« 【ポエムを書こうと思ってやめた】・「高田馬場に 虚無人間」 | トップページ | ・「宜保愛子の学校のこわい話」全3巻 宜保愛子、東堂洸子(1995、講談社) »

【雑記】・「馬の足問題」

最近、もうイライラしっぱなしである。
今回は、小学校時代の校長先生の話。

校長先生が、朝礼でした話。
「ある売れない役者が、芝居でライオンの役をもらった。着ぐるみを着て、顔は出ない、セリフもない役に役者は落胆したが、どうせやるなら一流のライオンをやってやろうと思い、ライオンのしぐさを研究して演技にのぞんだ。結果、芝居は大成功、そして彼のライオンの演技を観るために観客が詰めかけるようになった」

こういうのは「馬の足」話というか、「どんな仕事でも腐らず一生懸命やれば、いつか日の目を観ることが来る」という例で語られるのだが、本当にこれは万能のエピソードなのだろうか。

たとえば、現在外食産業のアルバイトは、個々人の能力差とは関係なく安定した商品を提供できるシステムになっているところが多いという。
早い話が、だれがやっても同じ、ということだ。
これでは、10年やっても、「料理をつくる」というスキルは身につかない。
「何年やっても身につかないことを、精神修養としてやり続ける」という考え方はありうるのかもしれないが、それはちょっと一段階上のレベルの話のような気がする。

というか、ぶっちゃけていえば、「つまらない仕事」を押しつけるための言い訳にも使えるエピソードなのである。

同じことを何度も書いているが、こういうことを言う人間は、自分がもう、「ライオンの役」、「馬の足」をやらなくていいから、他人事として語ることが多い。

話が少し飛躍するが、バブル崩壊までは、「大学受験システム」というのはほぼ鉄壁のものだった。
その完璧性を支えていたのは、「ものづくり大国日本」という、高度成長期~低成長期の企業、とりわけ、企業の年功序列制度である。
最近はどうか知らないが、多忙な銀行では、結婚相手を手っ取り早く見つさせるために、適齢期の男女をペアにしたという。
なぜ結婚させなければならないかというと、多忙な男性社員を、妻が家庭で支えるためである。

つまり、バブル崩壊までの企業は、旧来のニューファミリーにおける専業主婦が、家庭で支えていたとも言える。

そうした中で、はじめて「安定した」つまらないけど一生懸命やらなければならない仕事、が供給されてくる。

現在はどうか知らない。
あ、ここまで書いたけど「刺身にタンポポを乗せる仕事」という表現が、すべてを表しているじゃないか。

おわり。


|

« 【ポエムを書こうと思ってやめた】・「高田馬場に 虚無人間」 | トップページ | ・「宜保愛子の学校のこわい話」全3巻 宜保愛子、東堂洸子(1995、講談社) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

社会全般」カテゴリの記事

評論とは」カテゴリの記事