【テレビアニメ】・「ルパン三世 第二シリーズ 第108話 1979年11月5日 『哀しみの斬鉄剣』」
・その1
ルパン、次元、五右衛門の三人は僻地の温泉で慰安旅行としゃれこんでいる。
ルパンが混浴温泉、次元が草原の中でクラシックを聴きながらバーボンを楽しむ間、五右衛門だけは剣の修行に余念がない。
そこにかわいい女子高生がやってくる。「時代劇の主人公みたい」と五右衛門を笑うその少女は、刀鍛冶の祖父の「斬鉄剣以上の刀をつくりたい」という悲願のために五右衛門の斬鉄剣の秘密を狙っていた。
私にとっては、2016年から観ると、問題作。
理由は、本作ではほとんど小学生向けのアニメにも関わらず、「女子高生」が「性的な存在であり、性的な存在でない」というふうにはっきりと描かれているからである。
「おそらくモンキー・パンチの原作があるのだろうな」と思ったらやっぱりあって、それを私がまだ読んでないのが痛いが、それにしても本作がテレビで普通に放送していたという意味は、いろいろと大きい。
というか、当時はなんでもなかったのだが現在から観ると意味を持ってしまったということだ。
「女子高生を性的対象として描く」というのは、それ以前から、官能小説、劇画などエロの分野では普通にあった。が、それを「平易なマンガの絵」で描くということはそんなにはなかったはずで、本作の描写はそれなりに画期的な出来事だったのだが、話がややこしくなるのでここでは置く。
それよりも、1979年当時のアニメの性的描写そのものがユルかったということは確認しておくだけでよい。
一方でこの当時、「しょんべんくさい小娘」という言葉があった。あまり子供じみていると男の性的対象とはならないという意味だが、そのような少女の「両義性」が、本作では(結果的に)描かれている。
それともうひとつ重要なのは、本作のヒロインが「自分は性的対象として男たちから観られている」ということを、おそらく自覚しているということだ。
ルパンはふざけて少女を布団にひっぱりこんでビンタを食らわせられるし、少女自身も五右衛門を誘惑するようなそぶりを見せ、斬鉄剣の秘密を探ろうとする。
我ながらジジイだと思うが(笑)、昨今の(少なくとも成年コミックではない)ロリコン描写としてこうした機微が描かれることはなくなってしまった。
ラストは、少女が体を張ってわかった「斬鉄剣の秘密」をもとに祖父の老刀鍛冶は渾身の刀をつくるが、それは実は斬鉄剣におよぶものではなかった。だが、ルパンの「はからい」によって老人は自分の刀が斬鉄剣に勝った、と誤解しながら死んでゆく。
そして物語は、老人に負けたと思い込んだ五右衛門へのルパンの説明(トリックの種明かし)で幕を閉じる。
結末は、「一瞬自分が敗れたと感じた、その五右衛門の悔しさをルパンが解消させる」という、五右衛門サイドの話として終わっている。
が、本作を「オールドスクールなロリコンもの」として完結させるならば、その秘密を少女はすべて受け入れ、「祖父の悲願を達成する」という妄執から解放されて、自由になって旅立っていくべきだった。
それは少女が「自分のために生きる」と決意した、「大人への出発」になるはずだ。
(まあ別にロリコンエピソードではないので(笑)そうでなくてもいいが。)
しかしもしもそんな結末なら、もっと感動していただろう。
うがちすぎな味方だが「刀」とは男根の象徴だから、少女が祖父を手伝って「斬鉄剣以上の剣」を生み出そうとするのは「男らしさ」への追随ともとれる。ネタバレになるのでくわしくは書かないが、少女が斬鉄剣の秘密を得る過程はセックスの暗喩としても受け取れる。
(暗喩としての)セックスを経験し、男たちの「斬鉄剣というこだわり」から解放されれば、少女は大人になり、旅立っていけるはずなのだ。
やや70年代っぽさが強い話になるが、しかしかつての「ロリコンもの」というのは「大人と子供」という境界線を越境することに意味があったのだから、自然とそうなるはずだ。私の妄想ではね。
・その2
ちなみに、本作放送の約一か月後に「ルパン三世 カリオストロの城」が公開されている。こちらは、「哀しみの斬鉄剣」とはうってかわって、ロリコン新時代の幕開け的な作品であり金字塔だ。
ここでのキーポイントは「クラリスの処女性」である。
たとえばクラリスは、自分が「かたちだけの結婚」の道具にされているだけでなく、カリオストロ伯爵から性的対象として観られていたことを理解していただろうか? おそらく理解していただろう。しかし生々しく明示はされていなかったはず。
そもそも、カリオストロ伯爵のロリコン性も、そこまで露骨には明示されていなかったはずだ(ルパンに「ロリコン伯爵」と言われるが)。
「節度」として当然の描写にも思えるが、一方では公開一か月前には「哀しみの斬鉄剣」が放送されたのも事実である。
この「少女自身が性欲を持っている」という描写をすることの画期性が、80年代初頭のロリコンブームには確実に含まれていた(ただし「カリ城」ではその要素は希薄であり、「性の対象となることによって大人になりかけている少女」の暗喩はない。クラリスは徹頭徹尾、処女のままである。こんなもん、宮崎駿の趣味に決まっている)。
「カリ城」の場合は、クラリス自身が自分の「性」を武器にして戦うことはなく、最後までどのような意味においても処女のままである。
クラリスが「自分が性の対象となっていると自覚した大人の女」になる最後のチャンスは、ラスト、ルパンと行動をともにして泥棒となることだったろうが、それはルパン自身が拒否したのである。
話は戻るが、「少女も性欲を持っている。そして自分が性的対象だとみなされていることを自覚している」ということが描けたからこそ、80年代初頭のロリコンブームにおいて、「女性のロリコンマンガの描き手」がいたと私は思っている。
80年代のロリコンマンガには、「お人形のような少女」と「血肉を持ち、自意識を持った少女」とが矛盾したかたちで同居していた。
70年代エロ劇画と比較すると、「セックス」を大人の男だけのものにしないことを、主に女性のロリコンマンガ家が潜在的なテーマとして持っていたと思う。
が、その後、いろいろあってぐだぐだになり(理由のひとつは、セックスに問題を抱えていたのは女性だけではなかったから)、(成年コミックを除いて)形骸化してしまった。
むしろ「男性は少女を性的な目で見ることがある」ということが明示されたり暗示されたり、という比重が大きくなり、最終的には「男はみんな美少女になりたいんじゃないか」という「男側の問題」としての描写が、現在に至るまで多くなる印象である。
そして、女性側の「性欲の問題」は、オタク周辺の目立った動きとしてはBLの方に極端に針が触れていく。というのが私の仮説。
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