【社会全般】・「童貞。をプロデュース問題」
昨日、一昨日と、意にそわぬ形で大散財してしまった。
別にキャバクラでぼったくられたと思われても、十数万円もするトランスフォーマーのスタチューを買ってしまったと思われてもかまわない。
それと、心無いことも言われた。
辛い。
辛いついでに、現時点での「童貞。をプロデュース」をめぐる騒動について勝手に書く。
ちなみに、大前提として私はこの映画を観ていない。
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昨日、一昨日と、意にそわぬ形で大散財してしまった。
別にキャバクラでぼったくられたと思われても、十数万円もするトランスフォーマーのスタチューを買ってしまったと思われてもかまわない。
それと、心無いことも言われた。
辛い。
辛いついでに、現時点での「童貞。をプロデュース」をめぐる騒動について勝手に書く。
ちなみに、大前提として私はこの映画を観ていない。
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今日は、サラリーマン時代の同僚だった、田中くんと鈴木さんの結婚パーティーだった。
それほど親しい間柄だったわけではないが、それでも数年間、苦楽をともにした仲。招待状も私のところに届いていた。
会場は、こぢんまりした洋食屋だった。地元の人にも親しまれているし、遠方からも食べに来る人がいるという。
店主の人柄に惹かれている人も多いそうだ。
「平服でお越しください」と書いてあったが、礼服で行くことにした。
洋食屋のドアを開けると、今回のパーティーの幹事とおぼしき若い女性(おそらく鈴木さんの友人だろう)と、店主が談笑をしていた。
しかし、私の顔を見るなり二人の顔から笑顔が消えた。
心なしか、幹事とおぼしき女性の方は、店主の影に隠れた。
「だれ? あんた」
店主は、じろりと私をにらんだ。よくよく考えてみれば、料理をつくるために厨房にいるはずの彼が、なぜここにいるのだろう。
「新田五郎です。今日のパーティーに出席するために来ました」
私は招待状を出した。
受け取った店主は、それをまじまじと見つめると、「ケッ」と嫌な笑みを浮かべて、それを灰皿に放り投げた。
「じゃ、おまえさんはあっち」
店主は親指で、隅の方の席をさした。ずいぶん態度が悪いなと思ったが、文句を言おうと思った幹事とおぼしき女性はもういなかった。
丸テーブルに案内される。すでにそこには三人の人物がいた。
いずれも私の知らない人物ばかりだった。
一人はやくざ風、一人はオタク風でノートパソコンから顔をあげようとしない。最後の一人は、出っ歯の老婆だった。
「おまえさん、なんでここに来たんだ」
出っ歯の老婆が言った。細長いタバコを吸っていた。
「なんでって、結婚パーティーに……」
言いかけると、やくざ風の男が低い声で肩を揺らして笑った。
「結婚パーティー? だれのだ?」
「だれって、田中くんと鈴木さんの……」
私がそう言うと、やくざ風の男、オタク風の男、老婆が一斉に笑い出した。
「田中と鈴木か……。ふうん、田中と鈴木ね」
やくざ風の男は、一人うなずいたかと思うと突然、床につっぷしてしまった。
「ありゃ、死んだな」
隣のオタク風の男が、ノートパソコンから顔を上げて言う。
どうしていいかわからずとまどっていると、老婆が急に高圧的な態度で、
「悪いことは言わないから、一万円置いていきな。そして黙って帰るんだ」
と言った。
私は納得できなかったので、「なぜですか?」と聞くと、老婆はキッとなって叫び出した。
「あたしの言うことが聞けないってのかいっ。いいから、一万円置いていくんだよッ。金のことなんか関係ねえんだよッ」
私はその声を聞いて反射的に右ストレートを、老婆の鼻づらに叩き込んでいた。
「ぶぎゃっ」
老婆はぶざまな声を出して、後ろに椅子ごとひっくり返った。
その声にいらだちを覚えた私は、おたく風の男のノートパソコンのキーボードに、左拳を叩きつけて粉砕した。
「何をするんだよッ」
おたく風の男が金切り声をあげた。あまりの高音だったので、なんだかおかしく、私は笑ってしまった。
「うるさいんだよ」
私は突っ伏したまま死んだやくざ風の男の襟首をつかんで、そのままおたく風の男に向かって投げつけた。
おたく風の男は、投げつけられたやくざ風の男を抱きしめて、傾いた椅子のバランスを取ろうとガマガエルのようにもがいた。
が、すぐにバランスを崩してひっくり返る。
やくざ風の男の下敷きになった状態だ。
私はそのやくざの背中に、近くに合った大きな木彫りの人形を叩きつけた。
そして、入り口に戻った。入り口には店主と、幹事とおぼしき女性がまだ談笑している。
私はまず、女性の方の口の中に、丸テーブルの上に置いてあったガラス製の灰皿を突っ込んだ。
その瞬間、その女性の歯はすべて折れた。
歯と血を口から飛び散らし、女性は変な声をあげたので、イライラしてその女性のベルトを掴み、思いきり遠くへ放り投げた。
遠心力によって、その女性はこじゃれた窓まで飛んでいき、ガラスに激突して動かなくなった。
店主の方は体が大きかったので、力負けすると思い、いきなり隠し持っていたガソリンをぶっかけて火をつけた。
一瞬のうちに、店主は燃えた。悲鳴をあげることもできなかった。
他に結婚パーティーの出席者はいないか探したが、だれもいなかった。
私は新郎新婦へのプレゼントに、と持ってきた小さなオルゴールを地面に叩きつけ、踏みつけて壊した。
しばらくいらだちがおさえきれず、じっとしていたが、いきなりレストランを破壊して象が二匹、入ってきた。
象の片方が言った。
「一万円、返してくれ」
もう片方の象も言った。
「もう何もかも手遅れだ」
利いた風なことを言うな、と思って私はますますイライラして、窓ガラスに叩きつけられて気絶している、幹事と思しき女性の首根っこをつかんで引っ張り上げ、左腕を掴んでぶんぶん引っ張りまわし、象たちにぶつけていった。
「痛い」
「痛い」
象が日本語をしゃべるなんて信じられないのでますますイライラして、
そのショックで私は死んでしまった。
後から地獄で聞いた話だが、田中くんは第六地獄、鈴木さんは第八地獄にいて、それぞれ、
「自分の肛門にハウスねりがらしを塗り付ける」
という苦行を強いられているそうだ。
ちなみに私は、地獄など想像上の産物だと思っているから、何も問題はなかった。
早く死にたい。
(完)
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9月1日(金)
「かに三匹&新田五郎のアニメとマンガのマニアックな話をユルく語る会Vol.7」
タイトルまんまの超絶ゆるいイベントが好評につき第7回!!
今回からお互いに大ネタ1本の持ち込み企画も発表!!
お互いの語りたい「キーワード」を2時間かけてユルユル消化していきますww
<かに三匹キーワード>
「”有名人”と飲んだときにどこまで言っていいのか問題」
「おそ松さんの新作は楽しみだけど、BLは知ったかぶりで語ると怖い」
<新田五郎キーワード>
「自分の同人誌処分問題」
「秋元康の歌詞問題」
かに三匹(大ネタ)
「夏の原稿締め切り地獄」
新田五郎(大ネタ)
「オタクをやめるとは?」
映像や画像も気の向くままに紹介します。
客入れ(19:00〜19:30)
「新田五郎の好きな中途半端映像を流す」
【出演】
かに三匹(これがホントの神アニメ)
新田五郎(ふぬけ共和国)
OPEN19:00/ START19:30
前売り¥1500 / 当日¥1800(共に飲食代別)
前売り予約は、下記予約フォームまで
※「お名前 / チケットの枚数 / メールアドレス / 電話番号」をご明記ください。
お問い合わせ:090−2588−9905(担当:奥野)
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実は、まったく好きではない勧善懲悪のシリーズものがある。好きではないのですべてを鑑賞して論評することもできない。ただそれが絶賛されるさまを、横目で眺めているだけである。
また、別のことも過去にあった。
ある人が言っていた。
「鉄人28号」で、正義の正太郎くんの側につくか、悪の組織につくか選ぶのだったら断然、悪の組織だ。そっちの方がずっと楽しそうじゃないか」
まあ、「鉄人28号」のシリーズというのは、いちおう勧善懲悪ものだが、そもそも「正義とは? 悪とは?」を問うような話ではない。よく言われる「リモコンを使うものによって鉄人は正義にも悪にもなる」というのも、形成が「リモコン」をきっかけにたやすく逆転するストーリーの面白さを表現したかったということだろう(原作の「バビル二世」でも、三つのしもべはヨミも扱えるという設定になっている)。
別に「鉄人」において、「何が善で、何が悪か」は明朗すぎて疑うところはない。
とは言え、「勧善懲悪モノ」は文字どおり、善をすすめて悪を懲らしめるものである。これは絶対的なもので、いかに定型を崩そうと、あるいは定型どおりにやろうと、この「勧善懲悪」の部分から目をそらしたら、それは「ものすごく面白い物語」であるのかもしれないが、「勧善懲悪もの」ではないのである。
私の経験上、オタクはすれっからしというかひねくれているというか、「勧善懲悪モノを好む」のが性癖であるようで、実はまったくそんなことはない。
こだわっているのは私くらいのものであり、いつも孤独を感じている。
ハリウッド映画を観ていると、「勧善懲悪」ということにかなり意識的だ。
半可通を承知で言えば、これはキリスト教などの「唯一神」と「個人」が対峙するという、文化的な背景があるように思う。
だから「バットマン」は、彼にとっての「神」である、「正義(むろん彼にとっての)」に準じている存在である。
彼は自分の行動に際し、常に自分の心の中の「正義」を参照しているのだ。
人気のスパイダーマンも、「大いなる力には大いなる責任が伴う」というのを価値基準にしているようだ。
「責任」をまっとうすることが、スパイダーマンにとっての正義ということだ。
対するに、日本人にはこういう「戒律」的なものはそぐわないようだ。
実は日本で人気のヒーローものでも、精査していくと結構いいかげんであったりする。
こうした、日本におけるヒーローの「正義論」については、戦後の作品に関して言えば「日本自体が先の戦争で悪いことをした(とされている)」ことが根底にある。何も考えていないような作品にも、それがある。
だから、「世界の警察」とか言っていたアメリカとは、事情が違う。
しかし、それすらも考察の対象にはなっていないことが多い。
巷のヒーロー論を読むと、日本のヒーローものが好きな人は、「ヒーローの倫理観」みたいなものに無頓着な人が多い気がして、本当にウンザリする。
当然だが、「勧善懲悪」そのものに興味がないのなら、勧善懲悪ものは観ないでもらいたい。
あくまでも「勧善懲悪とは何か?」をベースにしないと、ヒーローものを論評する意味は半減する。
それがわかっていない人が多すぎる。
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8・15在福岡韓国領事館前“ベトナム反戦像”設置にあたっての韓国向け声明(「我々少数派」)
外山恒一の声明文。
知的ユーモアというのは、こういうことを言うのだろうな。
海外ではたまに、こういう「知的、かつ政治思想への問題提議的なパフォーマンス」の存在を耳にするが、日本ではこの人くらいしか実践者はいないのではないか。
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オタクがオタクでなくなるとき 「ヤメヲタ」はオタク活動を終止するとき何を遺すか(山本一郎、文春オンライン)
「だれかがオタクをやめる」ことで、他のオタクたちは言いようのない不安に包まれるらしい。
44歳の山本一郎にとってはそうなのかもしれないが、50歳の私にとっては、どうでもいいことではある。
そのことについて語りたい。
まず、「オタクをやめる」ことについて語るには、「オタクを始める、続ける」ことの意味について考えなければならない。
で、私の考えでは、別に何の意味もない。
趣味なんだから。
実はそこにこそ、まず第一のトリックがあるのだ。
「オタクこそ、実はエリートなんだ」的な言説をばらまいたのは、岡田斗司夫だと言っていいだろう。
それまでにも、オタク擁護に尽力した人はいる。大塚英志の功績は小さくないと私は思っている。宅八郎だっていた。他にも、目立たないがいとうせいこうなどはオタクに関して重要な発言をしている。
が、ここでは置こう。
で、岡田斗司夫が95年に「オタク学入門」を出した年というのは、宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件から数年が経ち、ようやく「オタクイコール危険で気持ち悪い」というイメージから、何かアクションがあれば脱却できそうな時期だった。
だから、「オタク学入門」は、プロパガンダの書であり、今読むとおかしなことがたくさん書いてある。
だが、それは「オタクイコール気持ち悪い」イメージからの脱却のために書かれたため、仕方がない部分もある。
「気持ち悪い」というイメージが、そもそも、「オタクはアニメやゲームを愛するかぎり、そこから抜けられない」ということを意味していた。中島らもは引きこもりのイメージがある「おたく」とは逆の「おそと」なる言葉も編み出したが、やはり「脱却不可能」というイメージを感じたのだろう(定着はしなかったが)。
岡田斗司夫はオタクに関する負のイメージを逆転させるために、いろいろな策を弄したわけだが、そのため「逆転したオタク像」は、求道的で、まるで修行僧や武道家、お茶やお花のような「道」としてとらえられた。
実はここから「錯誤」が始まっている。
だって、オタク趣味って、趣味なのだから。
それまでの「大人の趣味」であった、切手集め、盆栽、囲碁、将棋、釣り……。どれも、「脱却不可能な道だ」と唱えられたことはなかったはずである。
というより、「オタク趣味」は「それ以前の趣味とは違う」という差別化を図らなければならなかった。なぜか。
「新しいライフスタイル」として売り出すためだ。
だれが何のために、というのはいろいろややこしいので置いておく。
おれは岡田斗司夫なんか関係ない、彼のことなんか昔から嫌いだった、何の影響も受けていない、という人たちも、オタクを「道」ととらえている点は同じである。
そうじゃないのだ。
ただの趣味なのだから。
「ただの趣味」なら、やめようが、やめてからまた始めようが、個人の勝手である。
「オタク趣味の情熱は、必ずしも年老いてから持続しない」と言うが、そんなのは当然である。
趣味なのだから(しつこい)。
そうでなくても、仕事だって、情熱を四十代、五十代になって持続させている人ばかりかどうかはわからない。
それと「オタク趣味を持続させるかどうか」は、結婚や子育てと関わってくる。結婚したり子育てするようになれば、趣味にさく時間は確実に減るからだ。
だが、ここの点でも、別に結婚や子育てに当てる時間と趣味の時間が、等価交換になるわけではない。
ここで注意してほしいのは、私が「だから結婚しても子供が生まれても、オタク趣味は続けられる」と言っているわけではない、ということだ。
別にやめてもいいんじゃねえの、と言いたい、ということである。
「オタク趣味をだれかがやめると、オタク仲間に不安が広がる」などと言うのは、
不安商法とまでは言わないが、それに近いものを感じる。
本来、ほぼどうでもいいことなのだから。
オタク的趣味を持続させることは果たして「求道」なのか? ということから、まず考えた方がいい(余談だが、小池一夫のツイートにおけるオタク擁護も、この「求道精神」が垣間見える)。
求道なら、オタク趣味に一生を費やした後、虚無感しかない、ということはないはずだし、求道でないなら、イヤになったり無理が生じたら、やめてもいいはずである。
宗教じゃないんだから、途中で投げ出したって地獄に堕ちることはないだろう。
それだけの話だ。
まあ、気楽にやろうよ、ってことである。
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欅坂46「月曜日の朝、スカートを切られた」が波紋 切り裂き被害者が「不謹慎」と指摘、署名活動へ
(引用開始)
しかし、尾崎が抑圧への抵抗、自由を手にするために行動することの解放感を歌うのに対し、『月曜日の~』は、「目立たないように息を止め」ることで抑圧を受け入れよとの文脈を持つ。その文脈で、切り裂き被害に遭った曲中の主人公が「私は悲鳴なんか上げない」と言う。これは、犯罪被害者側に沈黙を強いていると受け止められても仕方がないのではないだろうか。
(引用終わり)
いやーそうは思わないけどなぁ。
「どこかの暗闇でストレス溜め込んで 憂さ晴らしか」
っていうフレーズが一番から入っているから、
「悲鳴を上げたらスカートを切ったやつが喜ぶだろうから、そんなやつの憂さ晴らしなんかには付き合わない」
ということなんじゃないの?
どんなに抑圧的な社会でも、女の子のスカートを切り裂くことがいいわけないんだから。
検索したら、この歌詞は「サイレントマジョリティーの前日譚」ということになっているらしいので、「スカートを切られても声を上げないことが、唯一の矜持」だった女の子が、「サイマジョ」で積極的に声をあげるようになる、という流れでしょ。
まあ「サイマジョ」を知らなくても、この歌だけで完結していてもいい。
世の中が息苦しい、でも出口がない、どうしよう、そういうときに他人を苦しめて憂さ晴らししようとするやつがいる。
社会が抑圧的なことには変わりないけれど、「どこかの暗闇でストレスを溜め込んでいるやつの標的にだけはなりたくない」という歌詞なんではないかと思いますけど。
違うの?
おれの読解力も鈍ってきたかなあ。
でも「歌詞全体が皮肉」ってのはごくたまにあって、
パッと思いつかないけど、植木等の、
「これで日本も安心だ」
とかさあ。
その路線なんじゃないの?
秋元康の「額面どおりに受け取れない、状況を皮肉った曲」としては「サイレントマジョリティー」とは正反対の「他の星から」(乃木坂46)っていうのがありますしね。
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