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【ドラマ】・「男女7人夏物語」

1986年に放送された人気恋愛ドラマ。いわゆる「トレンディドラマ」のさきがけとなった作品とも言われている。

泥酔した夜を過ごした今井良介(明石家さんま)は、朝、自分のベッドに見知らぬ女・神埼桃子(大竹しのぶ)が眠っていることを知って驚く。
二人は前の晩、酔って意気投合していたと後から聞かされるが、記憶がない。二人は顔を見合わせるなり言い合いになる。

その後、桃子は、妻のいる男性との恋にのめりこむ友人・沢田香里(賀来千香子)に新しい男を紹介しろ、と仲良し四人組のメンバーである千明(池上季実子)や美和子(小川みどり)に言われ、たまたまライターとして取材した大沢貞九郎(鶴太郎)を紹介する。
貞九郎は、偶然、良介の友人だった。これにプレイボーイの野上(奥田瑛二)を加え、女性四人、男性三人でのグループ交際のような関係が始まった。
そのメンバー内での恋模様を描いたドラマ。

・その1
1986年と言えばバブルの頃。私が当時、こんなオシャレで固めたようなドラマを観ているわけがないのだが、あまりにも有名なので再放送を観てみることにした。
観た理由はそれだけではない。本作の脚本を書いている鎌田敏夫は、70年代には「飛び出せ! 青春」のような、86年段階ではほぼ陳腐化したかつての人気青春ドラマを担当し、さらに83~85年には現在まで続く「不倫」イメージを形成した「金曜日の妻たちへ」を手がけているからである。
ドラマは脚本だけでつくられるものではないとはいえ、70年代と80年代というまったく違う時代に、彼がテレビドラマの最前線にいたという意味は大きい。
しかも、「青春もの」、「不倫もの」、そして「男女7人」は、ジャンルによって作風を大きく変えたとも思えない、脚本家の色がよく出た作品になっているのである。

・その2
「青春もの」、「不倫もの」、「男女7人夏」の三作の共通点は、「旧コミュニティからの脱却」である。
まず「青春もの」というジャンルそのもの、「青春」という切り取り方そのものが、大人と子どもの中間的状況に価値を与えたジャンルであると言える。「青春」という概念がいつ頃からあるのか知らないが、「青春もの」として一般的に記憶されているのはやはり、70年代にずっと続いていた中村雅俊などが主演し、鎌田敏夫が脚本を書いた「飛び出せ青春!」などのシリーズである。
そして「青春」というのは、子どもが精神的に親元から離れて初めて成立する概念なので、「個人主義」を抜きにしなければ語れない部分がある。
どんなに集団行動をしていても「集団行動をしている自分」という概念がなければ、「青春」とは言えないだろう。

そして、「青春」という人生の切り取り方は当たり前になった。
80年代前半の「金曜日の妻たちへ」は、すでに結婚して子どもがいたりする夫婦仲間が、年がら年中集まって楽しく食事をするのがメインのようなドラマである。
彼らは両親と同居せず、新興住宅地に住み、時間があえば楽しく会食をする。そんな彼らは、大人になってからも学生のようである。
何百回も指摘されていることだが、それも「オシャレ」の一種であった。

「金妻」では、「夫婦」、「仲間」、そして不倫関係という、大きく分けて三つの関係性が出てくる。
「青春もの」では、恋愛は出てくるがラブコメマンガのような、「つきあう全段階」のような関係が多かったと記憶している。ガチな恋愛関係がなければ、仲間は永遠に仲間として生きていける。
だが、恋愛というのはまず個対個、の関係性が成立しないといけない。より正確に言うならば、恋愛は個対個でなければならない、というのが鎌田恋愛ドラマの大前提であり、70~80年代の他の恋愛ドラマも、そうだったのだ。
だが、恋愛や結婚には「個を殺さなければならない」という矛盾も出てくる。その矛盾において、「個」に重点を置くと、不倫は「アリ」になる。社会的な制約がどうあれ、個人の欲望に忠実に従った結果が「不倫」だからである。
そう描いたのが、「金妻」シリーズなのである。

・その3
そして86年の「男女7人夏物語」である。
同作では、登場人物は全員(当時の)結婚適齢期。恋愛を禁止するものなどいない。
しかし、「旧コミュニティからの脱却」、および「その果ての、恋愛と個人主義との矛盾」が、やはりテーマではないかと思えてくる。
まず登場人物全員が、「個」として自由にふるまっているように描かれている。実際には、上司とおつきあいで酒を飲んだり、つまらないしがらみがあると思われる7人だが、そういうシーンはわざと描かれていないように思える。
そもそも、第一話で、香里(賀来千香子)は不倫をしている。そして彼女は「彼のセックスの虜になってしまったんだ」と、言ってはばからない。彼女には、何らの罪の意識もない。
それを止めさせようとするのは、千明(池上季実子)だが、別に倫理に反しているからというわけではなく、このままでは幸せになれないから、不倫を否定するのである。
また、7人のうち、4人の女性グループは、過去にもお互いに彼氏を取ったり取られたりしたことがあるらしい。非常に面白いのは、このうち香里が「思いこんだらターゲットに一直線にアピールするタイプ」らしく、桃子(大竹しのぶ)は、ほぼ天然で好きになったら他人の男を取ってしまう、というふうにキャラ分けがなされていることだ。
香里はともかく、いまだに「人の男を取ってやろうと思ったことなんかない」と言い張る(そしてそれは本当なのだ)桃子なんか、よく女友達がいると思うのだが、彼女たちが罪に問われることはない。
それは、彼女たちの行動が「個人主義」に基づいているからである。

・その4
対するに、どうも「自分の親が不幸だったから」という、家庭の事情で人を愛せなくなってしまったのが千明と野上(奥田瑛二)である。千明は美人なのに意外と恋愛に臆病であり、野上はプレイボーイとしてふるまうことで特定の恋人をつくらないようにしている。序盤で「家」、つまり「旧コミュニティ」の問題が出てくるのは、ほぼこの二人だけである。
その後、良介は千明と付き合いセックスまでするが、どうしてもウマが合わず千明を振ってしまい、第8話の、物語全体のクライマックスである、「雨の中の桃子への告白」に至るのであった。
もちろん、良介が千明をふったのは「自分には合わない」という「個人」の都合であり、良介と桃子はめでたく結ばれる。
この後、良介の義姉が良介に縁談を持ってきたり、桃子の父親が都会で婚前交渉をしていた桃子を「ふしだらだ」というような展開があるが、この辺は「家の問題」ではあるのだがあまりにもベタすぎると感じる。どこか「70年代っぽい」のである。
個人的には、ここらはかなりダレ場で、「男女七人夏」のクライマックスはやはり第8話だったと思う。
正直、後はだれがどうなろうがどうでもいいのだ。
良介と桃子の関係もそれほど新しいとは言えないのだが(お互い好きなのに、合えばケンカばかり……ってヤツね)、他の五人も、だれがだれとつきあわねばならない、というような必然性はあまりない。

・その5
それよりテーマが浮き彫りになるのは、「桃子がライターの大きな仕事で半年間、アメリカに行かなければならない」という問題が持ち上がったときである。
たった半年なのに、良介、桃子、そして周囲のキャラクターたちも大騒ぎになる。なぜか。
「半年の間に、恋愛感情がなくなってしまうかもしれないから」である。
もともと、桃子は気分屋で移り気な設定があるし、何より、個人主義が大切にされるべきだから、半年で心変わりしても、それはこのドラマでは「罪」ではないのである。
まあ「アメリカに行く」というのも、当時の最終回としてはベタすぎてちょっと笑ってしまうのだが、それにしても、二年とか三年とかならともかく(続編の可能性を考えての「半年」だったのかもしれないが)、良介も桃子も、お互いに「心変わりはしない」と、きっぱり約束できないところが何かすごいところだ。

まあそういうわけで、何が言いたいかというと、最近はどうだか知らないが、かつては「恋愛」は「二人でする共同性」と「旧コミュニティから離れた個人性」という矛盾した二面を持っていたということだ。
7人の登場人物の中で、美和子(小川みどり)だけが「恋愛じゃないとつまんない」とぶつぶつ言いながら、最終回にはいちばん幸せそうな「見合い結婚」をする。
だが本作の価値観では、あくまで自由に、好きになったら好きな人と恋愛をするのが至上なことであり、その「好きな人」は、「個人主義」によって変わってもかまわない、という矛盾をはらんでいるのである。

なお、こんな書き方をしたが良介と桃子は「橋の両端の片方ずつに住んでいる、会うときは橋を渡って行く」という象徴的な設定が盛り込まれているという。
まあそういう意味では良介と桃子が結ばれるのは第一話から「運命」なのだが、これまで書いたきたような見方もできる、ということである。

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