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2016年3月

【絶望】・「同人誌の話、ほか」

いろいろと絶望が続いている。そりゃあ何億もの負債を背負ったとか手足が取れてしまったとかそういうことはない。
でもそういう問題ではないのは、一度でもぜつぼう的な気分を味わった人にはわかるだろう。

先日、生まれて初めて一度引き受けた同人誌の原稿依頼を断ってしまった。関係者には本当に申し訳ない。

とにかく話し相手がいないのがいちばん辛い。人間、話し相手さえいればなんとかなるのだ。
「カウンセリング」だって、結局は「話し相手に話す」ということだろう。

同人誌にちょこちょこ書いていた小説に関しては、一種のうさばらしとして書いていたのだが、もう小説を書いても何か心が浄化されるというか、そういうことがなくなってしまった。
そこまで追い込まれてしまったのだ。

本もマンガも読む気になれない。集中力が続かない。
もうダメだ。

おしまい。

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【テレビお笑い】・「けなせば面白いのか」

- <褒め殺しよりも自虐がマシ?>アメトーーク「今年が大事芸人」は「今年消えそう芸人」にすべき(メディアゴン) Yahoo!ニュース個人的には録画を10回くらい繰り返して観た、最近のアメトーークとしては傑作回だと思ったが、たまたま読んだこのコラムではボロカスにけなされていた。
なかなか正反対の評価というのはないので、同じ論者の他のコラムも読んだが、アメトーーク「オリラジ同期芸人」とか、私が面白いと思った回をやはり全否定。
逆に、この人は私がまったく評価しない「ホリケンふれあい旅」は絶賛している。ただし、ホリケンの旅先でのふるまいが、「素」であれば価値はない、という妙な評価の仕方だ。
「なんで弁護士がお笑い論を?」と思ったが、プロフィールで「元ハガキ職人、元ファミ通町内会長」ということで、それをバックボーンとしていることはわかった。

私が常々感じているのは、「素人が偉そうなこと言うな!」と最も言われがちなのが「お笑い評」だということ(「おそ松さん」の「イヤミの学校」はその典型)。だから、この論者にも「余計なこと言うな」とは言えないんだが、にしても、ハガキ職人とは思えないほど文章が固い。何か大学教授の文学論を読んでいるような……。
この人が主張する「けなされた方がおいしいのだから、(番組の演出上)けなせ」というのも、今のテレビのお笑いにどこまで通用するか。
「アメトーーク」は、今、「出演すること自体が名誉」な番組になっている。「アメトーーク」に出演が決まったこと自体が「おめでとう!」という雰囲気がある。そうでなかった時期もあるが、今は完全にそうだろう。
しかも「運動神経悪い芸人」のような、「本業」とは違う要素をいじる企画とも「今年は大事芸人」は違うから、「けなせば面白い」というのは、私としては同意しかねる。

まあ、自分が文章書くときの、悪いお手本としたいです(急転直下の結論)。

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【書籍】・「なぜ公立高校はダメになったのか 教育崩壊の真実」 小川洋(2000、亜紀書房)

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本書刊行の2000年当時の、高校入試を中心とした教育問題について論じた本。
学生時代の思い出はいろんな人が語るが、その所属する「学校」そのものが、人為的システムであることにはなかなか気づけない。
本書では2000年当時、なぜ公立高校の学力が低下し、私立高校が進学校として存在感を出してきたのかについて、戦後間もない頃、首都圏に「集団就職」でやってきた地方の人たちが都市に定住し始めた頃から調べ、考察している。

タイトルからは、とうに学校を卒業してしまった者、学校に通う子供のいない者にはあまり関係のない内容のように思えるが、実はとんでもない話である。
本書は通俗的な教育指南書が語らない、秘密の部分を暴くような刺激的な内容である。

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【AV】・「(個人的激怒)業界まかせの一般人」

先日、NPO法人「ヒューマンライツ・ナウ」が発表した「アダルトビデオ強制出演」についての報告書なるものが出て、それに対してAV女優からは反発の声も出ている。
なんとなくそれらの記事を眺めていたら、あるコメントで、
「AV業界は社会貢献が足りない。偏った性のファンタジーをばらまいておいて、責任を取らないのはおかしいので、学校教育が後手に回っている性教育などをすべき」
という意見があった。
私の個人的な感想は、「えー、ふざけんなよ、じゃあおまえが率先してやれよ」
である。

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【テレビお笑い】・「ザコシショウ、R-1優勝おめでとう」

R-1ぐらんぷりのハリウッドザコシショウ優勝に関し、「本来、あらびき的な、地下的な芸なのでメジャーに評価されてはいけない」みたいな意見があったのでひと言わしてもらう。
まず大前提として、テレビの演芸に「正道」のようなものは存在しない、というのが私の持論。
ドリフだって邪道と言われ、80年代中盤の欽ちゃんだってシロウトを起用していたから「芸」として評価されていたかは疑問だし、たけし、タモリは言うにおよばない。
もちろん、どこに出しても恥ずかしくない、格調高いポップな芸風、を私は否定するものではない。そんな、メジャーをおとしめてマイナーを持ちあげるような単純な話をしているのではない。
ただ、テレビに限って言うなら、テレビというのはゲテモノを評価し、吸収して現在がある(もちろん、飽きられれば無情に切り捨ててきたという裏の面もあるが)。
それをふまえずに、ただ小手先で「これはよい芸、これは悪い芸」などと、どうして評価できようか。

第二点。「こういう芸はマイナーなままでいてこそ光るんだ」みたいなこを言う人がいるが、私の知るかぎり、そんな状態で食えている人はだれもいないし、食えなくていいと思っている芸人もいない。
レアケースで、「バイト生活で、なおかつ特段売れたいと思っていない芸人」も存在するが、そういう人は本当に少ない。
ほとんどの芸人が、自分のやっていることで売れようと思っている。それは当然でしょう。

確かに、今回のR-1では、「きちんとした芸風を持った芸人」がわりを食った。横澤夏子、おいでやす小田、マツモトクラブなどは全員、小島よしおやサンシャイン池崎やゆりやんレトリィバァなどの「勢い芸」がつくった流れに押し流されて行ってしまった感は否めないが、それと「ハリウッドザコシショウは優勝してはいけない」というような物言いは、まったく次元の違う話である。

「これはメジャーではいけないよ」みたいなこと言うやつ、いったい何サマなのか。本当に腹が立つ。

だいたい、「これはあらびき芸であってえ……」なんてしたり顔で言う人、ウーマンラッシュアワーがまったく同じ芸風の漫才で、あらびき団にもTHE MANZAIにも出ていたことはどう評価するのか。
他にもどぶろっくやエハラマサヒロ、モンスターエンジン、世界のナベアツ、鳥居みゆき、あかつなども、そう芸風を変えずに出演していた。
「あらびき団」がやったことは「荒い芸」を評価するだけではなく、「本来ならメジャーシーンでもいけるのに、くすぶっている人たち」を採用していたという側面もあるのである。

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