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・「激!! 極虎一家」全12巻 宮下あきら(1981~1983、集英社)

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人気作であったデビュー作「私立極道(きわめみち)高校」が思わぬ不祥事(トラブル?)で終了となった後、仕切り直して少年ジャンプに連載された作品。
現在、四十代前半の人の中には宮下あきら作品に関し、「男塾」以降は読んだことがあっても本作を読んだことがある人は意外に少ないのではないか。

東北らしき田舎から修学旅行で東京にやってきた暴れん坊の虎は、学帽政(「極道高校の主人公)とのケンカに敗れ、また政とその仲間たちの男気にあこがれ、彼らが収監されるという「網走極東少年院」に入り込む。
後は少年院とは思えぬ無法ぶり・自由ぶりの中での騒ぎと、極東少年院に敵対する少年院などとの戦いが描かれる。

・その1
リニューアル連載にあたって、どのような打ち合わせが編集者などとの間から交わされたのかはよくわからないが、明らかに改良されている部分が見られる。
まず、「極道高校」では、渋く暗い雰囲気の学帽政(これはこれでかっこよく、またギャグとのギャップが面白かったのだが)が主人公だったのを、天真爛漫な「虎」という主人公に変えたこと。
次に、バディものとして「極道高校」としては学帽政と、手足が義足(これはケンカで死やケガを恐れずに絶対に引き下がらないことの象徴として描かれている)という加藤梅造とのコンビであったが、これはこれでいいのだが少々しぶすぎた。
別の言い方をすれば「70年代っぽかった」のを、「虎」と学帽政とのコンビに変えたこと。
これで物語が一気に明るくなった。

第三に、「極道たちがつくった学園」という、(マンガ内で)今ひとつやっつけていいのか育てていいのかわからない舞台をやめ、「笹川竜太郎」という、父親代わりの院長が仕切る「網走極東少年院」という「開かれた」場所に舞台を変えたこと(少年院で「開かれた」というのもおかしいが)。

「極道高校」に引き続き、ギャグも多いのだが、「極虎一家」はこうして、少年ジャンプにおいてツッパリマンガ(当時は「ヤンキー」という言葉は関東では定着していなかった)の地位を得たのである。

・その2
「極虎一家」について、それほど考えたことがなかったので今一度考察してみる。
まず、本作は常に「男一匹ガキ大将」のエピゴーネンに堕してしまう危険性があったと言えるのだが、それを意識しているのかいろいろと考えられている。
まず、「極虎一家」は日本中の極道にケンカを売り、日本の極道界を支配すると宣言するが、どうもプロット上、結末は用意していなかったようである。
また、世間からのはみ出し者を受け入れる機関としての「極東少年院」の院長も、「東大在学時代から番長だった」という謎の来歴があり、陰で虎たちを見守っているが、彼自身に何か大きな展望はなかったようだ(本宮キャラなら、もう少し何か、しっかりした大儀めいたものがあっただろう)。

ちなみにこの院長のキャラクターが発展したのが「男塾」の江田島平八だと思うが、「少年たちを陰で見守る親代わりキャラ」としては、としては宮下あきらとしては江田島が終着点なのだろう。

・その3
また、敵にも味方にも「軍師」的なキャラ、もしくは悪知恵のきく小悪党が出てこないのも、本宮マンガとは違う点だ。
ぶっちゃけていえば「知性によってどうにかする」という展開がまったくない。
ラストでは(表現は異なるが)「神風」が吹いてしまう。めちゃくちゃな展開である。
だが、宮下あきらの「理想の男像」は、本宮ひろ志とは多少異なり、「戦略を練ったりするのは男らしくない!」という感覚があるのだろう。
だからこそ、「男塾」の「男爵ディーノ」などトリッキーな技を使うキャラが、話の展開とのギャップから大人気になってしまったのだと思うが、それはここでは置いておこう。

その後、「少年ジャンプ」での宮下あきらの連載においては、「ギャグをやろうとするが今ひとつはじけない」という状況がずっと続く。「男塾」における「民明書房」系のギャグも、毎回最終的にはシリアスなバトルの中に回収されるから、ちょっと「極虎一家」時代のギャグとは違うように感じるのである。

話を「極道高校」と「極虎一家」に戻すと、両作は70年代後半から80年代前半という、広義のエンタメの過渡期に当たっている。「極虎一家」の男像は、決してふざけているわけではないが、一方で「極道28号」(猫の毛の静電気で動くロボット)が登場するといった、ぶっとんだギャグも披露している。
そもそも、「男になりたいから何も犯罪を犯していないのに少年院に入る」という設定そのものが、過去作品(映画「網走番外地」やマンガ「あしたのジョー」、「男組」など)の一種のパロディと言える。

ギャグとパロディ、美少女(ラブコメ)、そして超人的な肉体を駆使する男と男のバトル。80年代の少年マンガは、70年代と比較するとそれら三つが混在し、また定着していくと言えると思うが、宮下あきらは、ヒット作を出すためにギャグと美少女をとりあえず捨てたのだろう。

「極虎一家」は、どんどんと話がバトルと必殺技の連続となっていく「男塾」に比べ、「むずかしいことを考えず、いきいきと毎日を過ごす。しかし自分の生活をおびやかす者はぜったいに許さない」ということだけで貫かれた作品である。
そして、それは「少年ジャンプ」では、70年代後半から80年代の短い間だけに許されていたような気がするのだ(ほぼ同時期には江口寿史の「ひばりくん」がそういうマンガであった。本当に)。

他のジャンプキャラは、キン肉マンにしろ孫悟空にしろターちゃんにしろ、あらゆるギャグ・コメディキャラが異能バトルに巻き込まれてゆく。

のどかな印象さえする本作、今あらためて読んでみることをオススメする。

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