【評論】・「呉智英のなぞ」
このエントリの続き。
前述のとおり私は呉智英のファンで、具体的には彼のマンガ評論が好きだった。
「非実在青少年」の騒ぎのとき、彼が何かの反対集会に出てきて、「表現の自由」を守る根拠について簡単に解説していたのを覚えている。
「非実在青少年」の問題については横道にそれるが、「そういうのの矢面に立ちたくない」某評論家が陰口ばかり叩いているのを知ってうんざりしていたので、このときの呉智英についてはありがたかったと思っている。
一方で、彼の文章はおおむね同世代かすぐその下くらいの、「左翼的な心情を持った読者」に向けて書かれることが多く、その関係性での了解事項は省略され、なおかつ含みが多い文章なので、真意がはかりかねることも少なくなかった。
ここで、私の解釈として、「彼が何をやろうとしていたのか」を軽く考察してみたい。
・その1 「感覚(フィーリング)の時代」における、「教養」の重要さの強調
彼が「インテリゲンチャ」を自称していたのは、有名な話である。古典読書を勧めることも多く、70年代に蔓延していた「感性で物事を判断する」といった雰囲気に対するアンチテーゼといっていいだろう。
呉智英が若い頃参加していた全共闘運動は、参加者によってその見解、評価は分かれるが、ライトな参加者の中には「フィーリング」で参加した者も多かったに違いない。というか、そうでなければあそこまで大きな運動にはならなかっただろう。
しかし、芸術やエンタメの分野ならともかく政治思想を考察する際「フィーリング」などでやっていてはロクな結論は出ないし、呉自身が、「全共闘運動とは何だったのか」ということについて、知的な根拠を与えたかったのは想像にかたくない。
あるいはもっと単純に、彼は「世の中を変えたかったら官僚になれ」とも発言しているので、一生懸命勉強して高学歴者になれば、そのぶん世の中に影響をおよぼせる、ということも言いたかったのであろう。
・その2 「全共闘運動」の肯定と、その運動の、運動終焉後の社会への接続。あるいは「革命」の歴史的な不可避性の強調
これは「その1」とつながる。呉智英の特徴として、保守思想家のわりには、自身の体験した全共闘運動のほか、歴史的な革命や反乱などにも「歴史的不可避性」を感じ、肯定するという側面が観られる。
私個人は、ここが彼のもっとも特徴的なところだと思う。
「全共闘を否定する保守思想家」や「全共闘を肯定する左翼思想家」はいるが、「全共闘を肯定する保守思想家」というのはあまり聞いたことがない(そもそも呉が「保守思想家」かどうかという問題があるのだが)。
そして彼は「転向宣言」したわけでもない。彼は自身を学生時代に「マルクス主義者ではなかった」と明言しているから、他の左翼から保守や右翼に転向する際のような「宣言」はいらないかもしれないが、評論家としての彼がめざしたのは明らかに「日常改良主義」とでも言うべきもので、革命、とまではいかずとも学生の反乱的なものとも趣が異なっている。
彼は「そもそも全共闘運動とは日常をコツコツ変えることだったのだから、今、日常改良主義でも何も矛盾はない」と確かどこかで発言していたが、その一方で「封建主義、その論理と情熱」という著作のあとがきに、「封建主義者が年に一度集まり、全員で竹やりの訓練をしてまた日常に戻ってゆく」という光景を、冗談めかしてだが夢想している。
「草の根運動」みたいなイメージだが、私が調べたかぎり、60年代、70年代の学生反乱の趣とはだいぶ異なる、と言わねばならない。つまり、はっきり言って接続に無理がある(それが魅力という人もいるだろう)。
・その3 「儒教」の再評価と、現代にそれを役立てること
どうも呉の問題意識は、まず西欧の近代政治思想、哲学の限界から始まっているらしい。それが彼の激しい「人権思想批判」にもつながっている。正直、その理由は私にはよくわからない。だが、近代思想が「ダメだ」となったら、東洋の、前近代的な思想に目を向けるのは当然の帰結で、それ自体めずらしいことではないだろう。
また、過去に儒者が反乱を起こしたことがあるのかどうか知らないが、「いざとなったらやるときはやる」みたいな雰囲気が、「民衆反乱」のロマンチシズムを残しているとも言える。呉が「イラン革命」に魅力を感じているような発言をしていたのも、「保守も大きな矛盾にさらされたとき、ダイナミックな運動となる」ということに可能性を感じたからだろう。
・その4 「人権批判」によって、「人権」概念生成以前にまでさかのぼり、社会思想を組みなおすこと
この件は、「その3」に書いたので省略する。
・その5 「マンガ評論」の基礎づくりという問題提議
80年代後半に、「現代マンガの全体像」という著作によって、「マンガとは何か」という概略と、今後どのようなマンガ評論が必要か(たとえば「表現論」など)といった問題提議をした。今読むと少々雑駁に思われるかもしれないが、当時としてはそれなりに緻密なものであった。
なお、それとは別に「広義の勧善懲悪でなければ評価しない、というのであればそれはプロレタリア芸術論と同じ」という一文は、現在でも性表現や残酷描写の問題と直結しており、古びていない。
しかし「プロレタリア芸術論」という言葉にあるように、「左翼系の若者」へ向けての文章になっているので、今読むと少々わかりづらいことは確か。
・その5 「水車小屋の狂人」宣言
自身を「村はずれの水車小屋の狂人」だと表現し、まともな人の常識的な考えに対し、ときおりメチャクチャなことを言ってかき回すトリックスターになりたい、と言っていた。
これは自身が「封建主義者であること」という、一種整然とした「知の体系化」と根本的に矛盾する考え方だが、彼の「知における正当性の主張」と、「極論で耳目を集める」という手法の矛盾を表しているとも言える。
・その6 まとめ
呉智英は、他の元学生運動家と同じく、60~70年代の騒乱の時代から、感性と個性と大衆賛歌と資本主義、そして「一億総中流思想」があらゆるところにものを言う80年代を生きねばならなかった。
謎のなのは、彼自身が学生運動を肯定していたにも関わらず、その背景となった新左翼の思想、正確には学生運動終焉以後も「新左翼」を引きずっていた評論家を叩いていたことだ。学生の頃、彼自身はどんな思想を掲げていたのだろうか。
まあそれはそれとして、80年代に新左翼思想は確かに「古かった」(まったく無駄だとは言わないが)。
時代は一億総中流意識だったのだから、そういうところから大衆運動は起こりづらいだろう。別にそれで何の不都合もないように思われたが、「知的大衆」の多くは、自身のアイデンティティに悩まされることになる(この問題は70年代くらいまでの大学生の「自己否定」とつながっていくだろう)。
そこで多くの評論家が提唱したのは、「かつても、そして今も革命の闘士である」ということだったり、「すでに青臭い夢など捨てた現実的な『大人』像」であったり、あるいはもうちょっとポップでバカげてもいた、センスの競い合いによる優越感ゲームであった。
そんな中、呉が提唱したのは「封建主義者」という、本気とも冗談ともつかない概念だった(後に「士大夫」と言っていたと記憶する)。
現在でも彼は儒教の研究をしているが、80年代~90年代当時の彼の「封建主義」を勧めることの意味は、「つかみどころがないと思っている、一億総中流思想の中で生きている知的大衆に対する、自己規定へのアドバイス」と考えるべきだろう。
まあ「士大夫」なんて現代日本に存在しないのだから、「おれは士大夫のように生きる!」というのは、なかなかいいおとしどころだったのではないかと思う。言ったもん勝ちみたいなところがある。
しかし、格差が進んでくるとそんなことも言っていられなくなる。
だから、私個人は呉の「封建主義」に関する言説は、バブル崩壊前くらいにこそ輝いていたと思う。そしてそれは、彼自身が赤貧を貫いていたというエピソードともつながってくる。
今どき、80年代当時の彼レベルの貧困者は大勢いるだろう。
だから、呉の主張は一見、古典などを持ち出してきて超歴史的な雰囲気を醸し出すのだが、案外、時代に規定されていると言えるのである。彼の「自身をストイックなインテリと規定する」という態度も、80年代当時はたいして感じていなかったが、デーモン小暮閣下が「悪魔」と自称するような「演技」と紙一重のものだと考えた方がいいかもしれない。
別の言い方をすれば、彼の主張してきたことは、「やりたいように暴れてきた学生時代」から、「ある程度現実を踏まえた大人になる」ことの提唱であり、しかし本人は「いわゆる大人」とは違う立ち位置にいる(「水車小屋の狂人)という、なかなかにアクロバティックなというか、パラドキシカルなことだったと言えるだろう。
なお、呉の提唱する「大人になるべき」というメッセージは、彼の弟子筋(本当に弟子かどうか知らないが)に受け継がれて、退屈きわまりないものとなるが、それはまた別の話である。
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