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【雑記】・「大人になれなかったキミたちに、勝手に捧ぐ」

「今の比較的若い世代(中年も含む?)は、昔の大人のように、クラシックやウイスキーや葉巻をたしなんだところで『大人の趣味』をたしなんでいるとは言えない。それはオタク趣味のワン・オブ・ゼムにすぎない、こうした世代には、ガンダムやドラゴンボールしか共通の教養がない。それは『絶望だ』とか思っている人」に、この一文を勝手に捧げます。

・その1
えー、まずなんで「教養」がガンダムとかドラゴンボールじゃいけないの? なんで「大人の趣味」を持っていなくちゃいけないの? って思います。
「大人の趣味」なんて、もう昭和三十年代には崩壊していますよ。
というか、正確に言えば「青年の文化」が台頭してきたのですね。60年代くらいに。
「サブカルチャー」というと問題があるかもしれないけど「青年の文化」と言えば間違いないでしょう。
ジャズ、ロック、マンガ、映画(アメリカンニューシネマ)、現代アート。70年代には「アイドル」も登場しています。

つまり「人の趣味」がこの段階で一本道じゃなくなったわけです。
昭和三十年代の映画を観ると、まあクレージーシリーズとかもそうですが、男はみんなスーツを着ていて、会社帰りにはバーでウイスキーを飲んでいた。実際あったかどうか知りませんが、何億回とマンガなどで観た、キャバレー返りのおとうさんのワイシャツに口紅がついて奥さんがやき持ち。
完全に、大人の世界。

・その2
まあ、こういう文化、今でもあるにはあるけど、「ぜったいにたしまなければならない文化」ではなくなった。
ゆるやかになくなっていったと私は考えていますが、まず第一ポイントは60年代後半。学生運動が盛り上がる時期。
第二ポイントは、70年代中盤。学生運動が盛り下がる時期です。
おそらく、学生運動が盛り上がった時期は、文化的にも盛り上がっていたのだろうし、学生運動が盛り下がった時期には、学生運動論、若者文化論の中でも「こうでなければならない」という価値観が消失したはずです。
よく、「髪を切って就職面接に行った」みたいな歌の歌手がありますが、そうではあっても、もう彼らは昭和三十年代の大人には戻れなかった、と思います。
1973年のドラマ「時間ですよ」には、藤竜也演じるハードボイルドな「大人」を茶化す演出が早くも見られた記憶があります。
松田優作のドラマ「探偵物語」が79~80年ですが、この頃には完全に「カッコいい大人」はパロディ、茶化しの対象にしかなっていません(それでもキメるときはキメる、のですが)。

そして80年代あたりで、西洋風の「大人のかっこつけ方」は、あるにはあるが少なくとも主流ではなくなった。
その後は、バブルを経て、「サラリーマン(大人)も学生みたいにはしゃぐ文化」になっていくわけです。

なお、ジャズに関してはまったく無知ですが、ジャズにはまだ「大人文化」の香りがありました。
しかし、それがそのまま継承されることはむずかしかったようです(タモリのジャズに関するこだわりが大人っぽく見えるのは、そのせいです)。

・その3
「もののけ姫」が97年に、それまで興行収益歴代一位だった「南極物語」(1983年)を抜いたとき、サブカルチャーが天下をとった、というツイートを読みましたが、浅すぎて片腹痛いです。
まず「南極物語」が果たして「大人文化」の代表なのか。むしろ、子供もターゲットにしたファミリー映画です。そして、「もののけ姫」もジブリブランドがあったため、ファミリーで観た人も多かったでしょう。あまり比較になりません。
また、「もののけ姫」が網野義彦あたりのアジールだとかなんちゃらかんちゃらの中世民衆文化研究を下敷きにしていることは間違いがなく、「もののけ姫」がアニメだというだけで「ジャリ文化」、あるいは「サブカルチャー」と言い切ることも、どうかと思います。
内容に触れないことは、「アニメは絵だから程度が低い」という非常に低レベルなアニメ論になってしまいます。

70年代後半、「エクソシスト」や「燃えよドラゴン」が大ヒットしたときにも似たようなことは言われていたようです。
つまり「ゲテモノが正統派を凌駕した」ということです。
そのこと自体は「もののけ」「南極物語」にも当てはまりますから、時代の変化があるとしたら97年から20年はさかのぼります。
つまり、70年代中盤くらいですかね。

・その4
かつての「大人文化」における「大人ならいいものを使え」というのは、若い頃は貧乏をして、それでもがんばれば出世して、大人なったらいいものを使える、というシステムがないと成立しません。
ですから、実は大人文化の衰退は、青年文化の興隆とはあまり関係ない部分もあります。逆に言えば「大人ならいいものを」は、若いうちからオシャレすると怒られる世界観でもあるかもしれません。
まあ何にしても、少なくともオタクの第一世代は、「自分たちがジャリ文化を愛でている」ということに対する矜持はありましたよ。

五十六十になってガンダムとかドラゴンボールとか言うのが恥ずかしいなら、とっととやめればよろしい。
「葉巻とかクラシックが大人の文化で、よいものだ」というのは幻想です(もちろんそれと同じようにガンダムやドラゴンボールがすばらしいというのも幻想ですが)。
そもそも昔は、同世代でも貧富の差が激しく、教養の格差がとんでもなかったことを思い出してほしい。
クラシックや文学やいい酒で盛り上がれる過去の「教養」って、一定のステイタスの人たちだけのものです。

それなら、バカでもいい学校行ってなくてもガンダムやドラゴンボールで盛り上がれる方が、よほどいい時代ですよ。

・その5
あと「老い方」ってその時代時代のものがあって、どんな老いがいいかというのもむずかしい。別に老人ホームでエヴァ論争したっていいんじゃないか。
たとえばスポーツ教育をあまり受けていない層に、ゲートボールが流行ったことがあります。しかし、今はそうでもないらしい。それはもう時代の違いとしか言いようがないから。

だいたい「大人文化」って何か、もうちょっと考えて発言してほしい。
40~50年代のアメリカ映画観たらわかるでしょ、昔のアメリカの理想の大人は立派な兵士になって平時には企業戦士になって金髪美人といっぱいセックスして子どもつくって次代につなげることですよ。
それ以外はぜんぶギーク扱いだったでしょう(50、60年代にギークという言葉はなかっただろうけど)。
そして、金髪をゲットできなかったらブルネット。というのも、ずいぶんブルネットをバカにした話ではある。

んだから、何もかも時代が変わってしまった後には、「システムが変わろうがなんだろうがおれはこうやる」っていう発言をするしかないわけです。理屈じゃない。おれがいやだから、いやだ。
それが現代の頑固おやじなんです。
でもそれは、「おれは存在してるぞ」っていう宣言から一歩も動けないんですよ。そうした発言で、世の中は動かない。

話は飛躍しますが、かつて山本夏彦は、そういうことをぜんぶわかっててエッセイ書いていた。
まあ何言ったって世の中変わらないから、彼のファンが全国に二万人いたとして、二万人に向けて、「芸」としてエッセイを書き続けていた、ように思います。
今の頑固おやじは、山本夏彦のエピゴーネンにすぎない、とも言えます。

今の自称頑固おやじが山本夏彦に対して持っているアドバンテージは、「今の時代を生きている」ってことでしかないんで、みなさんそっちでがんばっているようですけど。

閑話休題。
「おれたちはジャズも知らないしウイスキーも知らないし、小粋な遊び方を知らないから老後はミジメだ」みたいなことを、本当にネットに書いている人がいたんですよ。何なんだと思いますよね。

「大人」というのは、社会的な強い承認、しかもある程度の国全体の経済力に支えられないと、存在できないんです。
バブル崩壊前の「日本の大人像」は、すでに崩壊しています。
もちろん、そこから「新しい大人像」を模索するのはよい。どんどんやるべきです。
しかし、それとガンダムやドラゴンボールが共通の話題になっちゃいかんというのは、まったく意味がわかりません。
それは、上の世代の価値観に、あまりにひきずられていませんか?

新しい大人像、老人像は、過去と違ってくるのは当然なんです。

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