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2018年4月

【オタク】・「議論を原始時代に戻さないために」

10年くらい前に自分が書いたことを、サルベージ。
【雑記】・「オタク差別のはなし」

【雑記】・「オタク差別の話」その2

【雑記】・「オタクに人格類型はあるか」

竹熊健太郎さんの2008年1月のテキスト
オタクはいつから差別されていたのか?

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ブログやめようかな~と思ったり思わなかったり

もうブログ的なこと(テキストサイト的なことも含めて)からずいぶん長い間、テキストをネットに書いてきたが、ほとんど何のメリットもなく、クソリプが来るのはまだいい方で、思いもよらなかった人物がコメントも感想も、いや「読んでますよ」という報告もくれず、ただじっと文章を読み続けてきて、突然自分が気に食わない感想に出くわすと、リアルで会ったときに、
「いやぁ、それは違うなぁ」
とか言い出すんで死ねばいいんじゃないですかね。

それとオタクサベツの話ね。
あ、最初に行っておくと野間さんの「在日特権の虚構」という本はいい本ですよ。「在日特権」について興味があったら最初に読むことを勧めます。
で、野間さんがオタクがきらいだなんて、ウィキペディアでプロフィール読んだだけで、「オタク嫌い」なんてわかるでしょ。
私は年齢的には彼とタメか一個下。
多感だった中高生の頃、オタク第一世代(私より8~10歳以上年上の人たち)は、ダサいと言われようと何だろうと、「自分たちは最先端の、やるべきことをやっている」という自負があり、それは基本的に「モテないこと」だったわけで、「モテないことをやって充足している男」を、ホモソーシャル的に、マッチョ的に認められない男、というのがこの世代には一定層、いるんですよ。
まあ野間さんがそのような理由だけでオタクをディスっているわけではないのでしょうが、でも別にぜんぜん不思議じゃない立場の人なんですね。

それより、その論争の相手をした人たち、「オタク史」について勉強していなさすぎる。そりゃ「人権問題」ということになれば、超歴史的になり、時の流れなんか関係ない、とにかく今だということになるけど、じゃあ今まで積み上げられてきたオタク論ってなんだったんだと思う。

……と、ここまで書いて憂鬱な『気分になってきた。
というのは、室井卯月がアキバブームの頃にすごいオタク批判をしていたんだよね。しかもその新聞記事では、理由がわからないの。
たぶん、この人も「異性にモテないことをやって堂々としている人」というのが許せないタイプの人なんだと思うけどね。

室井卯月は、当然セクハラ反対だと思います。じゃあいったいどういう手続きで異性を口説くのが「正しいのか」について、言及できなければいけない。「そんなことは実地で学ぶものだ」って言いそうだけど、実地訓練でセクハラ認定されてお縄になったら目も当てられない。

室井(呼び捨て)は、いわゆる「世間知」でのしてきた人だと思う。だからへりくつを並べ立て、セックスに興味ありませんという顔をしている一部のオタクが許せないのだろう。

ここまで書いて、このテキスト、失敗でした。

人類は滅亡すればいい。
ウサギだけ生き残ればいい。

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【特撮】・「異次元人好きから観た ウルトラマンA第23話 「逆転!ゾフィ只今参上」

【特撮】・宇宙人好きから観た「ウルトラマンタロウ 第36話「ひきょうもの! 花嫁は泣いた」
そして、【特撮】・宇宙人好きから観た「ミラーマン 第2話「侵略者(インベーダー)は隣りにいる」に続き、超常現象のハイストレンジネス事例が好きな人が好きそうな特撮をメモっておくという、私の仕事です。

景気のいいサブタイトル「逆転!ゾフィ只今参上」とはまったく違う、奇妙で奇怪な物語が展開される。
薄汚いが、どこか仙人のようにもみえる奇怪な老人が、子供たちを扇動する。

「お前はお前を信じなさい。ホレ信じなさい。ホレ信じなさい。
 お前はオレを信じなさい。ホレ信じなさい。ホレ信じなさい。」

奇妙な歌を流行らせ、子供たちは彼に着いていく。
北斗は海辺(XYZ地点)で、老人と子供たちが消えてしまうのを目撃する。
そしてその後に、雪が降ってくる。

体験したとおりのことを、TACの隊員たちに告げても、南夕子以外はだれも信じてくれない。
「ウルトラマンA」という作品は、この「目撃事例をだれも信じてくれない」というシチュエーションが、少なくとも23話までに非常に多いのだが、このエピソードでは特大級の「信じてもらえない状態」が展開されるのである。

TACの隊長、隊員たちに、TAC基地で自分のハイストレンジネス体験を必死で話す北斗役の高峰圭二氏は迫力がある名演だと思う。

他の方のブログなどでも、この作品の奇怪さについては語られているので詳細は省く。
が、私がとくに面白かったのは、「子供たちが消える現象」が海外でも起こっているとして、外国語(英語ではなかったはずだが忘れた)で、植木等の「学生節」の替え歌だという、「お前はお前を信じなさい。ホレ信じなさい。ホレ信じなさい。」が歌われているという点である。
あまりの奇妙さに爆笑してしまう人もいるかもしれないが、私は少し感心してしまった。

ラスト、消えた子供たちが空から降ってくるシーンも、なかなかヤバい。

「だれにも信じてもらえない奇妙な体験を表現する」という点において、ハイストレンジネス現象の好きな人は、観て損はないと思う。

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精神

ひらめいたので、忘れないうちに書いておこうと思う。
ここ4、5年、マンガを読む気が起こらず、自宅には溜まる一方。
とくにオタクではない人にこのことを話すと、「コレクターのあるある話」としかとらえれないんですが、私としてはかなり深刻な問題だったのです。

ちょっと話を変えます。
私は、「私が何かしら、メディアに接して、どれくらいリラックスできるか、気分転換できるか」ということについて考えています。
私個人の話なので、他人には通用しないでしょう。

で、「気分が落ち込んでいるとき」に、鑑賞してその気分が転換する率がいちばん高いのは、「映画館で映画を観ること」です。
でも何でもいいというわけではなく、面白くて、こちらが前のめりになって見られるような題材にかぎります。
もちろん面白いかどうかは私の独断ですが。

つまらなかったり、イヤな気分になったりすると、何時間も「イヤな気持ち」が継続するのも映画です。

ゲームも気分転換になりますが、同時にやり続けることのストレスを感じるのが正直なところです。

テレビのなんてことのないバラティが、すごく気分転換になることもあります。私がテレビバラエティを重視しているのはこの点にもあります。
ただし、あからさまに「気分転換してください」的な番組は個人的にダメなんですよね。土日や早朝、深夜にやっているリラックスさせる前提の番組がそうです。

そしてマンガや本。
これらは、ある程度自分自身が能動的にならないと楽しめないことがわかりました。
「落ち込んでいるけど、マンガや本を読んで気分が逆転した」という経験は、実はほとんどありません。

あらかじめこちらに「読むぞ!」という、はたらきかける部分がないとダメなんですよ。

で、私の「精神状態」を考えたとき、自分自身で「これが平常心だ、普通の状態だ」と考えているより、もう一段、二段、気分がアッパーになっているのが、たぶん普通なんだと思います。
そこまで持って行かないといけないんだと思います。

普通の人は、何のストレスもなくマンガを読んでいるわけですから、私がその境地にいたるには、気分をもう少しあげていかないといけない、っていうことです。

もっと言ってしまうと、それくらいの気分、精神状態になることが、あるべき生活だと思います。でないと間違っていると思う。社会が。

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