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【雑記】・「もうひとつの80年代」

私の中学時代は、1980~1982年。モロに80年代前半とかぶってしまっているのである。
今まで、いろんな80年代論が出てきたが、たとえば別冊宝島「80年代の正体!」において、「はっきり言って、スカだった!」というキャッチコピーがあったが、そんなことが言えるのは、80年代にすでに大人になっていた証拠だろう。
このコピーについてもう少し解説しておくと、

「スカではない時代」というのがいったい何なのかというと、やはり「政治や経済について若者がまじめに考え、ときには政府に対して声をあげる時代」ということだったのではないだろうか。

その1
逆に言えば、それは「ポップではない時代」であり、「反・オタクの時代」と言ってもいい。想像の上に想像を重ねるが、80年代終わりから90年代初頭の「宝島」周辺には、「オタクはおれたちが鍛えてやればいっぱしのインテリになれるのに、むずかしい本を読まずにアニメなんか観ているからオタクなんだ」という、傲岸不遜な思考が漂っていた(と、私は思っている)。
今はどうか知らないが、「おたくの本」を編集した町山智浩は、おそらく時代としては変えようがなかった「オタク的ライフスタイル」を通過しつつ、世界情勢なども語れるような若者を育てたかったのかもしれない。少なくとも、彼の映画語りにはそうした片鱗が見える。

また、「社会派」という側面については、広瀬隆の「危険な話」が代表する「反原発ブーム」が、80年代後半にはの喉に突き刺さった小骨のように存在しているのだが、本稿ではそれはまた別の話だ。

今回は「私的・もうひとつの80年代」である。

その2 高橋良輔
個人的には、80年代のアニメ監督と言えば、富野由悠季と高橋良輔であった。
ともに「リアルロボットもの」の旗手であったが、当時、私からしたら二人はまったく同等の存在だった。
私は86年の段階でアニメから離れてしまうのでその後のことはよく知らないが、90年代後半以降には、高橋良輔もリスペクトされているが富野由悠季はその奇矯な言動とともに、「特別な存在」になっていた。
しかし、私にとっては「ありがたがりすぎ」という感覚しかない。
もともと「搭乗型ロボット」というのは、おとぎ話である。それをわざわざリアルに表現する……その矛盾こそがリアルロボットものの面白さだった。
富野監督で言えば、もっとも「リアル」を感じたのはファーストガンダムを除けば、「わざとマンガ映画的に描く」という逆説によりリアリティを出した「戦闘メカ ザブングル」であり、高橋良輔は、「ダグラム」、「ボトムズ」、どちらもいい。
「ガンダム」は、シリーズ化して少しSF的に寄りすぎた。宇宙が舞台で時代が未来なら、もうなんでもよくなってしまう。すべてのガンダムを富野監督がつくったわけではないが、そこで興味が半減した。

だから今でも、どちらかというと高橋良輔監督のロボットが好きである。高橋監督のリアルロボから、近未来の、パワードスーツのようなロボットへ……と私は夢想していたが、(そういうのもあるのかもしれないが)時代は95年のエヴァンゲリオンのような、超未来的なメカが大人気となり、そして「巨大ロボットだからどうした」というアイデンティティは「勇者シリーズ」以外はどこやらへ行ってしまった。
私が夢想していたのは、「高橋良輔的なリアルロボットが、SFの基準になるような90年代」だったが、そうはならなかった。

その3、吾妻ひでお、江口寿史
どちらも80年代には大好きなギャグマンガ家であり、何より描かれる女の子がかわいかった。
そしてかわいかっただけではなく、彼らの造形にはなんらかの主張があった。それがスゴイのだ。
吾妻ひでおの描く美少女は、手塚・石ノ森、藤子系美少女の発展系であり、なおかつ80年代前半のロリコンブームとも関係がある。
いわば、「トキワ荘作家」と「オタク的二次元美少女」の結節点であった。

対するに、江口寿史の描く美少女はとにかくオシャレ。髪型も服も変える。同時代のイラストレーションとも関連性がある。「マンガ的美少女」が、レコードのジャケットや広告に飛び出していくパイオニアとなった。
そして江口の描く美少女は、逆に「オタクシーンとまったく関係がない」ところに意味がある。
彼が描いたのは「オタクのいない80年代」。もしかしたら本人がオタク大嫌いなのかもしれないが(なぜかアルフィーファンを執拗に叩くマンガがある)、外に向かって飛び出していくような勢いがあったのだ。

ところが、二人とも寡作だったため、いわゆるドラゴンボールやワンピース的な爆発的な人気にはならなかった。
まあ鳥山明も当時はオシャレだったが、私の描いた80年代像とは違っていた。

その4、少年KING
「少年キング」が休刊し、「少年KING」は月二回刊の少年誌として1982年から再出発した。88年に休刊。
代表作は「キング」時代から続く「超人ロック」と、「湘南爆走族」と「ペリカンロード」という二大バイクマンガだろう。まあはっきり言っておせじにも「トレンディな雑誌」とは言えなかったが、その泥臭さが好きで、ある時期まで購読していた。
「少年KING」が、80年代という時代に寄与した何かがあるかと問われると、何とも言えない。もちろん、売れるためにつくっていたのだろうけれども、どこか牧歌的な、のんびりしたところが好きだった(連載中の女性のマンガ家がかわいいからと言って、その子を巻頭グラビアみたいにして載せていたりした。あ、もちろん着衣です)。
「超人ロック」、「湘爆」、「ペリカンロード」などの人気作はともかく、他は「いったいどこを目指しているのか?」と不安になるような作品もあった。
だが、それらは80年代だからこそ存在できたマンガ群だ。ウェブコミックでもなければ大雑誌の読み切りや短期連載でもない。隔週誌の連載として看板を張っていたこと、私にはそのこと自体が非常に大きな意味を持っているのである。

以上の人、作品は必ずや90年代にはメインストリームに躍り出ると思っていたが、いずれもそうはならなかった。
「当然だよ。なぜなら……」と訳知り顔に解説しようとするアンタ。
アンタには、「今にこの時代が来る!!」と信じたムーヴメントが、ひとつでもあるのか!?

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