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2017年9月

【アイドル】・「まだまだ続くダイエット騒動の感想~こんな考えがひとつくらいあってもいいだろう」

時計仕掛けのプー・ルイ ~BiS ダイエット企画騒動~(ロマン優光の転んだあとの杖!)
もう言いたいことは前回で言いつくした部分もあるのだが、上記のようなテキストを読んだので、再度書く。

この「時計仕掛けのプー・ルイ (以下略)」は、旧BiSとBiS、およびプロデューサーの渡辺淳之介について非常に簡潔に説明してあり、参考になった。

旧BiSをアントニオ猪木の新日本プロレス、現BiSを現在の新日本プロレスにたとえることは、非常にわかりやすい。
ロマン優光氏は旧BiS流の、「不穏さ」を煽って注目を集めるやり方が嫌いだったそうだが、それにしては公平に新旧のBiSについて説明していると思う。

旧BiSに関しては私の知り合いに熱狂的なファンがおり、何か「不穏なこと」が起こるたびに、それを興奮とともにネットに書きつけていて、当時は「まったくの他人事」としてその書き込みを読んでいた。
だから、全裸MVとか、メンバーの不仲を煽ったとか、そういうことは知ってはいたが、私個人はあくまで「アイドルとファンとの関係」としてとらえていたようだ。

つまり「アイドルとファンがそうやって盛り上がっているなら、まあいいんじゃないの。私には関係ないから」ということ。

ところがロマン優光氏の簡潔なまとめを読むと、旧BiSに関しては、真剣に関わっていたら激怒していたかもなあ、と2017年の今頃、思っている。

私はもともと、「ガチンコ!」とかその路線のリアリティ・ショー番組が死ぬほど嫌いだったし、一時期の亀田三兄弟の、まるで狂犬のような態度も大嫌いだった。
そして、テキストを読むかぎり、旧BiSは「ガチンコ!」とか一時期の亀田三兄弟路線だったのだと知り、後から不快な気持ちにさせられることに。

現BiSはずいぶんまともな、節度を持ったリアリティ・ショーになった、というようなことが書いてあったが、そういう問題かね? と思う。今回のダイエット騒動が「たまたま」にしたって、運営側に世間的なダイエット問題に対する意識が低すぎる、と思われても仕方がないし、何らかの予定調和をもくろんでいてそれがハプニングで妙なことになった、としても、「事故」を起こさないことが運営の役割のはずなんで、言い訳にならない。

渡辺淳之介が実際になんて言っているのか知らないが、「こうでもしないと売れないんですよ」みたいなことは無茶な企画に対してよく言われる。
実際、亀田三兄弟の噛みつきぶりが問題になったときも、「ああでもしなきゃ売れないから仕方ないでしょう」という意見が、他のエンタメ関係者から聞かれた。

で、亀田の話になるが、亀田批判としては、「ボクシングはそもそも神聖でストイックなものであり……」などと、勝谷誠彦か何かが当時言っていたが、そういうトンチンカンな意見もよく出ていた。
「ボクシングが神聖でストイックだから、過剰な演出をしてはならない」のか。そんなことはないだろう。

私個人が亀田兄弟に抱いていたもの。
それは「演出にしても、もうちょっとうまくやれよ」
ということだけだった。

結果、どうなったか。亀田の名前だけは売れたが、ダーティーな部分も大きく報道され、結局、一般のボクシングに興味のない人たちは、亀田たちの名前は知っているが、彼らが「本当に強いのか?」は、いまだによくわからないままなのではないのか。
これでは、演出失敗だろう。

同じことは今回のダイエット騒動にも言えて、プー・ルイのダイエット企画が常軌を逸した異常なものであれ、予定調和のレールが敷かれたものであれ、炎上してそれが宣伝につながらなければ、失敗だということになる。

そもそも、アイドルに限らず小規模な、あるいは知名度のないグループが、どれほどの「リアリティ・ショー」を行っているのか知らないが、まあ旧BiSは商売になったらしいので大義名分もあるものの、はっきり言ってファンでも興味もないし、知り合いと共通の話題にすらならない「小規模なリアリティ・ショー」は、情報が入ってくるのも不快だし、迷惑なのである。

以前、Stereo Tokyoというグループがファンをマラソンさせて炎上したことがあった。
このときも、「ファンが楽しんでいるなら外野が文句を言うことはない」という意見が、まあ穏当なところだろうとは思っていた。

だが今は違う。
こういうのがネットで流れてくるのが、たまらなく不愉快なんだよ!
亀田三兄弟よりも不愉快だ。

アイドルの世界は、いまだに盛り上がっているかもしれない。そして個々のアイドルグループとファンの関係性もあるだろう。
だが、やはりアイドルやファンが無茶ブリされて、それをいやがっていようが楽しんでいようが、部外者には断片的な情報でしかない。
そして、新日本プロレスや、ラップのフリースタイルダンジョンに関係しているラッパーたち、あるいはお笑い界の騒動でもいいが、そういうものとは違い、不穏な情報をいくらかき集めても、全体像が浮かび上がってくることは決してないのだ。

断片的なドラマを強制的に見せつけられているようで、ものすごくイライラする。

以前、グループ名は忘れたがあるアイドルが、ワンマンライブが満員にならないと解散になってしまうので、観に行ってほしいと知り合いから言われたこともある。
いや、行くわけないでしょ。曲すら知らないのに。

今のアイドル界は、AKBグループとももクロとベビメタを除いて、まったくバラバラで情報を集めても「シーン」がどうなっているのか、ぜんぜんわからない。
スッキリしない。

正直、知らないアイドルの知らない動向など、もう聞きたくない。

もしかしたら、そうしたバラバラな状況をまとめられたのは、「生ハムと焼きうどん」が大ブレイクすることだったかもしれない。
フリーの彼女たちが、武道館とは言わずとも大きな会場でコンサートをして、アイドルに興味のない人も「生ハムと焼きうどんってなんだ!?」と思えば、その他の珍妙なアイドルグループも、「今、アイドルってこうなっているんだな」と把握ができたはずだ。

新BiSが何をやろうと、プー・ルイと渡辺氏がコラボ曲を出そうと、それは「その世界」のことにすぎないんですよ。
渡辺淳之介も大変だとは思うけどね。

知らない人たちの知らないリアリティー・ショーと、予想外の「失敗」、みんな「ショー」として興味ある?

ないからポリティカル・コレクトネス的な批判を浴びたわけでしょ。
奇策ったってね、限度というものがあると思う。

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【アイドル】・「ダイエット騒動」感想続き、あるいは今さら「BiSキャノンボール」の感想

前回の続き。

BiSのダイエット騒動で、「何もわかってないくせに」と言われるのがイヤでいちおう、過去どんなことをやってきたか観ましたが、リアルタイムではアイドルマニアの知り合いからいろんなことは漏れ聞いてたわけですよ。
で、そのときは「そういうアイドルもあるんだなあ」くらいの感想しかなかったわけです。

しかし、半月前の「童貞。をプロデュース舞台挨拶騒動」の映像を観てしまった後では、ファンの人には申し訳ないですがどれも陳腐に思えるんですね(27時間テレビのマラソンが「陳腐」というのと似たような感覚です)。

広い意味でのアイドル史、サブカル史ではどうか知りませんが、私の中で「童貞。をプロデュース舞台挨拶騒動」は自分でも驚くほど大きな出来事だったようで、「目標を達せられなかったら即休業のダイエット企画」なんて、もう「童貞。舞台挨拶騒動」以降はすべて陳腐化しちゃったと、個人的には思っています。

だから、あくまで個人的に、ですが、ダイエットしているプー・ルイも大変でしょうが、もうこの手の企画は「日野てるまさビンタ騒動」と似たようなもんでね。私にとっては。
「なんか他に面白い企画、考え付かないの?」
などと、無責任なことを考えています。

思い起こせば、私は「テレクラキャノンボール2013」に感動しすぎて、過去のテレキャノや、前にも書いたとおり他のパロディ的な企画の映画もつとめて観に行きました。

「テレキャノ2013」は、「ナンパされた女性のブスさ加減を嘲笑する映画」とだけとらえている人もいるようですけど、私はまったくそうは思っていないんで。
むろん反PC的な映画ではありますけど、監督たちも「痛い目」を観ている、罰ゲームに当たりに行っていること、女性たちを単に「笑いものにする」以上のものが確実に存在しているという点で、今でも私の評価は高いです。
(ただし、今、同じ方法論でつくったとしても、面白いと感じるかどうかはわかりません。理由は時代の変化です。)

で、テレキャノ好きが高じて「劇場版 BiSキャノンボール」を観ました。私の当時のBiSに関する知識は断片的なものでしかありませんでした。
だから、鑑賞直後はうまい感想が思いつかなかった。
(あ、ここからは「劇場版 BiSキャノンボール」の話です。検索していて未見の「完全版」があることを知ってしまい動揺したのですが、とりあえず「劇場版」についての話を進めます。)

で、あくまで2017年現在の観点からの感想ですが、まあ、ダメでしたね。
初期の上映時、監督のカンパニー松尾も舞台挨拶で納得のいかない表情をしていて、「まだ編集し直している」とか言っていたんですが、当時はその意味がよくわかっていませんでした。
とにかく「テレキャノ」側からの観点しか、私は持っていなかったので。

ちなみに「テレキャノ2013」では、登場する素人女性たちは、劇場版として映画館で上映されていることを知りません。
その点でアンフェアなのですが、まあそういう契約になっているのでしょう。

しかし、「劇場版 BiSキャノンボール」に関しては、アイドル側が「だまされていた」ことが明らかになるんですね。
映画の中で、「解散コンサートくらいまともにやりたかった」と泣いて怒っている子(確かファーストサマーウイカ)がいましたが、まあ当たり前だと思います。
やはり、この場でも「過去のサブカル内パワハラ」と同様、「意に沿わないことをされたアイドル(立場的には弱者側)と「仕掛ける大人たち」というのが露骨に出てしまっていて、まあAKBはそこをスマートにやるんだけれども、「わざと泥臭くやって煽る」ってのはね。
なんだかいやだなあ、と。
正直、「童貞。をプロデュース」の舞台挨拶映像を観てしまうと、そういうのがまったく面白く感じなくなってしまったんですよね。

今後、こういう……「サブカル的」っていうと雑すぎますが、「反ポリコレサブカル」をからめたアイドルは、もう話題にはならないと思います。

それと、「劇場版 BiSキャノンボール」でとくに気になったことのひとつは、(まず絶対に成功しないけど)セックスまで持っていこうとするビーバップみのるが、テンテンコに、雑誌でセミヌードになったことについて話を聞く際、
テンテンコが「私は裸になったことを、いやらしいことをした思っていないし、ヌードになる女性を下に観たことはない(大意)」
って言わせちゃったことです。

それをずっとビーバップみのるが、優しくせめるんです、「いやらしいと思っていないなら、同じこと(フルヌードになること)もできるでしょう?」って。

あれがキツかったですね。
そりゃ、ミュージシャンがジャケットなどでセミヌードになることは、別にBiS以外にもありますけど、そういう人たちも、表面上は「私たちはヌードになることを専業としている人たちを下に観ているわけではありません」としか言えないですよね。

だから「じゃあそう思っているなら、あなたも全裸になれるでしょう?」と問われてしまい、それにはうまく返答できないことになってるんです。

これは観ていてキツかったです。

実際には「裸になることを専業としている人が裸になることと、アイドルが裸になることは意味合いが異なります」とかなんとか、反論できなくはないんですが、そこまで理路整然と反論できるアイドルは、いないでしょう。

ビーバップみのるは、別に「自分のやり方」で攻略しようとしただけでしょうが、「劇場版」や、今回のダイエット騒動などを観ると、
「もしかして、アイドルたちは『洗脳されていない』と思い込みながら『洗脳されている』のでは?」って思ってしまうんですよね。
そこが、またマネージャーの思惑と重なっていると勘ぐったりなんかしてしまって。

結局、劇場版は、このビーバップみのるとテンテンコとの関係がどうなるか、が落としどころになるんですが、やはり無理矢理感はぬぐえなかったですね。
「完全版」はまた違うのかもしれませんが、「劇場版」は、ちょっとアイドルたちがかわいそうに観えてしまいました。

で、私が何が言いたいかというと、私は「行き過ぎたPC」に反対の立場なんです。しかし、だからといって、PC的には「アイドルに過剰にダイエットさせることは、グローバルスタンダードからしても、摂食障害などに影響を与えるからダメ」という正論があります。

もう、両者はどこかで折り合いをつけないとダメだろう、ではどうしたら着地できるのか? ってことです。

そもそも、本来の「芸能人は普通人と違うからモラルも価値観も違う」という物言いでさえ、
「都合のいいときだけ普通の人になったり、コミュニティ外の人になったりするんじゃねえよ」
という反論は、実際にできますから。

私は90年代半ば頃からの「オタク再評価」の機運は、「プロアマボーダーレス」ということが最も重要だと主張し続けてきたのですが、同じことはアイドルにも言えるってことです。

日本のアイドルは本質的に「不完全性」がキモですから、「どっちつかず」の存在なら、「無理なダイエットされてかわいそう!」という批判だって、当然通用するということです。

まあ、現在のBiSはそのことに、答えようとはしないでしょうけどね。

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【アイドル】・「プー・ルイ ダイエット騒動」

こんな意見があります。

芸人であるギュウゾウが、「当事者同士の問題」と言いきるのはむしろ当然ですね。
芸人さんは信頼関係で無茶をやる職業であり、また自分たちの世界を「普通とは違う」と思っているわけですから。
(BiSのマネージャーも、ツイッターで似たような発言をしています。)

ただ、10年前、20年前(「BiS」の活動で言うならセミヌードのPVを出した2011年頃)と同じスタンスで芸能人、および企画がやっていけるかどうかは、現状ではなかなかむずかしい問題です。

こんなのもありました。文脈を理解するうえでは重要でしょう。

プー・ルイがダイエット失敗してBiSが燃えてるアレ(あざなえるなわのごとし)

ただし「曲も聞いてないくせに」というのは、あまり関係ないでしょう。ダイエットの歌を歌うのならともかく(本当に歌うのならすいません)。

さて、この件がプチ炎上したのは、PC案件だからにほかなりません。

「当事者同士の問題、ということだけではもう片付けられないんだよ」

というのが、PC推進派の理屈で、もはやどんな映像や音声も残せる時代に、そういうものいいを覆すのはむずかしい時代です。

PC推進側としては、どうもこういうの後に引けないというか、例外は存在しないという考えらしいので、後は実際のパワーバランス(ぶっちゃけPC推進側が飽きるかどうか)で決着が決まっちゃうようなところがあると思いますが。

とくに「ダイエット問題」はフェミニストにとっても重要なイシューなので、一度こじれると面倒なことになるかもしれません(なんとなくここ数日の感じを観ると、ならなそうですが)。

私は「BiSキャノンボール」くらいしか知らなくて(むろん今のグループとは別物というくらいは知っている)、「テレキャノ」が大好きすぎて、観に行ったんですが、「まあ、こういう不穏さ(要するにドッキリ企画的なものを映画にする)」というのがいいと思っているアイドルグループでファンが納得しているなら別にいいんじゃねえの、くらいに思ってました。

(話がテレキャノの話になりますが)
テレキャノのメソッドを使った企画の映像は「メチャイケ」も含めてできるだけ観たんですが、「仕掛けられる側」が主役になっているのは「BiSキャノンボール」だけで、「本人たちが納得しているのならそれでいいのかな」くらいの感想しかなかったです。
それは裏を返せば「本人たちが納得していないのなら、ひでえ企画だな」と思ったということです。
実際、「ここまで着地点がないのか」と思ったことは事実ですね(舞台挨拶でのカンパニー松尾監督も、かなり納得していない様子でした。「まだ編集し直している」とか言ってたし)。
でもよく考えれば着地点があいまいになるのは当然で、「テレキャノ」と違って「仕掛ける側」と「仕掛けられる側」、双方の意識を取り上げるわけだから、そりゃこじれるわな、と。
そんなわけで「BiSキャノンボール」は、成功した作品とは言い難いと思ってます。

で、あれから二年くらい経っていますが、わずか二年で、PCに対する意識はかなり変わってきていると思います。
まあアイドルのダイエット企画を「PC的観点から」観ている人はそうはいないですから、別に問題がなければ仕掛ける側もとぼけたっていいんですが、私がPC推進論者であれば、2017年の段階で「女性のダイエット」について、「当人を追い込んでいるような演出」を見せられたら、「えっ……」って思うとは思いますね。

ところで、「アイドルを追い込む」ということに関して言えば、あらゆるアイドルがそうなわけで、とくにAKBグループがそうなんです。
つまりAKBグループがやってきた「仕掛け」こそが、実は反PC案件なのですが、
あたかも「アイドルとしての世界標準はAKBグループなんだよ」と思わせているのが、秋元康のすごいところです。

だから、AKBのさまざまな企画に関して、直観的に「反PC、反フェミニズムだな」と思って批判されても、
「いつものことだろ」
で流されてしまうことが多い。
あるいは一時炎上して、みんな忘れてしまう。

なお「前田敦子はキリストを超えた」と言っていた学者がいましたが、宗教と言うのは基本的に反PCなので、これ言った学者はそうとうなバカだとは思いますが、バカで前田敦子信者ゆえに、間違ったことは言っていないということになります。

あ、それとさらにつけくわえておくと、マキタスポーツが「悪性のエンターテインメント」という言葉を考え付いて、AKBもその中の一つだと言っているわけですが、彼の言う「悪性」というのは、反PCだということです。
それを「悪性」と名付けて、条件付きで肯定しようというのは、かなりの直観力だと思いますね。

芸人が、「わかってて入った」芸能界について擁護するのは、まあ当たり前のことなんで。

このエントリの続き

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【雑記】・「まだ童貞。をプロデュース騒動について考えている」

映画「童貞。をプロデュース」の舞台挨拶の事件について、まだ考えている。
いちおうつけくわえておくと、あの舞台挨拶の構図が、「いじめる側といじめられた側」という単純な図式ではないらしいことは、少しだけ漏れ聞いている。
また、肝心の映画に関しても未見なのも、そのままだ(第一、観る方法がもうない)。

しかし、あの映像、事情を知らない者にとっては「やられた者の復讐」以外に見えない。これは非常に危険なことを承知のうえで書いている。
私にとってそう見えてしまうのは、ここ20年くらいの日本サブカル界において、何度も何度も「いじめ」めいた光景を目にしているからだろう。

「サブカルチャー」って反体制的で自由なものに思えるのだが、正直言って「弱者が強者に噛みついて行って、勝利をおさめた」といった爽快な光景など、見たことがない。
大半が、いわゆるパワハラである。
「パワハラ」はPCから来る言葉で、今回の舞台挨拶の件についても、PC的に松江監督を批判することはしたくない。
日野皓正のビンタは「教育問題」がからんだくるのでPC的に批判されるべきだが、「童貞。をプロデュース」から、映画の撮影内でのパワハラをいちいちチェックすべき、ということにでもなったら、それはそれで困ったことになる。
鈴木砂羽の舞台トラブルも同じである。

しかしまあ今回は便宜上、「パワハラ」という言葉を使うが、この20年間、サブカル界で先輩から後輩へのパワハラを、何度見て来たかわからない。

一時期、ロフトプラスワンの開演前に流す映像で、プロデューサーの高須基仁が若者を足蹴にするシーンが何度も何度も流されていたが、あれの事情は知らないが、やはり年長者が若者に向かって癇癪を起こしているように見える。
また、高須氏に関しては、怒って客席に向かってビールのジョッキを投げつけ、それが当たったお客さんがケガをしたという話も聞いた(示談は成立していたはずだが)。これだってお客さんに罪はない。

私の印象では、サブカル界は、他の縦社会や体育会系のまねごとをしているだけで、それだけにいじめる側も加減を知らない。
しかも「面白い」と思って客前でイジメるのである。「童貞。をプロデュース」騒動に関して「サブカルの冷笑主義が逆襲された」と言った意見がチラホラあったが、別にイジメはサブカルだけにあるのではない。むしろ、社会全体のイジメ構造の氷山の一角に過ぎないのだが、サブカル界全体が「イジメたら面白くなる」と変に思い込んでいた、ということについては、同意せざるを得ない。

実は最初は、私もサブカル界で、芸人の先輩後輩のような「いじったりいじられたりする」という関係が納得ずくで形成されていると思い込んでいた。

もちろん縦社会の芸人界に、イジメがないはずがないのだが、少なくとも「陰湿なイジメ」とは違った、「表面的ないじり、いじられる関係」があることは確かだろう。
そのような「役割分担」が、90年代半ば頃はサブカル界にもできていると思い込んでいたのである。

だがどうも実情はそうではなかった。
いじめられた側が「いじめないでくれ」と言えば、「シャレがわからない」、「空気が読めない」と言った批判が、先輩からなされるだけだ。

また、もうずいぶん前になるが、ある若者が生意気盛りに、「年長者でも間違ったことを言ったら正されねばならない」と主張したところ、「態度が気に食わない」という理由で、その若者がいる居酒屋に先輩格の男が乱入して若者を殴ったということもあった。
このとき驚いたのは、両者にはさらにリーダー格の男性がいたのだが、彼は「殴った方」の肩を持ったのである。まあ、当時から私がその集団に所属していたわけではないので、その後どうなろうが知ったこっちゃなかったのだが、もともと文化系的な雰囲気のゆるいサークルだと思っていたから驚いた。
せめて喧嘩両成敗にするくらいの料簡はなかったのだろうか。

他にも、当然、私はサブカル内のコミュニティの内情は知らないわけだから、知っているのは「イジメることをエンタメ化しようとした試み」ばかりだということになる。
90年代にしろ、2000年代にしろ、なぜサブカル界ではあんなにも若い層をイケニエにして笑いを取ろうとしていたのだろうか。
しかも、体育会系のようにじゅんぐりにやられていたわけでもない。権力を握っている側はサブカル界に参入当初から、実力で存在できる人たちが多く、「同じことを先輩にやられてきた」というわけでもないようだった。
そういう人たちが、面白がって後輩たちをさんざんイジメて笑いものにした。

他にも、「たとえ落ち度があっても業界内ならカタがつく」と思っていて、相手がまったく業界内慣習など知ったことじゃないのでこじれてしまったとか、自分の「子分」になれるようなやつを探して、サブカル界のコミュニティを渡り歩いていたヤツとか、とにかく「陰湿な世界だな~」という記憶しかない。

この際、「サブカルの世界は陰湿だった」とはっきり認めてしまって、ざんげでもすればいい。

もしかして、サブカル界に潜在的な「アンチPC的態度」が根底にあり、こうした「イジメ」を誘発していたのかもしれないが、だとしたらもうそのような態度にはアンチPCという観点からも何の意味もない、と業界全体で自覚した方がいいだろう。

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【社会全般】・「日野皓正の体罰問題」

「童貞。をプロデュース」の舞台挨拶問題とともに、こちらもPC(ポリティカル・コレクトネス)問題として、取り上げられるケースが多いだろう。
しかし体罰そのものに関しては、私が子供の頃からさまざまな局面で問題視されており、当然ながら別に今、始まった問題でも何でもない。
ではどのように体罰に対するとらえ方が変わったのか、駄文を書き連ねたい。

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