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【オタク】・「正義を問わないのなら、ヒーローものなんて見なくていい」

実は、まったく好きではない勧善懲悪のシリーズものがある。好きではないのですべてを鑑賞して論評することもできない。ただそれが絶賛されるさまを、横目で眺めているだけである。

また、別のことも過去にあった。
ある人が言っていた。
「鉄人28号」で、正義の正太郎くんの側につくか、悪の組織につくか選ぶのだったら断然、悪の組織だ。そっちの方がずっと楽しそうじゃないか」

まあ、「鉄人28号」のシリーズというのは、いちおう勧善懲悪ものだが、そもそも「正義とは? 悪とは?」を問うような話ではない。よく言われる「リモコンを使うものによって鉄人は正義にも悪にもなる」というのも、形成が「リモコン」をきっかけにたやすく逆転するストーリーの面白さを表現したかったということだろう(原作の「バビル二世」でも、三つのしもべはヨミも扱えるという設定になっている)。
別に「鉄人」において、「何が善で、何が悪か」は明朗すぎて疑うところはない。

とは言え、「勧善懲悪モノ」は文字どおり、善をすすめて悪を懲らしめるものである。これは絶対的なもので、いかに定型を崩そうと、あるいは定型どおりにやろうと、この「勧善懲悪」の部分から目をそらしたら、それは「ものすごく面白い物語」であるのかもしれないが、「勧善懲悪もの」ではないのである。

私の経験上、オタクはすれっからしというかひねくれているというか、「勧善懲悪モノを好む」のが性癖であるようで、実はまったくそんなことはない。
こだわっているのは私くらいのものであり、いつも孤独を感じている。

ハリウッド映画を観ていると、「勧善懲悪」ということにかなり意識的だ。
半可通を承知で言えば、これはキリスト教などの「唯一神」と「個人」が対峙するという、文化的な背景があるように思う。

だから「バットマン」は、彼にとっての「神」である、「正義(むろん彼にとっての)」に準じている存在である。
彼は自分の行動に際し、常に自分の心の中の「正義」を参照しているのだ。
人気のスパイダーマンも、「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのを価値基準にしているようだ。
「責任」をまっとうすることが、スパイダーマンにとっての正義ということだ。

対するに、日本人にはこういう「戒律」的なものはそぐわないようだ。
実は日本で人気のヒーローものでも、精査していくと結構いいかげんであったりする。
こうした、日本におけるヒーローの「正義論」については、戦後の作品に関して言えば「日本自体が先の戦争で悪いことをした(とされている)」ことが根底にある。何も考えていないような作品にも、それがある。
だから、「世界の警察」とか言っていたアメリカとは、事情が違う。

しかし、それすらも考察の対象にはなっていないことが多い。
巷のヒーロー論を読むと、日本のヒーローものが好きな人は、「ヒーローの倫理観」みたいなものに無頓着な人が多い気がして、本当にウンザリする。

当然だが、「勧善懲悪」そのものに興味がないのなら、勧善懲悪ものは観ないでもらいたい。
あくまでも「勧善懲悪とは何か?」をベースにしないと、ヒーローものを論評する意味は半減する。

それがわかっていない人が多すぎる。

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