ「人権問題」ということになれば、超歴史的になり、時の流れなんか関係ない、とにかく今だということになるけど、じゃあ今まで積み上げられてきたオタク論ってなんだったんだと思う。

……と、ここまで書いて憂鬱な『気分になってきた。
というのは、室井卯月がアキバブームの頃にすごいオタク批判をしていたんだよね。しかもその新聞記事では、理由がわからないの。
たぶん、この人も「異性にモテないことをやって堂々としている人」というのが許せないタイプの人なんだと思うけどね。

室井卯月は、当然セクハラ反対だと思います。じゃあいったいどういう手続きで異性を口説くのが「正しいのか」について、言及できなければいけない。「そんなことは実地で学ぶものだ」って言いそうだけど、実地訓練でセクハラ認定されてお縄になったら目も当てられない。

室井(呼び捨て)は、いわゆる「世間知」でのしてきた人だと思う。だからへりくつを並べ立て、セックスに興味ありませんという顔をしている一部のオタクが許せないのだろう。

ここまで書いて、このテキスト、失敗でした。

人類は滅亡すればいい。
ウサギだけ生き残ればいい。

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【特撮】・「異次元人好きから観た ウルトラマンA第23話 「逆転!ゾフィ只今参上」

【特撮】・宇宙人好きから観た「ウルトラマンタロウ 第36話「ひきょうもの! 花嫁は泣いた」
そして、【特撮】・宇宙人好きから観た「ミラーマン 第2話「侵略者(インベーダー)は隣りにいる」に続き、超常現象のハイストレンジネス事例が好きな人が好きそうな特撮をメモっておくという、私の仕事です。

景気のいいサブタイトル「逆転!ゾフィ只今参上」とはまったく違う、奇妙で奇怪な物語が展開される。
薄汚いが、どこか仙人のようにもみえる奇怪な老人が、子供たちを扇動する。

「お前はお前を信じなさい。ホレ信じなさい。ホレ信じなさい。
 お前はオレを信じなさい。ホレ信じなさい。ホレ信じなさい。」

奇妙な歌を流行らせ、子供たちは彼に着いていく。
北斗は海辺(XYZ地点)で、老人と子供たちが消えてしまうのを目撃する。
そしてその後に、雪が降ってくる。

体験したとおりのことを、TACの隊員たちに告げても、南夕子以外はだれも信じてくれない。
「ウルトラマンA」という作品は、この「目撃事例をだれも信じてくれない」というシチュエーションが、少なくとも23話までに非常に多いのだが、このエピソードでは特大級の「信じてもらえない状態」が展開されるのである。

TACの隊長、隊員たちに、TAC基地で自分のハイストレンジネス体験を必死で話す北斗役の高峰圭二氏は迫力がある名演だと思う。

他の方のブログなどでも、この作品の奇怪さについては語られているので詳細は省く。
が、私がとくに面白かったのは、「子供たちが消える現象」が海外でも起こっているとして、外国語(英語ではなかったはずだが忘れた)で、植木等の「学生節」の替え歌だという、「お前はお前を信じなさい。ホレ信じなさい。ホレ信じなさい。」が歌われているという点である。
あまりの奇妙さに爆笑してしまう人もいるかもしれないが、私は少し感心してしまった。

ラスト、消えた子供たちが空から降ってくるシーンも、なかなかヤバい。

「だれにも信じてもらえない奇妙な体験を表現する」という点において、ハイストレンジネス現象の好きな人は、観て損はないと思う。

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精神

ひらめいたので、忘れないうちに書いておこうと思う。
ここ4、5年、マンガを読む気が起こらず、自宅には溜まる一方。
とくにオタクではない人にこのことを話すと、「コレクターのあるある話」としかとらえれないんですが、私としてはかなり深刻な問題だったのです。

ちょっと話を変えます。
私は、「私が何かしら、メディアに接して、どれくらいリラックスできるか、気分転換できるか」ということについて考えています。
私個人の話なので、他人には通用しないでしょう。

で、「気分が落ち込んでいるとき」に、鑑賞してその気分が転換する率がいちばん高いのは、「映画館で映画を観ること」です。
でも何でもいいというわけではなく、面白くて、こちらが前のめりになって見られるような題材にかぎります。
もちろん面白いかどうかは私の独断ですが。

つまらなかったり、イヤな気分になったりすると、何時間も「イヤな気持ち」が継続するのも映画です。

ゲームも気分転換になりますが、同時にやり続けることのストレスを感じるのが正直なところです。

テレビのなんてことのないバラティが、すごく気分転換になることもあります。私がテレビバラエティを重視しているのはこの点にもあります。
ただし、あからさまに「気分転換してください」的な番組は個人的にダメなんですよね。土日や早朝、深夜にやっているリラックスさせる前提の番組がそうです。

そしてマンガや本。
これらは、ある程度自分自身が能動的にならないと楽しめないことがわかりました。
「落ち込んでいるけど、マンガや本を読んで気分が逆転した」という経験は、実はほとんどありません。

あらかじめこちらに「読むぞ!」という、はたらきかける部分がないとダメなんですよ。

で、私の「精神状態」を考えたとき、自分自身で「これが平常心だ、普通の状態だ」と考えているより、もう一段、二段、気分がアッパーになっているのが、たぶん普通なんだと思います。
そこまで持って行かないといけないんだと思います。

普通の人は、何のストレスもなくマンガを読んでいるわけですから、私がその境地にいたるには、気分をもう少しあげていかないといけない、っていうことです。

もっと言ってしまうと、それくらいの気分、精神状態になることが、あるべき生活だと思います。でないと間違っていると思う。社会が。

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【テレビお笑い】・「みなさんのおかげでした 最終回」

テレビ

「みなさんのおかげでした」最終回
10分遅れくらいで、思い出して視聴。
「野猿」結成から大ブレイク、解散まで、後半はビッグゲストとして松田聖子を呼ぶという、「うたばん」のパロディなのかな? 歌番組的な構成。
最後は今のとんねるず二人が歌う「情けねぇ」で締め。

個人的に私の「とんねるず」に対する興味は90年代前半くらいまで。
電気グルーヴが90年代初頭、自身のオールナイトニッポンでかなりとんねるずをディスっていた記憶がある。もともと嫌いだったのか、そうでないのか知らないが、90年代初頭にすでにとんねるずは「ヤバいくらいの最先端」ではなくなっていた、という評価なら、当時の電気と私は同意見である。

そんなわけで、90年代後半から2000年初頭の「野猿」大ブームの頃は、まったく知らない。「男のアイドル(?)」に興味がゼロだったこともあり。
「裏方を表舞台に引っ張り出す」という手法も、「オールナイトフジ」などの番組を知る自分にとってはすでに何周かした手法であり、そこで興味を持てるものではなかった。

番組最後の曲が「情けねぇ」(1991年)だったのは、単に「ラストっぽいから」以上の意味はないと思われる。
この歌については、当時ナンシー関が「長渕剛のパロディソングであるはずなのに、何も知らない層が『いい曲』などと言って誤解するのが困る」と書いていた記憶がある。
しかし「情けねぇ」が本当にただのパロディソングだったのかには疑問がある。というのは「雨の西麻布」も、パロディ演歌(正確にはパロディ歌謡曲?)であったのに対し、マジメに受け取っていたファンも多かったからだ。
秋元康とそのブレーンは、リリースするものを「マジとしても、パロディとしても受け取れる」というしかけには意識的だったのではないか。
そしてナンシー関もそれに気づいていて、あえて「情けねぇを本気で支持する層」を見て見ぬふりをしていたのだと思われる。

むしろ、秋元康が突然(のように思える)書く、プロテストソングというか社会批判、愚民批判みたいな歌詞はいったい何なのだろう(「サイマジョ」、「不協和音」しかり)。
そっちの方について考えるのは、面白いかもしれない。

なお「矢島美容室」に関しては、まったく意味がわからなかった。ちなみに映画版は地獄のような出来である。観ると死にます。

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【映画】・「ブラックパンサー」ネタバレあり

映画「ブラックパンサー」ネタバレあり

すでに町山さんとかが、私が以下に書く観点から言及しているかもしれないが、映画「ブラックパンサー」は、私がここ10年くらいいろいろとスーパーヒーローものの映画を観てきて、「ウォッチメン」とか「スーパー!」みたいなメタ色の強いものを除いては、最も「普通の人々が一般的に考える『革命』を『ヒーローの敵』として描いた映画」として、実にスリリングだった。

どうやって落とし前を付けるのかと思ったら、
・敵(従兄弟)は復讐の鬼と化しているので、成功率が低く犠牲も多い武力革命を、その成否にかかわらず遂行しようとしている。
・従兄弟はもともと、政府を混乱させ破滅させるプロで、父の持っていた大義を体現することよりも、ソッチ寄りの悪人らしい
以上の二点で、主人公の大義に整合性を与えていた。

しかし、実は本作で最も思想的にてごわいのは、いちばん最初に殺されたおじさんだった。だからこそ、だれもがあのおじさんの亡霊に悩まされる。

そして、最後は彼の鎮魂のために主人公は行動する。

そう言った意味で、かなり面白い作品だったのだが、「アメリカっぽいな」と思うところもある。
それは、おじさんも、その息子も、「世界中の抑圧されたアフリカ系民族」のために戦おうと思っていたということ。

つまり彼らは抑圧された白人やアジア人のことはどーでもいいと思っているのである。
というか、かなり無邪気に「白人やアジア人は、すべて救われているじゃないか」と断定している(ように、私には思えた)。

ま、そんなところも面白いっちゃ面白かった。

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・「怖すぎる永井豪 ススムちゃん大ショック編」(2018、徳間書店)

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ここではやはり「ススムちゃん大ショック」(1971年)だろう。ちょっと筒井康隆の短編っぽいところもあるのだが、逃げのびてくる子供たちの描写などは、まさに永井豪という感じである。
「永井豪がよく描いていた子供対大人」というモチーフをホラー仕立てにするとこんなに怖くなるのか、という印象。タイトルも実にいい。
ミストストーリーから「雪」、正統派グロホラーで良い。「乳房の思い出」、そこはかとないエロチシズムが良い。名作ではないか?
「真夜中の戦士」(1974年)は、若い人が読むと多少古く感じるかもしれないが、個人的には寓話的で悪くないと思う。

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