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【雑記】・「昨今のアイドル事情についての私的見解」

いわゆるライブアイドル、地下アイドルブームになってから、まったく足が遠のいてしまった。
また、アイドルについてネット上に書くことも少なくなった。
それやこれやについて、漠然と書く。

・その1
まず個人的には「握手会」を中心とした、アイドルとのチョクの交流が定着化してしまったのが、アイドルから離れた理由として大きい。
この段階で、アイドルは別のものになったとすら言っていい。

ものの本によると、もともとアイドル歌手というのは、テレビ内で放送するためにパッケージングされたタレントだったようである。実際、70~80年代にも地方周りなどをしていたのかもしれないが、それは演歌歌手のそれとは明らかに違っていた。
コンサート、ライブはあくまでもアイドル活動のワン・オブ・ゼムにすぎなかった。
私の記憶では、意識的にライブのクォリティを上げようとするとそれだけで話題になった。アイドル時代の高岡早紀などがそうだった。
逆に言えば、コンサートに行ったことがなくても、ファンとして成立していたと思う。元Uターンの土田は、かつてだれかの親衛隊だったというが、80~90年代に、ライブ会場やテレビの公開収録でコールしたりするのは、ああいうヤンキーあがりみたいな特別な人であって、だれもがやるという感じではなかった。

以前、仲村みうのトークライブに行ったら最後は握手会で、別に握手したくないので帰ろうとしたがそんなやつは私だけであった。また、みんな実に巧みに、握手するときにアイドルと盛り上がるような話題を考えたりしているようである。面倒くさいのでそれだけでいやになった(笑)。

・その2
次に「国民的アイドル」の座についたのがAKBであったことが、私を落胆させたことは否定できない。
私は楽曲のよしあしを論理的に説明できるすべを持たないが、AKBの曲はどれも非常に薄く感じるのである。
単純に、アレンジの音色の数が少ないこと、女の子の声のユニゾンが中心なのも落胆させた。

そのことに比べたら、握手券で釣ってCDを買わせることなど、それほど大きな問題ではない。
私はモーニング娘が好きだったが、娘。の特徴として、大人数で歌をパート割りしたことや、アレンジの多様さということがある。歌詞も面白かった。
AKBは、正直言って歌詞のクォリティも低い。「ただの作文」に堕するギリギリのところでクォリティをコントロールしているという印象すらある。「恋するフォーチュンクッキー」なんて、歌詞の内容が破たんしている。
たまたま聞いたNMBの「KAMONEGIX」もひどかった。キャッチーなフレーズを連呼するだけ、ということで言えば「炎のエスカルゴ」を思い出させる。

もっとも、作品のクォリティの低さは、所属している女の子たちに罪はない。逆に言うと、作品がグズグズでも、女の子たちのポテンシャルでなんとかなってしまう、ということをAKBグループは可視化させてしまった。

それまで、アイドルというのは「素材となっている女の子の芸のクォリティが低いから」、楽曲や衣装やコンセプトでなんとかしてきたものだったが、今やそれは自明となっていて、むしろ、その「ガワ」の部分がどこまで低レベルでも「アイドル」としてのかたちをなすのか、という実験をし続けているかのようである。

不思議なのは、小林よしのりをはじめ、他ジャンルの作品のクォリティについては厳しそうな人が、AKBに関しては違った価値基準を持っているかのようなところである。
それならAKBを毛嫌いしている柳下毅一郎の方が、まだ筋が通っていると私には思える。

もっとも、私がAKBを全否定しているかというと、そんなことはない。売れれば勝ちの世界だし、さまざまな仕掛けも頭では理解できる。
ただし、AKBが世界を救うとかキリストを超えたとか、そういうふうにはまったく思わない。罪を問われるとすればそういう愚にもつかない言説を垂れ流している知識人たちであり、AKBやそのファンには罪はない。

・その3
モーニング娘。のファンだった頃は、よくネット上にテキストを書いていたのだが、正直「書く側」としての充実感が得られることはなかった。
ンなこと知るか、と言われそうで実際そのとおりだが、なんか正直「書かなきゃよかったなぁ」と後になって思うことが多かった。
その理由の一つとして、「自分の感情は置いておいてとりあえず擁護しよう」みたいなテキストを書かざるを得ないということがある。こういうテキストは、他の人はどうか知らないが金でももらっていないと虚しいことこのうえない。
そして、たとえば私が好きだったミニモニ。に関しては、それなりのクォリティを保ってはいたものの、矢口脱退と高橋愛加入から、全盛期の勢いが失われたことは否定のしようがなかった。
しかも、アイドルというのはアイドルをやめるとタレントとしてまったく別の評価軸の仕事をすることになる、要するにいくら擁護して、その後、タレントとして成功しても、擁護した何かが戻ってくるわけではない。矢口がワイプ芸がすごいとか、アイドル時代には予想もつかなかったことであり、その点もテキストを書いていて虚しさが残った。

アイドルグループ内で、前に出る子、機転がきく子、上昇志向の強い子には確かに「これからもしかして、この子は大変なことになるんじゃないか!?」と思わせるものがあるのだが、実際、アイドルをやめてしまうとそのワクワク感は間違いなく雲散霧消する。
安部なつみがそうであり、後藤真希がそうであり、辻加護も(加護のスキャンダルを抜いても)そうであった。美空ひばりの歌かなんか歌っていた松浦亜弥も、そうであった。まのえりなが女優として認知されつつあるのも、彼女のアイドル時代とは何ら関係がない。
前田敦子もそうだろう。

それはややネガティブな言い方をすれば、学校の「ちょっと不良っぽい人気者」の行く末に近いかもしれない。
彼らが、どんなに学校内で輝いていても、社会に出てその輝きを保てる保証はまったくないのと一緒である。

むろん、アイドルとしてしか輝けない子の輝きを文章化することが無駄だとは言わないが、たとえば作家のデビュー時からベテランになっていく過程の面白さ、みたいなものは、アイドルがアイドルをやめた後のタレント性には、ない。

疲れたので、この辺で。

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