ホラー

・「怖すぎる永井豪 ススムちゃん大ショック編」(2018、徳間書店)

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「ススムちゃん大ショック」、「真夜中の戦士(ミッドナイトソルジャー)」、「野牛のさすらう国にて」、「シャルケン画伯」、「宇宙怪物園」、「遺品」、「蟲」、「ミストストーリー 雪」、「ミストストーリー 乳房の思い出」、「豪ちゃんのふしぎな世界」収録。
ここではやはり「ススムちゃん大ショック」(1971年)だろう。ちょっと筒井康隆の短編っぽいところもあるのだが、逃げのびてくる子供たちの描写などは、まさに永井豪という感じである。
「永井豪がよく描いていた子供対大人」というモチーフをホラー仕立てにするとこんなに怖くなるのか、という印象。タイトルも実にいい。
ミストストーリーから「雪」、正統派グロホラーで良い。「乳房の思い出」、そこはかとないエロチシズムが良い。名作ではないか?
「真夜中の戦士」(1974年)は、若い人が読むと多少古く感じるかもしれないが、個人的には寓話的で悪くないと思う。

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・「怖すぎる永井豪 くずれる編」(2018、徳間書店)

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70年代から2002年くらいまでのホラー短編を収録しているが、70~80年代のものが多いか。
「くずれる」、「白い世界の怪物」、「DON!」、「サタンクロース」、「霧の扉」、「ミストストーリー 面」、「永井豪の霊界探検」、「思い出のK君」所収。

永井豪の短編はざっくり分けて「自分は何者なのか?」という自問自答、あるいは「この世界は本当にまともな世界なのか!?」という世界への懐疑、を題材としたものが多い気がする。

表題の「くずれる」は、まさに自身のアイデンティティと世界への疑問を同時に表現した作品。
「思い出のK君」は、何度も短編集に収録されているが、「マジンガーZ」ファンは必読(ホラーではない)。

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・「宜保愛子の学校のこわい話」全3巻 宜保愛子、東堂洸子(1995、講談社)

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霊能者・宜保愛子の原案で、「学校の怪談」的な恐怖を描く連作短編集。
まあ内容的には想像どおりの女児向け恐怖マンガで、それ以上とは言い難いのだが、かといってつまらないかというとそうでもない。
ヒロインのあいこ(小学生だったり中学生だったり)は霊が見える少女で、霊はなんらかの自身の恨みを主張したくてあいこの前に登場する。あいこは彼ら、彼女らの代弁者であることが多い。
つまり、本作での霊は現世ではしいたげられてきた者、無視されて来た者たちであり、霊となって初めて発言権を得る。
一種の勧善懲悪ばなしだが、ときおり「オチのない怪談」が入っており、計算なのかそうでないのかわからないが、なかなか心にくい構成である。

ただし、宜保愛子自身の戦争中の体験を基にしたエピソードは、正直弱い。それは逆に言えば「戦争」に対して大半の人がどう思っていたのか、がほぼ同一であるということを意味する。戦争において「意外性のある死」や「死んで思い残すこと」にはそれほどの差はないのであり、そうした大量死を目の当たりにしたことが、宜保愛子の「霊能力」に影響を与えていたということは、考えられるだろう。

なお、宜保愛子の霊視に関する「愛あるデバンキング」としては「ギボギボ90分!」[amazon]という本があるので、強くオススメする。

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・「岸辺露伴は動かない」全1巻 荒木飛呂彦(2013、集英社)

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週刊少年ジャンプ、ジャンプSQなどに掲載。
「ジョジョの奇妙な冒険」第4部に登場するスタンド使い・岸部露伴を主人公としたスピンオフ作品。
ホラー色の強い作品が五編、紹介されている。

「ジョジョの奇妙な冒険」は、連載から数年は「北斗の拳」や「魁! 男塾」などと同様のマッチョテイストな少年バトルマンガだと、読者からは思われていた。
いわば「体育会の部室にも転がっていそうな娯楽マンガ」だったわけだが、いつしか超・長期連載となり、ネット上では「ジョジョのマニアはめんどくさい」などと言われるようになる始末。
超・長期連載であるため、今から新しく1巻から読むのには気合が必要で、「めんどくさいマニア」と新規参入者や「そこまでファンではない」人たちとの間のイメージは開く一方だ。

そんなときにこの一冊。
本作は短編集であり、なおかつ作品が粒ぞろいであるために、「荒木飛呂彦」と「ジョジョ」のイメージは、ほぼこの一冊を読めば理解できると思う。
本作を読んで面白いと思えば他の荒木作品を読めばいいし、合わなければ読まなければよい。

おススメ。

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・「バニラスパイダー」(1)~(2) 阿部洋一(2010、講談社)

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別冊少年マガジン連載。
町の空が巨大な蜘蛛の巣に覆われ、いつしかそれが日常化した世界。
「存在感がない」ことがとりえ(?)の高校生・雨留ツツジは、得体のしれない怪物に人間が食い殺されるところを目撃。「津田」と名乗る謎の男から、怪物は地球外生命体「エレベター」であり、存在をさとられにくいツツジに怪物と戦うことを提案する。
ツツジは、ひそかに恋心を抱く水野さんを守るため、津田から渡された「蛇口」を使って、エレベターを倒すことを決意するが……。

絵が版画か切り絵みたいで独特。お話にも引き込まれ、おもしれー!! と思って2巻まで急いで読んだら、3巻完結だった!! ガクッ。感想は完結編まで読んでからあらためて書きます。

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・「少年の町ZF」(1) ラボック光編 小池一夫、平野仁(2011、小池書院)

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1976年から、ビッグコミックオリジナル連載。

ある夜、とつぜん「ラボック光」と呼ばれるUFOの編隊が空に現れた。その光は高陣山あたりで消えた。
それを目撃した11人の少年たちは、翌日光の正体を突き止めるため高陣山に向かう。そこでは次々と怪奇な事件が起こり、すっかりおびえきった少年たちは翌朝、下山する。

すると街は驚くべき変化をとげてしまっていた……。

話には聞いていたが初めて読む。面白いが何しろ序盤なので、感想の書きようがない。導入部に、当時のUFOに関する知識が散りばめられているところに時代を感じさせる。

コンビニコミックだが、巻末に次回発売日が記されていたり「全5巻です」と最初から書かれているのは良い。
第1巻を買った時点で、何冊買わされるのかわかっていた方が、買う方もその気になるというものだ。

ただし、あいかわらず小池書院の単行本は初出をまったく載せない。勝手な想像だが、小池先生が「この作品はいつの時代にも通用する!」という自負があるから載せないのではないかと思っているのだが、やはりこういうことは大事なので載せてほしい。

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【小説】・「アムネジア」 稲生平太郎(2006、角川書店)

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編集プロダクションに勤める青年・島津伶は、戸籍上、数十年前に死亡した(ことになっている)男・徳部の死の謎に興味をひかれる。
小さな新聞社の記者・澤本と知り合った島津は、それが出所のあやしげな超巨額の融資ばなしに関係があると聞かされる。一方、徳部は「いかにも永久機関的なもの」の開発にも携わっていた経緯があった。

島津は、日常にぱっくり口を開けている「異世界」の奇妙な出来事に、やがて取りこまれていく……。

「すべての伏線めいたものをチグハグに配置し、その不協和音こそを全面に出していく」という手法は面白いことは面白いが……。前半が整然とし過ぎているために、謎が解かれないという意味でのだまされ感覚は否めない、かなあ。謎解き小説ではないと承知してても。

私が本書を読んで連想したのは、根本敬が「人生解毒波止場」などで主張している「因果」という概念だ。というか、私は本作の著者と根本敬氏の主張は、元となる教養の質はまったく異なるが、本質的には非常に近しいと思う。
現在、「稲生平太郎 根本敬」で検索してもこの二人を比較した論考は観られない。
二人のファンが、その背景となる教養の違いを大きな理由に、完全に別個のクラスタに分かれてしまっている、そのことこそが実は問題だと、私は思っている。

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【小説】・「アクアリウムの夜」 稲生平太郎(2002、角川書店)

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1990年に発行された幻想ホラー小説の文庫化。

高校生の主人公・広田は土曜日の午後、友人の高橋と二人で「カメラ・オブスキュラ」の見世物を観るために野外劇場へ赴く。
何気ないその行為が、後の混乱を呼び起こすこととなってしまった……。

これはよくできてます。「伏線が回収されてない!」なんて無粋な感想を抱くような人でなければ、確実に恐がることができ、楽しめるでしょう。

以下は単なる、本当の自分語りです。あまりにも個人的なので、別に読まなくていいや。

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【映画】・「ファイナル・デスティネーション」

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2000年、アメリカ
監督 ジェームズ・ウォン

・魅惑のノイローゼ・スプラッタ開幕!!
10年も前の映画について、何を今さら書くんだと思われる方もいらっしゃるだろうが、ホラーやスプラッタに対してくわしくない私としては、本作の恐怖表現に実に今日的なものを感じたのであった。

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・「激マン!」 (1) 永井豪(2010、日本文芸社)

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漫画ゴラク連載。
お色気ギャグマンガ「ハレンチ学園」で売れっ子となったマンガ家・ながい激がマンガ家になった本当の目的とは、ストーリー性のあるSFマンガを描くことだった……という、半自伝的作品。

「デビルマンの章」となっており、この巻と現在連載中の誌面では「デビルマン」連載のきっかけからその過程が描かれている。
フィクション、ノンフィクション含めて「マンガ家マンガ」は流行りだが、デビュー時からよりもデビルマンから始めた、というのはそれだけ「SFストーリーマンガ」に思い入れが強いのだろう。
(むかーし、「ハレンチ学園」にはそんなに思い入れない、って発言していたこともあったし。)

この作品がすごいのは、作中での「デビルマン」連載にあたって、もともとの「デビルマン」をわざわざリメイクして今の絵柄で描いているところにある。しかも、断片的に描くだけかと思ったら、かなりガッツリ描いている。
このまま行けば、かなりの分量のデビルマンを作中でリメイクすることになる。
記憶だけで描いて申し訳ないが、たとえば藤子不二雄の「まんが道」では、細かいカットなどは新たに描いていたが、当時の作品はそのまま掲載していたはずだ。

作者が、自分の代表作を作中作としてかなり忠実にリメイクする、というのは前代未聞ではないかと思う。

なお、「デビルマン対ゲッターロボ」でもそうだったが、かつて「おきゃん」な性格だった美樹がおとなしい女の子に変わってしまっているのには何か理由があるのだろうか?

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