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戦争はイデオロギーで起こるかもしれないが、庶民は必ずしもイデオロギーで生きているわけではない

アニメ「この世界の片隅に」が、日本の加害性をスルーしている、という批判になんかどうも納得いってない。

すでに指摘されているだろうけど、30年くらい前は「戦争を決行した政府」と「それに翻弄される日本庶民」という図式が、エンターテインメント作品で「先の戦争」を扱うときの「常道」だった。

(近年でも、朝ドラ「ゲゲゲの女房」の戦争観もそんな感じであった。)

「この世界の片隅に」は単純なエンタメ作品ではないとか、「今は時代は違う」というのも、それはそれで正論なのだが、だとしたら「なぜ作品における戦争観は変わったのか」、「なぜ戦争映画は反戦映画でなければならず、日本の加害性を描かなければならないというふうになったのか」というここ半世紀くらいの文脈を、丹念に追っていかなければならない。

余談だが「アキバズ・トリップ」というアニメを観ていたら、ミリタリーオタクが怪人化してにわかミリヲタに攻撃をしかけるのだが、主人公が「おまえだって最初は、日本の戦闘機はぜんぶ零戦だと思っていたんだろ!?」と言われて言葉に詰まるシーンがあって驚いた。

これは、若い人にしか書けないセリフだ。

私はミリタリーにいっさい興味がないが、どんなに興味のない人間でも第二次大戦中の日本の戦闘機のふたつや三つは言えたからだ。だから多少誇張した表現としても、「日本の戦闘機はすべて零戦」という勘違いを表すセリフは、80年代にはありえなかった。

第一、乗っていた人たちがまだ生きていたからなあ。

ジジイ話終了。


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