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【テレビ】・「『プロジェクトX』の功罪」

「プロジェクトX」が経営者たちに「仕事の為に社員が徹夜したり無理すると凄い成果が出る」という考えを植え付けてしまった可能性について、というのがトゥゲッターにあったので、私がこの番組について思うところを書きたいと思います。

「プロジェクトX~挑戦者たち」(2000年~2005年)は、今で言う「日本スゴイ」番組の嚆矢、ということは言えると思います。
つまり「終わりの始まりだった」という解釈もできるのですが、私はひとつの番組に、今の経営者が影響されてブラック企業があるというような見解は取りません。これでは「エロマンガの影響で性犯罪が増える」というロジックとまったく同じです。
まあ、少しは影響はあったかもしれませんが。

70~80年代にはイメージとして「高度成長期のサラリーマン」とは、「仕事、仕事で家庭を顧みない父親像」、「日本は文化的なことは輸出せず、自動車や家電(だけ)を輸出し続けて来た」というのが「ベタなおとしどころ」でした。
「日本のアニメやマンガは世界一」などと、俗に言われるのはこの頃のコンプレックスの反転、という側面も、確実にあります。

とくに80年代は、一億総中流、という意識の中で、「自由を謳歌しよう!」という雰囲気がみなぎっていましたからね。
「いい大学を出ていい会社に入ることが幸福なのか?」みたいな問いも、「ベタ」としてあった時代です。
つまり「高度成長期のモーレツサラリーマン」は、「忘れ去られるべき存在」ですらありました。
確かに「24時間戦えますか」というCMが流行ったり(1989年)、「むちゃくちゃ働くほど偉い」という価値観はその後もあったんですが、同時に「5時から男」なんてコピーも流行った時代。仕事もレジャーも恋愛も、全体的にいろんなことが膨れ上がったのが80年代中盤からバブル崩壊時くらいまでで、「ひたすら仕事」というイメージの高度成長期とは、やはりニュアンスが違うんです。

で、そうした「高度成長期のサラリーマン」のベタなイメージに生命を吹き込んだのが、「プロジェクトX」だったと言えます。
70年代~80年代は、「顔の見える」スターがひたすらに持ち上げられていた時代です(90年代はちょっとわからない)。当然、その裏にはスタッフがいるのですが、それはあくまで黒子として認識されていた。
高度成長期に開発された商品だって、だれがつくっているかなんて、業界以外の人は知らなかった。
そうした「高度成長期にがむしゃらに働いてきた人々」の「顔」を見せた、一個の人間としてクローズアップした、ということは、この番組の功績のひとつだと思います。

それと、「プロジェクト」という観点ですね。一人の天才ではなく、チームで成し遂げた仕事を番組で取り上げた。
そうした部分も、非常に大きかったと思います。
その後始まった「プロフェッショナル」では、また「すごい人」にスポットが当たるように戻っちゃってますけどね。よくも悪くも。

事実をねじまげたのは問題ですが(私が印象に残っているのは、あさま山荘事件でカップラーメンを無視したこと)、それまでのエンターテインメントにおけるオトウサンたちの「扱い」を観ると、「プロジェクトX」のヒットは必然だったし、「いい面も悪い面もあった」というのが、妥当な評価じゃないでしょうか。

たとえば産業史とかをやっている人からするとムチャクチャな番組に思えるかもしれませんが、テレビの視聴者はそういう人たちが当たり前に思っているところにまで、まったく到達していなかったんですよ。前述のように、「プロジェクト」の興味深さというのは理解されづらかった。そこに目を向けさせたというのは、やはり意味があると思います。

なお、「無理」の部分ですが、「徹夜なんていやだし、非人間的」と思っている人でも、がむしゃらにがんばっている人を見るとやはり感動してしまうことにこそ、目を向けるべきだと思いますね。
たとえば「ブラックジャック創作秘話」なんて「手塚プロってムチャクチャだな」って思うんだけど、やはり感動してしまう。
「プロジェクトX」を批判して、他の「無理や無茶をしている人たち」に感動してしまうとしたら、それは矛盾なのだ、ということにはしっかり向き合うべきだと思います。

以上、「プロジェクトX」についてのフォローでした。

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