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【問題】・「ゆらぎ荘の幽奈さん巻頭カラー問題」

少年ジャンプマンガの「ゆらぎ荘の幽奈さん」セクハラ騒動、個人的にはこのツイートがいちばんしっくりきますね。

(引用開始)
話がズレてしまいましたが、PC的なもの、あるいは合意に基づく性という性教育は学校教育、メインストリームがきっちり担うべきもので、少年ジャンプをはじめとする資本主義の中のサブカルチャーのすべてが「正しい」ものである必要はないと思います。それらはカオスの海に浮かんでいるべき微生物です
(引用終わり)

ただし、「18禁以外の娯楽作品」って、常に「こんなに面白いんだからメジャーであるべき」という「気持ち」にもオタクはさらされてきたので、そこで矛盾が生じ、繰り返し問題になるというところはあるでしょう。
多くのオタクは、「シン・ゴジラ」や「君の名は」が大ヒットしたことを、嬉しく思ったでしょう。それらの作品は「微生物か?」という問題が常にある。
立派なメジャー作品なんだから、影響力も強い、だからちゃんとしてほしい、という意見も一方であると思うんです。

だから、全年齢向けの作品については、最初から18禁の作品に難色を示すのとは、ちょっと違うんですよね。
海女さんのゆるキャラとかのときもそうでしたが。

にしても、私個人は今回、「何の問題もない」と思っている派です。
意見の違う人にはきらわれてしまうかもしれないけど、「問題がないから問題がない」と言っているのではなく、「何か多少道徳上、問題があったとしてもことさら問題にする必要はない」という見解です。

それは、たいていの性的な表現以外でも同じです。
「だから何!?」としか思えません。
「進撃の巨人」で言えば、人間が壁をつくったら、もっと大きな巨人が来たみたいな。
「進撃の巨人の壁」にたとえたのは、「ゆらぎ荘の幽奈さん」自体が、ここ半世紀の少年マンガにおける自主規制の産物だからです。

道徳的・倫理的な問題なら、「ありのままの私を認めてくれるだれか」を求める少女マンガ、「生き残るためなら何をやってもいい」とするデス・ゲームものなどの方が、よほど悪いと思います。

そもそも「ラッキースケベ」というのは「少年主人公によるセクハラの回避」という自主規制上の要請からできたもののはずで、「ラッキースケベがセクハラである」というのは、自主規制したらまたワンランク、厳しくしてきたな、という見解しか持てません。
(「ラッキースケベ」問題については、やる気が残っていれば後述します。)

それと、性表現を規制したい人々というのはほとんどそれだけをグイグイ押してくる人が多いので錯覚しがちですけど、
やっていることは昔の「年金党」とか「減税日本」みたいな、ワン・イシューで押してくるのと同じ。
だから「他に重要なことがあるのでは?」と返すと「論点をずらしてる」みたいな感じになりますが、本当、繰り返しますが「他に重要なことがあるのでは?」と思います。
あるいは、性表現反対について、マルチ・イシューのひとつとして「ハラスメントだからダメなんだ」と、「人権」全般で押してくる人もいますけど、イメージの世界なんでね。絵だし。人権そのものがおかされているわけではない。
だったら電通の自殺した女性のことをもっと考えるべきです。

運動論的には、表現規制は成果を得やすい、ということが確実にあると思いますね(最初に抗議めいた発言をしたのは、運動に参加していない人かもしれませんが、あっという間に賛成反対両陣営、集まってきた印象です)。
いつまで経っても成果の出ない運動を続けることは、キツいですから、潜在意識として「潰しやすいところから手を付けている」ということは、あるかもしれないと思っています。。
CMなんかあっという間に中止になりますから、さぞかし抗議のしがいがあると思います。

繰り返し書きますが、とにかく今回「え!? 少年誌でここまで!?」というわけでもないし、抗議が来ないかと言えばまあ不快に思う人もいるだろうし、という日常レベルの話で、議論としてまったく面白くなかったです。

なお、「ウチの子供には読ませたくないから読ませない」というのは、別にその人の勝手で、いいんじゃないかと思います。

続く。

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