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・「スクラップ学園」(上) 吾妻ひでお(2018、復刊ドットコム)

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1980年頃連載。単行本に初出の記述がないのはなんとかしてほしい(目次のところにありました! 老眼で見落としていました。すいません。おわびに切腹します。ざっくりプレイコミック連載、1980~81年頃の作品です)。
ミャアちゃんという無気力でクールな美少女が、毎回不条理な事態に巻き込まれる一話完結のギャグマンガ。
この単行本で、完全版は初刊行だという。

本作は吾妻ひでおの不条理SFギャグマンガとしては、傑作だ。ざっとネットで調べたら、秋田漫画文庫、プレイコミックス、それとコンビニコミックの形態で単行本化されている。
作者も自作解説で書いているとおり、本作に強い時代性は希薄で、後にも「ミャアちゃん」を主人公にした作品を描いている。また、他の吾妻ひでお作品と比較しても、極端に作風が違うというわけでもない。言わば「典型的な作品」だと言えるのだが、連載時期をみるとやはりどうしてもよけいなことを考えてしまう。

すなわち、「作品全体に漂うクールさ」は、80年代前半という時代とマッチしていたと言わざるを得ないということだ。
時代は70年代終盤から、「三無主義」とか「シラケ世代」とか言われるようになる。
物事をちょっと斜めから見てしまう。他人の狂騒を、ギャグとして受け取ってしまう。そんな時代性と「スクラップ学園」(というより吾妻ひでおの不条理ギャグ)は、合っていたことは間違いない。

吾妻ひでおというと、「ロリコンブームの火付け役」とされることが多く、それは間違っていないらしいのだが、後続の「ロリコンマンガ家」と明確に違うのは、「ロリコン的嗜好」についても、突き放して見ていることだろう。誤解を恐れずに言えば「ガチではない」ということだ。いや、決して「受けるから」とか「面白いから」という理由だけでロリコン的マンガを描いていたわけではないのだろうが、吾妻ひでおのロリ嗜好には、後続の人たちのような「悲壮感」というか「飢餓感」みたいなものがまるでない。彼にとってロリコンとは「こういうのもいいじゃないか」という多様な価値のひとつにすぎないように思える。

「ミャアちゃん官能写真集」の広告を、フェイクとして描いたらものすごく需要があり、結局つくることになった、というのも、作者と読者の「ロリコン」に関する温度差を表していると思う。作者にとっては「官能写真集」は思いつきのギャグにすぎなかったのが、読者側には強い需要があったということだ。
この辺のことは、少なくとも「失踪日記」の頃くらいまではあまり言葉になっていないような気がするが、私が知らないだけかもしれない。

とりとめなくなってしまった。下巻が読みたい。

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