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【オタク】・「例のお見合い事件についても、忘れ去られたことについてフォローしておく」

1997年6月のことだそうである。
気になる人はググってほしいが、
「岡田さんの家に居候していた人物と、まったく別の、ネット上でコミュケーションをとっていたある女性を公開お見合いさせたが、グダグダになってしまった」
という「事件」である。
最初に私の見解を述べさせてもらうと、97年の段階でも、相当悪趣味だったことには変わりない。

また、「意外と」展開が岡田さんの思いどおりにならなかった点が、いまだに「事件」とされてほじくり返される理由なのだろう。

ただ、この界隈が「いじめを何とも思わない外道集団」みたいに思われるのも、ちょこっとだけ違う気がするのだ。

・その1
まず、当のお見合いをさせられた男性が、岡田さんの家に居候していた、当時そうは呼ばれていなかったが「弟子」のような存在だったこと。
今でこそ積極的に「サロン」をつくっている岡田さんだが、97年当時、オタク・サブカル界隈では、ある程度名をなした人とネット上でコミュニケーションを取れる、ということ自体が、大きな事件であった。
だからこそ、パソコン通信のアクティブであった筒井康隆やすがやみつる、加藤賢崇などはいまだに(私の)記憶に残っているのである。
現在では考えられないほど、メディアから情報を発信している人と一般人との距離は遠かった。

つまり、パソコン通信の会議室において、岡田さんなり、お見合いをさせられた青年なりが、一般人と混在して書き込みをしていようが、「あちら側(メディアによる情報発信者)」と「こちら側(一般人)」とは、厳然たる壁があったのである。
ましてや「弟子(岡田さんは弟子という言葉は使わないだろうが便宜上、「弟子」とする)」となれば、特別な関係である。岡田さんと「お見合いをさせられた青年」との間で、パソコン通信以外でどのような会話がなされていたかは、他のネットユーザーには皆目わからない。

そして、師匠と弟子の関係は今よりもずっと厳しかったことに、留意されたい。竹熊さんが年齢のわりには非常なリベラル思考の持ち主で、そのリベラル感覚で90年代を語ってしまうので、当時を知らない人たちはそっちに引っ張られるだろう。
けれども、やはり当時、師匠の弟子に対する命令は絶対だったのである。

・その2
だから、外野としてはこの「お見合いイベント」は、いったいどこまでがガチで、どこまでがいわゆる「プロレス」なのかは非常にわかりづらかった(竹熊さんは知っていたかもしれないが、それは内情をある程度知れる立ち場にいたからだと推察する)。
私自身も、よくわかっていなかった。さすがにお見合いイベントの場に足を運べばわかったかもしれないが、パソコン通信を見ているだけでは、なんだかよくわからなかったのである。

・その3
もうひとつ、書いておかねばならないのは、私はこのエントリで「オタク学入門」を、「オタクを、『情報社会に適用できる新しいライフスタイルを実践する者』としてとらえなおした、画期的な著作」と書いたが、「とらえなおした」というところがポイントであり、まあ書いてあることがウソだとは言わないが、「オタクのいいとこどり」をして書かれたものだった、ということである。

つまり、少なくとも岡田さん周辺のオタクは「オタク学入門」に書かれているような、トンガリ・キッズ的な(わからない人はググって)「スマートなオタク」を「演じる」ことを、少なからず要求されたのである。
この辺、ニュアンスの説明がむずかしいが、「対外的にオタクがどうふるまうか」で、その評価が決定されるかもしれない、と思わせるような雰囲気が、当時はあったのだ。

「お見合いさせられた青年」が岡田さんの「弟子的立ち場」にあり、さらに「理想のオタクとしてふるまうこと」を要求されていたとなれば、二重にコーティングされていて、ますますガチかプロレスかの区別はつきにくくなる。
この「対外的なオタクのふるまい」に関して、「空気」を醸成してある程度、一般オタクにさえ要求していたのが当時の岡田さんであり、ある意味バカ正直に、「オタクには密教と顕教がある」と言ってしまったのが竹熊さんである。
それはそれで、竹熊さんらしいな、と思う。

・その4
そしてこうした「オタクなら、オタクらしいふるまいをしなければならない」という、当時の妙な圧力に酷似しているものは何か、と言えば、「芸人」だろう。
芸人は常に面白いことをしなければならない、面白い話を持っていなければならない、当たり前のことを当たり前のように行ってはならない、親しい人物が死んでも葬式で泣いている芸人はアホで、何でも笑いに変えてこそ供養になる……。これらは「芸人はこうあるべき」という自覚があるからこそ成立するふるまいである。
岡田さんはそのような「演じる」ことを、当時のオタクを世間にアピールするために必要なことと思っていたのであろう(それと、お見合いイベントが悪趣味かそうでないかはまったく別の問題で、私も悪趣味だと思う)。

・その5
ここから話はそれる。
当時の岡田さん的「オタク像」が、(よほどのエリートでないかぎり)ある程度「演じるもの」だったのに対し、後の「萌え」ムーヴメントでは、「二次元美少女が好きである」ことを「カミングアウトすること」、それがすなわち「オタクとして自然にふるまうこと」として、普通になる。
そして、オタクのだれもが「芸人」になれないように、世の趨勢は一気に「ありのままの『萌え』なオタクの自分」を表明する、というかたちになっていく。
中には仕事上、無理している萌えヲタもいるかもしれないが、まあごく少数だろう。

もちろん97年当時、何も考えていなかったオタクもいるが、流れ的に言えば、岡田さん的オタク像が、「オタクはこうであらねばならない」というある意味ハードボイルドな側面を持ち合わせていたのに対し、後の萌えヲタムーヴメントは、「二次元が好きな自分をさらけ出せばよい」という、個性尊重主義みたいなものに移行してきているのがわかると思う。

(ちなみに、岡田さんが当時、本当にハードボイルドにオタクライフを生きていたかは、また別の話ではある。)

(それにしても、あの青年は今、どこで何をしているのか気になる。)

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