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【オタク】・「よりくわしく説明すると」

ネット上で、かいつまんで言うと以下のような指摘があった。

オタクコミュニティよりサブカルコミュニティの方が、基本的に「メンヘラ」許容度は高いがそれは逆に言えば、そういう人たちが問題を起こすときの対処にも慣れているということ。オタクは一度、仲間だと承認するとその「メンヘラ」な人物にえんえんと振り回される

私は「メンヘラ」という言葉が好きではないので、「困ったちゃん」くらいにしておく。
確かにそういう傾向はあるかもしれないが、私見で補足しておきたい。

「サブカル」が、なぜ問題行動を起こす人に慣れているかというと、「サブカル」そのものが自意識と直結している、と自覚している人が多いからだろう。
逆に、「オタク」は「嗜好を共有化することによって仲間意識を持つ」ので、「オタク仲間なら自分と他人にはベースがあるから、そう意外な言動や行動は取らないだろう」と思いがちである。
つまり、「最終的には一人一党」のサブカルと、「集まることによって、社会全般から文化的特性が浮かび上がる」オタクとの違いとも言える。

そして、私個人はもう一段階、奥があると思っていて、
「サブカルコミュ」が排除してきた「困った人」を、「オタク」のコミュニティが受け入れ続けてきた、という経緯があると思うのだ。
逆に言えば、オタクコミュの「変人」についていけない人は、たとえオタク趣味があってもオタクコミュには定着できない。
「海月姫」の東村アキコが、単行本のおまけページで自分のオタク的特性についていろいろ書いているが、「オタク的な特性」があったとしても、「オタクのコミュニティ」に所属したことがない人を「オタク」と呼べるかどうか、むずかしいのはそういう点にある。

これは、アニメが好きとかゲームが好きとか、一度何かに夢中になったら暴走するとかいうこととは、また別の問題である。

「サブカル」というのはもともとムーヴメントなので、参加者はなんとなく「で、あなたは何ができるのか?」とつきつけられているような気がする。
一方、「オタク」は、出現当初は「好きなことをやりたいからやっている」趣味の集団に過ぎず、しかし社会とのあつれきが、M君事件、オウム事件、有害図書問題などいろいろとあった過程で、「自分たちの立場を確保する」必要性が生じ、前島賢が名付けた、90年代半ば以降の「オタクの公民権運動」につながっていったのではないだろうか。

あるいは、かなり前に竹熊健太郎の言っていた「オタクには密教と顕教がある」という事実もある。
簡単に言えばオタクにもインテリと大衆がいる的な話なのだが、「インテリと大衆」で語弊があるなら「無邪気でない人」と「無邪気な人」がいるということだ。
「オタクで無邪気な人」は性善説なので、ひとたび「何を考えているかわからない人物」がコミュニティ内に入って行くと、ひっかき回されがちなのは、サブカルコミュニティより確率的には高いかもしれない。

なお、これはセクシュアリティの問題がからむいわゆる「サークルクラッシャー」とはまったく別問題だということは、付け加えておく。

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