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【雑記】・「だんしは天才だったが、落語論以外で言ってることはムチャクチャだった」

私は落語のよしあしはほとんどわからないが、たてかわだんしが天才であったろうことは予想できる。
というのは、彼が生前、「若手の漫才師のネタを見て論評する」という番組に出たとき、
「あなたお風呂にする? ご飯にする? それとも?」というのを練習でやってみようという(「練習でやってみよう、といって漫才からコントに入るパターンですね)ネタをした若手漫才師に対し、
「今どき、そんな奥さんがいるか。古い」
と言ったからだ。
確かにそのとおりなのである。他にもまったく別のところで、古典落語のキャラクター論みたいな話をしたときに膝を打つことがあった。

ところが、私の知るかぎり、彼がテレビなどで言っていた、「落語以外の言動」は、毒舌を通り越してメチャクチャであった。

・その1
私は彼の落語界での役割、30年前、40年前の彼のキャラクターなどはいっさい知らない。
当然、国会議員時代も知らない。そもそも、なんでああいうキャラクターの人が国会議員になれたのかもわからない。
私が彼の存在を知ったときは、彼はもう五十代後半だった。
だから、彼の若い頃の発言は、ここでは問わないことにする。

後から知った、免田事件(冤罪事件)の容疑者に対し、「あいつはやっている」と発言したのは彼が五十歳のときらしい。もう立派な大人だから、確信犯的な発言だったろう。
他にも、私の知るかぎり北朝鮮拉致被害者への暴言があったし、「いじめはなくならなくてもいい。自分が上からいじめられたら、後から入ったやつをいじめればいいだけだから」という発言も読んだことがある。
正直、彼の「毒舌」は「よくぞ言ってくれた」というより、何とも言えぬイヤな気分になるものが多く、わざわざイヤな気分になることもないので、ジャンル別にどのような発言をしていたかも、調べたことはない。

テレビお笑い的には、彼が大御所であること、「落語」というジャンルが、「テレビのお笑い」というくくりの中ではある意味、「別モノ」とされていることなどもあり、私の記憶ではあまり問題になったことはない。
あるいは、「毒舌と言えばたけし」というイメージがあり、そのオリジンみたいな評価のされ方をすることもある。
しかし、たけしとだんしでは毒舌のあり方がぜんぜん違う。

たけしの場合、トークは「風刺」と「ナンセンス」に大別される。たけしの言動も細かく調べたことはないのだが、彼が繰り返し言っている「食べるということは本来恥ずかしいこと」などのグルメ否定論などは筋が通っているし、逆に、
女優の「市毛良枝」に対し、「いちげ、って毛が一本しかないのか」と言ったりするというのは完全に、ナンセンス系の毒舌である。

要するに、どっちもそれなりの論理体系があって、視聴者には理解できないということはない。テレビ向きの、ポップな毒舌と言える。

・その2
ところが、私の知るかぎり、だんしの「落語以外の言動」は、ほぼメチャクチャに近い。ただ人を不愉快にさせようとか、いわゆる「逆張り」で世間の常識と違うことを言ってやろうとか、それだけを目的にしている場合も多い。「いじめはなくならなくていい」発言はその典型であると思う。
もちろん、中には批評性のある言動もあるのだろうが、そういう言動もあるからと言って、メチャクチャな言動があることが担保されるわけではない。
実はずっとガマンしていたのだが、私はだんしにかぎらず「確信的なメチャクチャな言動」が大嫌いなのである。
なぜなら、だんしほどの地位に昇りつめてしまうと、「メチャクチャ」、「逆張り」こそが常態化し、ファンが受け止めるという共犯関係が成立しきってしまっているからである。
もちろん、「送り手と受け手の共犯関係」は必要である。そうでないと成立しないメディアというものがこの世にはたくさん存在する。たとえば「劇場版テレクラキャノンボール2013」などはその典型である。あれは受け手が「これはどう言い訳してもサベツである」ということを認識していないと、成立しないのだ。
逆に、「世界に発信する」とかなんとかうたってしまい、「共犯関係」を自ら崩してしまったところを突かれたのが、「人工知能学会」の表紙問題である。

あれを「世界に知ってもらいたい」などと言わずに、「我々はオタクの集団なのでどうしても女の子ロボットを表紙にしたいと思い、非難覚悟で学会にふさわしくない表紙にしました」とでもうたっていれば、あそこまで問題にはならなかっただろう。

そして、逆に言えば「テレキャノ」にしても「人工知能学会の表紙」にしても、「送り手と受け手の共犯関係」を、
「おまえたちは共犯じゃないか!」
と批判することは十分に可能だとも言える。

だが、いわゆる「大御所」と言われている人たちは、だんしに限らず、こうした批判が通用しづらいのである。
なぜなら「大御所であること」が、一種のバリアーになっているからである。

だからこそ、若手の辛口評論家は、だんしや山本夏彦のポジションを目指すのである。

山本夏彦のスタンスは、だんしと酷似しており死後もそれは変わらない。

山本夏彦については、次回、書くことにする。

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