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「いつやるか?」「しらねー」

林修「仕事をするのに好きかどうかは関係ない、重要なのは勝てる土俵なのかどうか」


林修先生は自分が予備校教師であることにコンプレックスを抱いていた。その裏返しがこの「一流論」になっているはずだ。

上記のことは、あえてググらずに直観的に感じたことだ。なぜそう思ってしまうかというと、私が予備校生時代の1986年、代ゼミではそんな先生がたくさんいたからだ。

私はその後の予備校の歴史を知らないが、少なくとも1986年までの段階で、「予備校」というものを旧来のものから刷新したのはその時代の予備校教師たちの功績だと思っている。彼らは大学受験を研究し尽くし、おそろしく緻密なデータで斬新な勉強法・解法を開発したりしていた。

だが、彼らのコンプレックスは、当時19歳の私にも感じられることだった。

まず彼らのコンプレックスのひとつとして、「学生運動の敗者」という意識のある者が少なからずいた。だからこそ、当時の河合塾で、文化人(詳細は知らないがおそらく左派の)を呼んで講演会などをやった「河合塾」が叩かれ、60年代後半あたりの学生運動のリーダー的存在だったという、駿台予備校の講師が「沈黙を守り続けている」として称賛されたのである。

「活動を続けるより沈黙を守っている方が格上」という認識は、当時の学生運動崩れの予備校教師の屈折を如実に表している。

あの、のらりくらりとしていたイメージのある「金ピカ先生」まで、講義中にある自民党政治家の名前をあげて賞賛するという謎の言動が観られた。というか謎でも何でもない、その政治家にぶら下って議員になろうとしていたのだろう。

(後にその政治家は汚職か何かが見つかって失脚する。金ピカ先生は別ルートで選挙に出るが、議員にはなれなかった。)

もうひとつ、予備校教師のコンプレックスというと「公式な、アカデミックな場に出れない」というものがあるようだ。ある英語講師は「美学」が専攻で、大学には「空き」がないため、それの順番待ちをしているということだった。

別の世界史の講師は全共闘世代よりもう少し年齢が上で、講義中にも全共闘批判をときどきやっていた。彼の世界史の副読本(というより立派なハードカバーの本だった)は私も受験時に愛用したが、彼が「アカデミックな正しさ」を念頭においてその本を書いたことは明白だった。

あれから何十年も経ったから、林修が当時の予備校講師と同じメンタリティではないのは明らかだが、東大卒の彼にとって「予備校講師」という職業そのものが「一流の仕事」ではなかったのは想像にかたくない。

コンプレックスの裏返しから「一流とは?」を語るというのは、私にとってはこのうえなくカッコ悪いことなのだが、まあ本人が満足していれば、それでいい。

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