無題
すっかりブログを書く気がなくなった。
こんなもの、書いて何になるの?
しかし、ツイッターだけじゃダメなんだ。
140文字では書けないことはたくさんある。
この「ココログ」には、自分で「カテゴリー」を新項目として付けられる。
そこに、私は「サブカルチャー的絶望」という項目をもうけた。
自分で意味がわからなかったが、今、わかった。
やっぱりね、ひどかったですよねイジメが。
「とてもじゃないけど、こんな世界に入れない」って思ってたことを、急に思い出しました。
トシ取ると忘れちゃうんですよ。イジメてくる年長者がいなくなってくるから。
「サブカルとオタク」の定義とか分類はたいへん面倒くさく、また労多く実り少ないんですが、
80年代、「サブカル」の世界にいられない、居心地が悪いと思った人たちが「オタク」になったという要素はあると思います。
有名な、中森明夫の「おたくの研究」という文章が、まずイジメの内容ですから。
大塚英志が「イジメはいけない」って書いたの、今考えると当たり前なんですよね。
ところが、中森明夫も含めたサブカル陣営には、オタクと距離を置きたい理由がそれなりにあった。
それは彼らにとっては正当なものもあっただろうけれど、「おれたちが我慢していることを何でこいつらは我慢しないんだ」みたいな要素も、確実にありましたね。
それで、この話は終わるわけじゃないんですよ。
オタクの世界にもイジメがあって。
イジメの理由は、サブカル内でオタクをイジメる理由と、だいたい同じだったと思います。
今、テレビ観ていると、驚くんですよ。
ADさんの扱いが優しいので。
実情は知りませんよ。
だけど、少なくとも表面上は、虫けらみたいな扱いはなくなりましたね。
女性も増えましたし。
80年代は、ADさんがテレビに出ざるを得ない場合は、タレントの罰ゲームの実験台とか、なんかそんなのばかりで、言外のメッセージとして「ADは虫けらのように扱っていい」というのがテレビから出てましたから。
80年代後半の就職買い手市場のときも、「テレビだけはやめろ」というのはよく聞いていました。
テレビがサブカルかと言ったらそうじゃないので、話を戻します。
今考えると、80年代、90年代、自分の居場所なんか、どこにもなかったことtがわかります。
「居場所があった」かのようなフリをしていた、そう自分で思い込もうとしていただけなんです。
しかし広義のサブカル(オタクも含むという意味)の世界では、どうしてあんなにイジメが横行していたんでしょうか。
中には、「過剰に自分がイジメる側に回っている」とアピールしている人もいました。
イジメられる側に回るのが、恐かったんでしょうね。
逆襲した人も何人かいますど、「胸のすくような逆襲」ってのはあまりないんですよ。
この「逆襲」を集団で、思想・哲学もからめて行っているのがフェミニズムですね。
だから勢いがある。
そう言えば、「宅八郎」は同時代に「復讐」という概念を持っていましたね。
早すぎたのかもしれない。
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