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「モ一度やろう」 [Kindle版] 全2巻 石ノ森章太郎(1982年、少年キング連載)

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1982年、少年キング連載。単行本化されていなかった(全集には収録)ものを、ようやくkindleで読めた。
幕末を舞台にした、意図不明の(?)ギャグマンガ。

時は1862年。赤ん坊の頃、異母寺(いぼじ)の前に捨てられていたモ一(もいち)は和尚さんに育てられ、発明好きの決してめげない少年に成長した。
異母寺は京都にあるため、ひょんなことから坂本竜馬と関わり合いになり、竜馬の敵だということで新撰組と小競り合いを繰り広げることになるモ一。彼は得意の発明で、いきがかり上、竜馬や桂小五郎を助けるのだった。
そんなモ一のピンチに駆けつけるのが、海外から日本美術の勉強に来た美少女・ジャジャミィ・ティングこと「グラマー天狗」で、孤児のモ一の世話を小さい頃からあれこれやいてくれたのが近所に住んでいるお美代ちゃん、というダブルヒロイン。
「芹沢鴨殺害」や「寺田屋事件」などの歴史的事実は描きつつも、基本的にはナンセンスギャグが繰り返されるという、謎の「リアリティライン」を持った作品である。

本作の連載時期の1982年は、実際の部数などはどうだったか知らないが、読者からすると「少年キング」は競合少年誌に比べて相当苦戦しているように感じられた。
当時の看板作品は「銀河鉄道999」と「超人ロック」で、それ以外、思い出せない。本作は大御所、石ノ森の週刊連載作品として、それなりに力を入れて始まったと思うのだが、リアルタイムで単行本になっていないのだから、やはり人気がなかったのだろう。

だが、「失敗作」と決めつけるにはおそろしい「チャンレンジ精神」が本作にはある。
この作品はギャグマンガなのか幕末ストーリーマンガなのか、いつまで経ってもそのラインがはっきりしない。「はっきりしない」というより、正確には作者自身が「独自の線引き」を行っていたのだ。欧米の映画のコメディにあるような、「史実の裏にはこんな話があった」みたいな感じに近い。
キャラクターの等身は低く、四等身くらいで、新撰組は「暴走族」にたとえられている。かといって作者が倒幕派にシンパシーを感じているかというとそうではなく、モ一が「あんたらの戦争ごっこに加担するのはもうイヤだ」というセリフもある。
というようなわけで、何か設定に、大きなポテンシャルを秘めていたと思うのである。

ところが残念ながら、連載第一回目から、「ストーリーがどこに進んでいくか」という大きな核がなかった。
たとえばモ一が自分の母親を探したいと強く熱望しているとか、幕末に暗躍する巨悪が登場して戦わざるを得なくなるとか、そういうことがあれば読者もまだついていけた。しかし、実際はいつまで経っても、意図不明のギャグ(桂小五郎が登場すると、必ず風で頭のかつらが飛ばされてしまうとか)が続くばかりで、お話がどこへ行こうとしているのかがサッパリわからない。

あまりに読者が先を予想しにくかったのが、よくわからない作品になってしまった原因だろう。
要するに、飛び過ぎていたのである。

その後、個人的な記憶では少年誌においてはメタ・スーパーヒーローマンガ「グリングラス」を少年サンデーに連載していたあたりまで、作品が自作のエピゴーネンになることを拒否し、挑戦し続けた石ノ森章太郎であった。
(その後の「仮面ライダーBlack」なども、悪くはないのだが。)

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