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【お笑い】・「ジャルジャル問題」

【M-1】映画「火花」を見て、ジャルジャル福徳の涙に思うこと(ナガの映画の果てまで)

上記のブログのエントリ、ツイッターなどで評判が良いので読んでみたが、私は少々異論があるのでその点について書きます(全体通して、大きな違和感があるわけではないのですが)。

(引用開始)
 (ジャルジャルの)直前に登場し、上沼恵美子に酷評されたことで話題になっている「マヂカルラブリー」がやったのは漫才かどうか怪しいラインのネタでした。2人の会話のかけあいを基調とする漫才というシステムからはあまりにもかけ離れていました。だからこその低評価だったとは思います。
(引用終わり)

 いやああいう漫才、昔からありますよ。根本的に上記の引用部分で疑問なのは、M-1出場者は準決勝までに数度の審査を経ているわけです。本番のM-1の前にね。ということは、数度の審査の中で、決勝までの審査員が「漫才というシステムからかけ離れているネタだけど、まあ受からせちゃおう」というような話があったのか、なかったのか? 決勝にあげても低評価だろうと、準決勝までの審査員が思って受からせているのか? ということです。
そんなことはないでしょう。
準決勝までの審査員と、決勝の審査員の好みが著しく異なる、ということも考えられますが(R-1ぐらんぷりなどは、「そういう感じ」をすごく感じるときがある)、そこは微妙なところだと思います。

私が今回のM-1の「マヂカルラブリー」を見て連想したのは、2006年に決勝に出た「変ホ長調」です。言うなれば飛び道具、ひっかきまわし役だったのではないかということです。
(この間のキングオブコントにおける、「にゃんこスター」の役割です。)

で、「変ホ長調」もそれほどハネなかった。松本も、どこか「特別枠」みたいな、悪く言えば「みそっかす」みたいな扱いをしていた。
M-1では、こういう「ひっかきまわし役」が毎年出ているわけでもないとは思いますが、飛び道具的な漫才は、審査員に受けが悪いですね。
それは今回の「ジャルジャル」の順位にもつながっていると思います。

今回の「ジャルジャル」のネタは、コントでやっていた「おばさんを、学生が『おばはん、おばはん!』と展開もなくずっと言い続ける、というネタや、擬音をゲームのように言い合う、というネタに似ていると感じました。
そして、それらの方は実は「コント」としては「普通に成立している」んです。
「普通」というのとはちょっと違いますが、「先進性がある」というのとは違っていた。

だから、今回のジャルジャルの漫才が新しいとしたら、問われるのは、
「コントでまあまあ普通に(それでもとがったネタですが)成立していたネタが、なぜ漫才だと斬新なのか?」ということではないかと思います。

私もジャルジャルが努力家だということは否定しませんが、私個人としては、「バカルディがさまぁ~ずになり、海砂利水魚がくりいむしちゅ~になって捨てて来たこと、ポップ化への道を歩んだことを、ずっと拒み続けている」というふうにしか見えないんですよね。
もちろん、「同じようにしろ」とは言いませんが、最初から「とがっている」ということで、いばらの道を歩んでいるのだから、それはこういう結果だろう」というふうに、観えてしまうんです。

繰り返しますが、ジャルジャルが努力家で、芸人として真剣にいろいろなことに取り組んでいることは認めます。

ただ個人的には、リンク先の文章はあまりにウェットすぎて、ちょっと納得できませんでした。
で、これはM-1そのものにまつわる「あまりにも真剣すぎる」という、番組の特性から来ているのだとも思いますけどね。

だとすれば、なぜM-1のファンは、リラックスして笑うものである「漫才」を、過剰なまでに真剣に観てしまうのか」という疑問が持ち上がってくるのですが、それはいつかまた。

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