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【アニメ映画】・「ベイマックス」

地下のロボットファイトにうつつを抜かす天才少年を、兄は輝かしい新技術の研究開発が行われている大学に連れて行ってやる。
それに少年が魅了され、目標を見出した矢先、大学に火事が起きて、兄が死んでしまう。
「人を救うロボット」ベイマックスを残して。

「事前の広告が内容を正しく伝えていない」、「ディズニーのPC力のために日本のエンタメは置いて行かれる」といった、本編にはあまり関係のない情報ばかりがネットで入って来てしらけてしまったが、よくできた映画ではある。
ただし、あんまりPC、PC、いろんな人がうるさいのでその辺のことについて書いてみたい(ネタバレあり)。

確かに「ベイマックス」は、ほとんどあらゆるものを消臭化してしまっているアニメ映画である。
つり目の日本人も、色気だけの女も、エディ・マーフィみたいな黒人も、(PCとは関係ないかもしれないが)世界を征服しようとするひげもじゃの悪人も出てこない。
しかし、こうしたことは徹底こそされなくても、アメリカ映画が過去からずっとやってきたことであり、今回もその延長線上にすぎないと言える。
たとえば、刑事もので主人公の上司が黒人だったり、チームを組んだら頭脳タイプの男が黒人だったり、というのは以前からむしろ「定番」となってきていた。

しかし、あまりに消臭化が巧妙なために、本作は「テーマのごまかし」のレベルにまで達していると思う。
私は基本的に、映画の中で悪人なんかみんなぶっ殺されればいいと思っている人間なので、「バットマン」が人権主義(アメリカの人権主義)によってジョーカーを殺さなかったりする意味がよくわからない。
だからこういうことはあんまり書きたくないのだが、みんながあんまりPC、PC、騒ぐので書かざるを得ないのだ。

まず「ベイマックス」はもともと癒しのロボットであり、その製作者である主人公の兄も、決して好戦的な人物ではなかった。ここまではよい。
ところが、「癒しのロボット」であるベイマックスを、主人公の「大学の火災の真犯人を捕まえるため」という無邪気な理由で、戦闘用に改造してしまう。
実はこの流れ、主人公の兄がもし生きていたらそんなことを容認したかどうか、まったくごまかされているのである。

他の大学生連中も、自分たちの研究課題を武器化して戦隊ヒーローになるが、これらの「好戦的」な展開が許されるのは、彼らの目的が、メカのコントローラーである「仮面を奪う」ことだけを目的としているからである。
仮面を奪うのが目的だから、そのためには多少は危ないことはしてもいい、という理屈である。

ここには飛躍と矛盾を感じざるを得ない。そもそも、主人公の兄は思春期の主人公を大人にしてやろうと思って、大学入学を推奨したのではなかったか。
ところが、実際には主人公は、子どもの無邪気な心で「戦隊」をつくってしまうのである。

もちろん、天下のディズニーだから、「ベイマックス」は主人公が本当の意味での憎しみの心を持ったとき、それを癒す働きをする。そんなところにぬかりはない。あるはずがない。
だが、それと「ベイマックス」が戦闘用に改造されることの是非は、まったく別の問題なのである。

誤解されると困るが、私はこの作品は、好きである。空想上の戦いが大好きな私が、嫌いなはずがない。だが本作がもう一歩飛躍するためには、「亡き兄が、ベイマックスの改造を、弟の成長として認めてあげる」というシチュエーションがなければいけないんじゃないかと思った。そうでなければ、ベイマックスが「癒しのロボット」である理由が、大幅に後退してしまうのである。
「亡き兄」がどうやって「弟」を認める? それはハリウッドで考えてください。

あるいは、本来なら主人公の少年の「ベイマックスの戦闘ロボット化」は、「無邪気な少年の、過剰なまでの攻撃性」として、「逸脱するもの」として描かれるべきではなかったか。
しかし、そこも見事に消臭されてしまった。

だから、本作はむちゃくちゃに面白いし、すばらしい作品であると同時に、「人間のどろどろとした部分」までも浄化してしまったような、そんな物足りなさを感じることも事実なのである。

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