歴史・時代劇

「モ一度やろう」 [Kindle版] 全2巻 石ノ森章太郎(1982年、少年キング連載)

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1982年、少年キング連載。単行本化されていなかった(全集には収録)ものを、ようやくkindleで読めた。
幕末を舞台にした、意図不明の(?)ギャグマンガ。

時は1862年。赤ん坊の頃、異母寺(いぼじ)の前に捨てられていたモ一(もいち)は和尚さんに育てられ、発明好きの決してめげない少年に成長した。
異母寺は京都にあるため、ひょんなことから坂本竜馬と関わり合いになり、竜馬の敵だということで新撰組と小競り合いを繰り広げることになるモ一。彼は得意の発明で、いきがかり上、竜馬や桂小五郎を助けるのだった。
そんなモ一のピンチに駆けつけるのが、海外から日本美術の勉強に来た美少女・ジャジャミィ・ティングこと「グラマー天狗」で、孤児のモ一の世話を小さい頃からあれこれやいてくれたのが近所に住んでいるお美代ちゃん、というダブルヒロイン。
「芹沢鴨殺害」や「寺田屋事件」などの歴史的事実は描きつつも、基本的にはナンセンスギャグが繰り返されるという、謎の「リアリティライン」を持った作品である。

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【映画】・「ヘラクレス」

監督:ブレッド・ラトナー

ゼウスと人間の子、ヘラクレスが大昔に大暴れ。
以下、ネタバレあり。

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【雑記】・「時代劇で思い出したこと」

「時代劇はなぜ滅びるのか」を読んで、思い出したこと。

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【書籍】・「なぜ時代劇は滅びるのか」 春日太一(2014、新潮選書)

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かつて隆盛をほこった「時代劇」がなぜ滅びつつあるのか、に関して取材、調査を通して考察した本。
考察対象は包含的で、時代劇がつくられる環境(スポンサー含む)、プロデューサー、役者、脚本などひととおり言及されている。
とくに「時代劇イコールマンネリ、そして高齢者向けの娯楽」というイメージの代表であるドラマ「水戸黄門」が、業界特殊事情によってつくられ、また延命していたというのは知らず、興味深かった。
それにしても、序盤、中盤くらいまで冷静だった筆致が大杉蓮の悪口あたりから激しくなってゆき、最終的に「利家とまつ」、「江(ごう)」の説明で執筆時、キーボードから煙が出ていたのではと思わせるほどの怒りを感じさせた。
「基本的に時代劇はけなさない」という研究家としてのスタンスを放棄したらしく、決意が読み取れる。

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・「三国志ジョーカー」全5巻(完結) 青木朋(2010~2013、秋田書店)

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時は中国の三国時代。
司馬懿仲達に何かとちょっかいをかける謎の男・孔明。彼は、実はある目的を持って未来からやってきたのだ。
彼の目的とは……?

以下、ネタバレありの感想。


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・「大飢饉」全1巻 本宮ひろ志(1983、集英社)

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天明二年。蘇助、弥二、捨蔵の少年三人は、長男ではないため、「自分たちの土地」を開墾して生きていこうと日々、がんばっている。
とくに捨蔵は、村人へのルサンチマンが強く、何かと三人のリーダーシップを取ろうとする。
蘇助は、自分の土地を持っておさななじみの少女・八重と結婚することを夢見ている。
ところが、そんな三人をあざ笑うかのように、「天明の大飢饉」が襲ってくる……。

初出は週刊少年ジャンプ1981年4・5号~6号だそう。
一読して、「パニックもの」として飢饉を捕えて描く手法がうまく、キャラクターも立っていて、本宮ひろ志のマンガのうまさが堪能できるが、リアルタイムの少年読者には陰惨なストーリーと「土がゆ」という、土からつくるおかゆのことのみが印象を残しているようだ。

確かに、読後の感想は「70年代っぽい作品だな」ということで、不平等に対する恨みつらみや、「苦しくても強く生きていく市井の人々」というテーマは70年代そのものだ。だが本作は81年の作品。そうしたテーマが好まれる時代は、当に過ぎ去っていた。

……にしても、忘れ去られるにはおしい作品だ。とくに本宮ひろ志の、(本人が映画が好きかどうか知らないが)「映画的に、キャラを立たせて描く」方法は、もっと思い出されてもいいのではないかと思う。

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・「夜叉神峠」 全3巻 小池一夫、政岡としや(2005、小池書院)

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1976年、ヤングコミック連載。
(以下、うろおぼえあらすじ)家康が天下を平定後、武田家の部下だかなんだかの家の下男として生きる青年・他呑一八。
彼は貧弱な体つきで体力もなかったが、山に住む謎の武士から、「動き回らなくても敵を倒せる剣法」の手ほどきを受ける。
そして、彼こそ武田家の子孫であり、「夜叉神峠」には武田の財宝が隠されているから、それを使って武田家を再興しろと言われる。

天下を取るには、最高の美女を権力者に差し出すしかない、とある人物に言われた一八は、美女探しの旅に出るのであった。

「武田家再興」というと、吉川栄治原作、永井豪作画の「戦群」を思い出す。このテの話は、すでに歴史上「武田家は再興していない」という事実が決定してしまっているため、どのようなおとしどころにするのかが読者の興味の対象となる。
が、本作の場合、「美女を見つける旅」はどんどん横道にそれ、最後まで横道にそれて終わってしまう。

決してつまらなくなはないが、「小池一夫王道パターン」としてはちょっと中途半端かもしれない。

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・「変身忍者嵐 外伝」全2巻 石ノ森章太郎、石川賢(1999、大都社)

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1972年、冒険王連載。石川賢作画。

石森版と違い、展開はテレビ版にある程度忠実であるという。
それにしても、驚かされるのが随所で炸裂する残虐描写だ。70年代の子供向けエンタメの残虐描写については、その歴史的背景を論じなければいけない。
しかし、いろいろ考え込んでしまったのは本作をイベントで紹介しようと思ったら、やはり残虐描写にスポットを当てなければならないだろう、ということだ。

「昔はヒドかったんですね」で説明を終わらせたくないのだが、若い世代は誤解してしまうかもしれない。ここが紹介における悩みどころだ。

なお、70~80年代の残虐描写と現在のそれとは違っている、というのが私の見解だが、書くと長くなるのでやめます。

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・「新・変身忍者嵐」全1巻 石ノ森章太郎(1998、大都社)

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「希望の友」1972~73年連載。
基本設定は少年マガジン版と同じ。
「希望の友」、確か学研の学習雑誌と同じく、配達してくれるタイプの雑誌ということで、数多くの児童マンガが連載されていたらしいが実物を一回も観たことがない。

この「変身忍者嵐」、石森時代劇を堪能するならマガジン版だが、面白さから言ったらこの「希望の友」版に軍配が上がるではないだろうか。
月刊誌掲載のためだろうが、毎回のメリハリが実に効いている。

ごくたまに話題になる衝撃の最終回については、単に「ひっくり返すためのどんでん返し」であって、あまり意味はないように思われる。
なにしろ、「マガジン版」以上に丁寧に描いていた「化身忍者」の設定を、最後にまるごとひっくり返してしまうのだから。

ただし、忍者もの特有の「荒涼とした感じ」に通じるところはある気がする。

なお、マガジン版も一種のどんでん返しで終わるが、こういう終わり方、当時流行っていた気がする。

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・「変身忍者嵐」全2巻 石ノ森章太郎(1997、大都社)

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1972年、少年マガジン連載。
江戸時代、謎の忍者集団・血車党はハヤテの父から動物の力を我が物にできる「化身忍者」に変身する秘法を手に入れ、日本支配をもくろむ。
父によって化身忍者に改造されていたハヤテは、刀のツバを鳴らすことによって「変身忍者嵐」に変身し、化身忍者を残らず倒すために立ち上がった。

子供の頃、慣れ親しんだ「嵐」だが、内容はほとんど忘れてしまっていた。今読むと、いろいろと興味深い要素がある。
70年代前半というと、忍者もの、伝奇時代劇が新作として視聴者に普通に受け入れられる、ギリギリの年代だったのではと思う(同時期に「快傑ライオン丸」とかもやってたが)。

もともと子供向けだったせいか、このマンガ版では伝奇ものとしての要素はほとんどなく、実在の人物がからむということもない。
何しろ、「なぜ変身できるのか」の理由さえ描かれない。ただひたすらにストイックに、ハヤテが化身忍者を倒していく過程が、石森独特の情感あふれる時代劇描写で描かれる。ヒロインもほとんど物語にからまない。

化身忍者は首を切り落とさないと死なない、という設定になっており、全体的に残虐風味。ちなみに、同時期のマガジンには永井豪が「デビルマン」を連載していた。

ラストも「忍者もの」の終わり方にふさわしい、荒涼とした感じで終わる。
本作はヒーローものというより、忍者ものの文脈で語られるべき作品だろうと思う。

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