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【雑記】・「恵方巻問題、あるいは疑似的伝統問題」

関西の風習とされ、数年前から関東でもちらほら実行する人が観られるようになった「恵方巻」。
あまりウィキペディアをうのみにするのもどうかと思うが、しかしウィキペディアを参照すると、少なくとも戦前からのどこかの風習ではあったらしい。
「江戸しぐさと同じだ」と断定する人もいるが、それはやや早計であろうと思う。

まあ恵方巻のことはどうでもいい。
それより私が気になっているのはいわゆる「疑似伝統」の問題である。

リベラル派の人々の間では、「恵方巻は、少なくとも関東では広まっておらず、それをマネする必要はない」と一刀両断にしている人がいる。
まあ、私も関東の人間だが、やれと言われたら、アホらしくてやらない。
商魂たくましい人たちが、関東に広めようとしている(広めた)のはアホでもわかる。

では本当に「江戸しぐさ」と同じなのだろうか。
「江戸しぐさ」は「作者」が特定個人とされる、かなり特殊な事例である。要するに、たった一人の人間の創作なのだ。
これはとても伝統とは呼べない。
私は「江戸しぐさ」を伝統と思い込んでいる人がいるなら、相当マズいと思っている。

だが、この世は「伝統」と呼ばれつつもいいかげんなものであふれている。
そもそも、伝統とはなんだろうか。
はっきり言って、基本的に根拠がなくてもいいものである。
たとえば、「なんとか神が始めた祭り」というのがあったとして、その「なんとか神」はまず間違いなく、架空の存在だろう。
では、その祭りをやめるべきなのか? というと、ちょっと違うと思う。

あるいは、「伝統」というのは「間違っているか正しいかはともかく、もう何百年も経ってしまっていて、とくに不都合もない。それこそが、この伝統が受け継がれてよい根拠である」とされることも多い。
つまり、「時間」が説得力となっているわけだ。

だから、保守派の論者は、特定の学者が提唱し、実践されたことも少ない左翼の社会システムについて、「それまでやったこともないのに危険すぎる」と批判することができる(それは、ひとまず正論ではある)。

これに対し、左翼側が反論する際に、「保守派の信奉する伝統だって根拠がないではないか、いいかげんなものではないか」と返したくなるのは人情ではある。

だが、それより先、「伝統に根拠がなくても、それにすがらなければ社会が瓦解してしまうような状況」だったらどうなのか。
これはなかなかむずかしい問題である。

だいたい、右翼も保守も左翼も極左も、信奉しているものは究極的にはフィクションだと言いきってしまっていい(神がフィクションである、と言いきってしまう感じで)。

そんなことは少し考えればわかるはずで、実は「伝統」の究極的な問題というのは、「フィクションかそうでないか」ではないのではないか、と私は思っている(あくまで究極的な話です)。

それとまた恵方巻の話に戻るが、クリスマスを受け入れ、バレンタインデーを受け入れ、ハロウィンを受け入れた人たちが、なぜ恵方巻にいきり立っているのかもよくわからん。
「節分」という確たる行事に浸食してきたことに対する抵抗感かな。
まあ、おれはもう豆も巻いてないけどね。

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