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【雑記】・「もうひとつの80年代追記 幻魔大戦」

【雑記】・「もうひとつの80年代」において、高橋良輔、吾妻ひでお、江口寿史、少年KINGなどについて、私の中で「もっとずっと評価されている別の歴史」がまぼろしとしてあるのだ、ということを書いた。
しかし、もうひとつ忘れていた。それが平井和正と石森(石ノ森)章太郎の「幻魔大戦」である。

・その1
マンガ版「幻魔大戦」は、もともと1967年に週刊少年マガジンに連載された。
その後、順番からすると「新幻魔大戦」が1978年に単行本化、1979年に小説版「幻魔大戦」と「真幻魔大戦」が始まる。
小説とは別に、マンガ版の新幻魔大戦、石ノ森オリジナルの「幻魔大戦」もある。
さらにその後もいろいろ出て、完結もしたそうであるが、私は追っていない。
以上、あげた80年代までの作品のうち、いちばん面白いのは大元のマンガ版「幻魔大戦」だろう。
超能力VS魔物のバトルとしては、私の知るかぎりもっとも早い。まず超能力を扱った作品としてはユリ・ゲラーより早いし、物語としては80年代にやってくる、夢枕獏、菊地秀行を中心としたSF的バイオレンスアクションものよりも早い。
しかし、打ち切りっぽく終わっている。早すぎたのかもしれない。

それで、どういう経緯かは知らないが79年に、「野生時代」で「幻魔大戦」、「SFアドベンチャー」に「真幻魔大戦」、そして「リュウ」に石ノ森章太郎のマンガ版「幻魔大戦」が始まる。
「真幻魔大戦」の1巻には、私の記憶ではSFアドベンチャーから転載された、平井和正、石ノ森章太郎、それと確かマガジンのときの担当の内田勝との座談会が載っていた。
「これから盛り上げていきましょう!」みたいな感じだったので、たぶんそういうプロジェクトだったのだと思う。
で、完全にこれは私の印象でしかないのだが、平井和正より石ノ森章太郎の方が、熱量は少なかったように感じる。

とにかく、どの作品も70年代後半から80年代初めに書かれている。どれも連載当初は非常に面白いものだった。
ところが、石ノ森章太郎の「幻魔大戦」は、ほとんど打ち切りのようなかたちで終わってしまうし、平井和正の小説「幻魔」は、新興宗教の内紛という小さい話に急速に舵を切り始める。
「真幻魔」の方は、まだしも当初の伝奇SF的テイストを保ちつつも、主人公の東丈が失踪してからいったい物語がどこに向かっているのかわからなくなり、未完となってしまう。

・その2
だいたい80年代中盤でどれも一段落しているが、それなりにヒットした作品群だったはずだ。
ところが、どれもがグダグダになって収束する。
それと同時期にか、あるいは入れ替わるように菊地秀行、夢枕獏、そして笠井潔、栗本薫などがあいついで伝奇バイオレンス小説でヒットを飛ばす。いずれも人間と「魔物」のバトルを描いていて、基本構造は「幻魔大戦」に似ている。というか、彼らが「幻魔大戦」を読んでいないはずはないと思う。

この「幻魔大戦」と、後の「伝奇バイオレンスブーム」の間には断絶があると思う。
「幻魔」は、60年当時から考えられていた「人間の可能性としての超能力」VS「悪魔イメージの源泉となり、なおかつ『神』的な存在と互角に渡り合う巨大な存在としての『魔』」という図式をつくっていたことが大きい。
つまりいかに荒唐無稽でも、いちおう「超能力」という、現実にも研究されているものがベースになっているのである。
さらに、「サイボーグ戦士ベガ」という「科学力によって幻魔と対抗する」設定も付与されているから、当初の設定としてはインナースペースの話というよりは、わりと物理的な「戦争」をイメージしていたと思うのだ。

これが80年代中盤以降の伝奇バイオレンスものの場合、「物語内の独自ルール」を設定して、その枠内でバトルが展開される、という路線が定着する。「北斗の拳」は「秘孔」という概念を用いていたが、それでも70年代までの劇画の要素を多く持っていた。おそらく「ルール内SFバトル」の嚆矢は、「ジョジョの奇妙な冒険」だろう。

夢枕獏作品は、完全な「作品内ルール」のようなものは存在しないが、「肉体の強靭さ」に展開そのものを寄せているのは読めばわかる。それもものすごく荒唐無稽なものではなく、彼の好きなプロレスや格闘技に寄せているから、平井和正の唱える「精神の力」みたいなものとはまたちょっと違うのである。
「北斗の拳」と「幻魔大戦」の中間のような立ち位置、と言ったら乱暴すぎるだろうか。

そしてだんだん、少年ジャンプも含めたバトルものは、「バトルのためのバトル」として特化していく。
一方、平井和正の「幻魔」は、完全にその逆を行く。

・その3
平井和正は「ウルフガイシリーズ」もそうだったが、もともとあるシリーズを自分の書きたいことに寄せるために無理矢理、テイストそのものを変えてしまう、という行為を平気でやる。だから「幻魔」も「ウルフガイ」も、途中までしか読んでいないという人がほとんどだろう。
ただ、その「路線変更」の方向ははっきりしていて、自分の信奉していた宗教団体の理念だとかそこで起こったもめごとだとかを、小説に託して書いていたらしい。
まあ、究極的にはそれで売れるなら書きたいものを書けばいい。
ただ、「世紀末ハルマゲドンもの」の元祖とでも言うべき「幻魔大戦」がグダグダにはなったものの、「選ばれた戦士が集ってj巨悪と戦う」というモデルを、「オウム」が倒立したかたちで実現したのは衝撃であった。

たとえば「幻魔」が、読者のだれもが期待するかたちで80年代に完結していたら、オウムはあそこまでベタなことはしなかったのではないか? 小説のやったことをなぞるなんて、恥ずかしくて。などと、夢想してしまうのである。

まあ、実際にはやっただろうけどね。麻原や幹部のセンスは、そのレベルだったと思うから。

ただ、私個人は、ときどき、
「幻魔大戦が変な方向に行ってしまったがために、『本来のハルマゲドン』を実現してしまったやつがいる、ねじまがった『もうひとつの世界』」に住んでいるような錯覚を、ときどき起こすのである。

なお、昨年より「幻魔大戦 Ribirth」[amazon]というマンガ作品が七月鏡一原作で、始まっている。

・「幻魔大戦 Ribirth」(1)~(2) 七月鏡一、早瀬マサト(2015、小学館)感想

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