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【無】・「一部のお笑いと無について」

この間、あるお笑いトークライブに言ったら驚いたのだが、ある芸人がこんな発言をしていた。

すなわち、
「女芸人で、自分は女を売り物にしていない、かわいさや色気などではなく、ストイックにお笑いを追及している、
という雰囲気を醸し出しているやつが面白くない。」と。

・その1
男芸人ばかりのトークライブで、「かわいさや色気を売り物にしている、お笑いをこしかけみたいにしか考えていない女芸人が嫌い」という意見は、けっこうよく耳にする。
それは一理あると思う。最近の女芸人は、アイドルあがり、レースクイーンあがり、元小劇団の役者(ヒロインを演じられるようなルックス)、などといった人たちが大勢いる。
彼女たちは、間違いなく「美人であること」や「かわいさ」を(それがすべてとは言わないが)売り物にしている子たちで、ぜんぜん面白くなくてもファンがついていたりするから、それに嫉妬することもあるだろう。

だが、「笑いにストイックだから気に食わない」というのはすごい。
なぜなら、「お笑いをこしかけにするのが気に食わ」なくて、「笑いにストイックだから気に食わない」というのは、ほぼ女芸人を全否定していることになるからである。

1980年代くらいから、世相としてプロアマボーダーレス時代が到来しているのに、芸能の世界において「お笑い」は、プロの称号が得られるのがむずかしく、なおかつギルド化している面がある。
関西のことはよくわからないが少なくとも80年代の関東のお笑い界は「男の世界」であった。
メジャーな女芸人が山田邦子と斎藤ゆう子しかおらず、女性芸人を育成するシステムもなかった。

たけし軍団に私の知るかぎり女性はおらず、大川興業にいたかどうかは知らないがやはり「男の世界」というイメージである。
女性芸人に門戸を開いたのは後続の事務所、およびそれらが運営するお笑い学校であっただろう。

・その2
日本のお笑いというのは、個人的には反グローバリズム、反PC、言ってみれば反人権の世界だと思っている。
もちろんそうでない場合もあるだろうが、底流にはそんな雰囲気が流れているのである。
たとえば男の芸人は風俗通いをすることを決して隠さないが、これは芸人らしく本音でトークしているというより、芸人社会が基本的に男社会だからだろう。
確か一時期、ダウンタウン松本は「女性芸人は天下を取れない」と公言していたとも聞く.。
まあ松本は芸人社会を俯瞰で見られる立場にあるが、冒頭に書いたように「女芸人はこしかけでも気に食わないし本気でお笑いをやられても気が食わない」という意見が、平気でポロッと出てくる状態ではあると思う。

このことは、必ずPC化、グローバル化、平等化が進む社会の常識といつか衝突する。

まったくの予想だが、このことに関し、強固にホモソーシャルなコミュニティで生きてきた水道橋博士、伊集院光、それと意識的にリベラル思想に注意を向けている爆笑問題・太田、会社全般としては、よしもとなどは敏感になっているだろうと思う。

芸人はケムに巻くのがうまいし、発言が「冗談」と取られてしまうことが多いから、まだ市井の「フェミニズム警察」もこのあたりのことには気づいていない。

そもそも私は、「お笑いは体制への反逆」みたいなもの言いも、信じていない。
ビートたけしは、東国原が政治の世界に身を投じる、と言ったとき、
「どんな政権になっても生き延びるのが芸人。政治そのものにコミットするべきではない。だから、(形式的にだろうが)師匠弟子の関係を断つ」と言ったそうだが(現在どうなっているのかは知らない)、たけしはどんなに自分が憎まれ口を叩いて社会に反逆的な態度を取ったとしても、それは「権力」そのものを破壊することはできず、場合によってはピエロのように権力を補完することになる、ということを自覚しているのであろう。

おしまい。

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