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【映画】・「海街diaryの男女観」あるいは、なぜ激突しないのか?

鎌倉を舞台に、三姉妹(綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆)と、彼女たちと古い木造家屋で同居することになった腹違いの妹(広瀬すず)たちの日々の生活を描く。
まず彼女たちの家庭環境について説明をしておく(うろおぼえですが)。
十五年以上前、父親が家庭を捨て、女性と家を出る。その後、母親(大竹しのぶ)も娘三人を実家において、再婚して家を出てしまう。
三姉妹は、亡くなった祖母の実家でそれぞれ、仕事を持って暮らすことになる。ちなみに綾瀬はるかは看護師、長澤まさみは信用金庫の社員、夏帆はよくわからなかった。

父の葬儀で初めて三姉妹は、父の再婚相手の娘(広瀬すず)と出会う。この辺詳細は忘れたが、確か父の再婚相手(すずの母親)も亡くなっていて、さらに新しい妻がいるがすずとは血のつながりはなく、情も薄い。
それを感じ取った三姉妹は、すずを家に引き取ることにする。
ちなみに彼女たちの後見人としては、大叔母(樹木希林)がいる。

……まあ、この辺が設定の基本である。

さて、ネットウロウロしていたら、この映画のジェンダー表現に対する批判があったので、それが一般的なものなのかどうかわからないが、何か気分がモヤモヤせざるを得なかった。

・その1
その批判とはすなわち、「女性が自立し、男性がそれに触発されて動いていく話になっているが、結果的に男性が女性にぶら下がることしかしていない。男の都合のいい物語だ」というものだった。
ツイッターのツイートだったから140文字か280文字しか書けず、言葉足らずの部分もあるのかもしれないが、何かこう、読んでいてモヤモヤせざるを得なかった。

この批判者の言うことは、半分くらいは当たっている。
私は原作は未読だが、映画「海街diary」は、基本的に鎌倉で四季おりおりの自然を見つめながら淡々と生きていく四姉妹の物語である。だが、その背景には「優しすぎてダメだった父親」に対する「赦し」の物語があるのだ。

だから、観ている人が「この父親は何なんだ。勝手に浮気して家を出て行き、十五年間何のフォローもなく死んでしまった。こんな自分勝手な男があるか」と思っても、不思議ではない。
さらには、家を出て行った母(大竹しのぶ)に対し、大叔母(樹木希林)が、「あんたにだって旦那に不倫される理由はあった」的なことを言うから、そこにカチンと来る人も、まあいるにはいるだろう。

しかし、本当に映画「海街diary」は「男が自立した女にぶら下がっている」だけの映画なのだろうか?

・その2
本作において、「女性に触発されて動く男」と言ったら、綾瀬はるかの恋人であり妻のいる医師(堤真一)くらいしか思い浮かばない。この男の存在は、綾瀬はるかが、「よそに女をつくって出て行った」父親と同じことを自分が繰り返している、ということを表現しており、そのために綾瀬の父に対する愛憎もまた深いということになっている。
妻と別れようにも別れられない堤真一は、ではどれほどダメ人間かというと、妻は精神的な病気であるという設定で、まあそうなるといろいろ悩むだろうなという感じで、それほど「クズ」な印象は受けない。
さらに、最終的に綾瀬は堤真一と別れることを決意するので、これで綾瀬が堤との不倫関係を続ければ「男が女にぶら下がっている」とも言えるのだが、そこまでには至っていない。

他の、本作に登場する男たちを観てみる。しかし極端に言えば女房を働かせて自分は昼間からブラブラしているようなクズ男は登場しない。それよりも、男たちのだれもが影が薄い。これはおそらく意識的なものだろう。
問題があるとするなら、そのような演出が「四姉妹が自分たちの生活を守るために、自立して生きている」ということを際立たせる結果に「なっていない」ということ、とも言えるのだが、本来この映画はそういうテーマの作品なのだろうか、という疑問も残らざるを得ない。

・その3
まあ、正直言うと私はこの映画に、まったくピンと来なかった。
「美人姉妹がキャッキャウフフとじゃれあうだけの映画」と言いきってしまえば、それだけの映画のようにも思える。そして自分はそういうものがとくに観たいとも思っていない。
三姉妹と広瀬すずの間には距離があり、その距離を詰めていくことがドラマになってはいるが、その「距離」をつくったのは「亡き父親の不倫」というのも、ひっかからないではない。
なにしろ、最終的に三姉妹と広瀬すずを結び付けるのは「不倫した父に対する赦しの感情」なのだから、「そういうのが絶対に許せない人」の中には、噴飯ものの設定だと思う人もいるだろう。

しかし、それでもやはり「ジェンダー表現としてクソダメな映画」だと思うかというと、それほどまでにひどいとも思えない。「男が都合のいいように美女と美少女を描いた」という部分も、確かにないではないが、それだけかというとやはり「うーん……」と思ってしまうのである。
本作における「亡き父親像」は、簡単に言ってしまうと「自分が生まれおちてきた、どうにもならない環境に対する、ちくちくするような理不尽」というようなものだろう。三姉妹と広瀬すずは、お互いが出会い、共同生活を送ることによって、そのどうにもならない「理不尽」に決着をつけようとする。
長女の綾瀬はるかは、能動的に三姉妹の「家」を守ってきたことも描写されるが、それでも残る「理不尽に対する感情」というものはある。
そういうことは、男性にも女性にも、あることだろう。

本作のメインターゲットは女性だろうと思う。年配の人たちも入っていると聞く。彼女たちは本作が「ジェンダー的にダメな映画」だと言われれば「はぁ!?」と思うであろう。

「テレクラキャノンボール2013」のときもそうだったが、この手のことはもちろん「男VS女」という問題でもあるが、主義主張、思想なのだから、「女VS女」の論争があってもいいはずである。
だが、私が不勉強なせいか、ほとんど観たことがない(「男VS男」は、たまに目にすることがある。大方はホモソーシャル的な団結への嫌悪から来るのだが)。

そろそろ、女VS女の、ジェンダー思想上の大激突が、ネット上であってもいい頃である。
もちろん女性同士のケンカが観たいと言うような、悪趣味で言っているのではない。「女性の敵」が、「それを担うのが男にしても、女にしても、『思想』なのだ」ということが男性側に可視化されないかぎり、「性差における被抑圧者としての男と女」は、決して共闘できまい、ということが言いたいのである。

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