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無(む)

「テレキャノ2013がフェミニズムの人から怒られている」という話を聞いた。
あるいは逆に、女子で絶賛している人がいるのも知っている。
今日はその話。

・その1
「女を男が格付けしたら面白いに決まっているのだから、やるべきではない」という意見を聞いたが、それでは「女が男を」、「男が男を」、「女が女を」格付けする場合はどうなのか。
「男が女を搾取する構図をそのまま、キャノンボールというゲームの中で踏襲している」という批判もあるが、的外れと言わざるを得ない。
「テレキャノ2013」が、構造として「ガチな格付け」を緩和するためにさまざまな趣向を凝らしているのは、見ればわかる。そもそも、オンナを格付けするだけの映画ならば、クルマのシーンはいっさい必要ないわけで。
言ってもAV男優、AV監督は世間的には被差別的な存在なのだから、「世界の縮図」みたいな言い方は単純すぎるだろう。
「男が女を格付けしているからけしからん」というのであれば、テレキャノの前にAV業界、ポルノ業界全体を批判しなければならないのではないか。
(ポルノ業界全体を潰そうと思っても無理だから、テレキャノ2013を批判してせめてその一端でもつぶしてやろう、というのなら、いちおうの筋は通るが。)

また、「競争」そのものが問題ならば、やはり「資本主義社会」そのものが問題ということにならざるを得ない。自分がオンナとしての美醜以外の部分で競争に勝っておいて、美醜に優劣を付けられることに激怒するということに、果たして意味があるのかどうか。

・その2
フェミニズムというのは、ハタから見ると「終着点」が非常に見えにくい思想である。
本当の「男女の平等」というのは何なのだろう。そもそも、「人間同士の平等」だってどうすればいいかわからないのに、そんな中、「完全なる男女の平等社会」というのは、たとえ理念型としてもありえるのだろうか。

そしてそれよりわからないのが「男のフェミニスト」の存在である。
もちろん、メンズリブなど、従来のフェミニズムと共闘して行こうという思想ならばわかるのだが、男がフェミニズムを追いかけて行くと、必ず「男であるがゆえに、女性より損をする場合」というのにたどりつく。
そのとき、「男のフェミニスト」はどうするのだろうか。自ら進んで損をするのだろうか。それとも、そこへ来て「男性の権利」を主張するのだろうか。
別にどうしても自由だが、そこがはっきりしないかぎり、男の立場でフェミを語っても、それは「ホモソーシャルの中の逆張り」とのみとらえられても仕方がないだろう。

それと、何度かツイッターでも書いているが、まず作品を観てほしい。作品を観ないで、その作品について語ることは許されない。「あえて見ないことで企画の不平等性を問う」みたいなドアホな意見も目にしたが、道徳、倫理の問題と、作品としての「感動」というのは別に論じられるべき問題である。
そうでなければ、いかなるピカレスクロマンも成立しないし、我々は広義の文学作品の中で、反・道徳的な人間に感情移入することが許されなくなる。
こんなことは教科書の1ページ目に書いてあることだと思っていたが、どうもそうではないようだ。

・その3
最近は「ホモソーシャルな世界に入って来て、女性がワリを食っていることをうったえる」というゴミみたいな主張が繰り返されている。ホモソーシャルなんだから男が主役なのは当たり前だろう。
批判するなら「いかにも女性がウェルカムみたいに主張しているものが、実はそうではなかった」というようなことを批判する方が、よほど世の中のためである。

「パシフィック・リム」が十分の一くらいの予算でつくられていたら、女性は観に行かなかっただろう。テレキャノ2013に関しては、もともと「女性が気軽にAVを観ることができない」という環境であることが、女性観客の多さにものすごく影響している。
「女性が気軽にAVを観られない」ということと、「劇場で女性を性的に搾取する(とされる)AVを上映すること」はまったく次元の違う問題であり、そこがゴッチャになっている感がある。

それとテレキャノ2013について、「ああいうホモソーシャルは苦手だ」という意見が以前から散見されたが、そういう意見を言う人はたいていが女性か、作品を観ていない男性である。
もちろん、ハメ撮りをする男たちと、撮られる女たちが同じ立場であるはずがない。そういう意味ではホモソーシャルだが、出演男性たちが女性を心理的に、完全に排除しているかというと、それがそうとも言いきれないところが面白いのである。
そんなに簡単に1かゼロかというわけにはいかないし、はっきりさせられるのならわざわざ映画にして上映する意味もないのである。

もう一度繰り返すが、「男のフェミニスト」ならば、まず「フェミニズムにのっとった、男女完全平等の理想社会」がどんなものかを提示するべきだ。そうでなければ、「ただの水を差すヤツ」である。

陰謀論めくが、「ホモソーシャル空間にフェミニズム的に水を差す」人たちは、今後も片っ端から狙い撃ちしていくだろう。
なんでかというと、耳目が集まるからである。
私はそのようなことをしても、「運動」に一片の寄与もしないと思うのだが、どうやらそういうことでフェミニズムが一歩も二歩も前進する、と思っている人が、私が思っている以上に多いらしい。

もうひとつ、「男のフェミニスト的主張」が気になるのは、本来、「主張の違う女性同士で論争すべき問題」を、「男のフェミニスト的主張」が混ぜっ返してややこしくしてしまうという問題点があるからである。

もちろん、圧倒的に男のクリエーターが多いであろうAV業界の男性に意見する女性がいてもいいが、イズムの話となるとまた状況が違ってくる。
テレキャノ2013を支持する女性と支持しない女性は、直接論争すればいいのであって、その「女のイズム」の戦いに、本来、男の出る幕はないはずなのである。

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