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【オタク】・「突然、思い出したこと」

ハリウッド版ゴジラ(この間のギャレス・エドワーズ監督の方ね)が話題になっていたとき、オタク論についてそれなりに知識を持っている友人に、
「ハリウッド版ゴジラ、やるね。そういえば、初代のゴジラ見た?」と聞いたら、
「観てない」
と言われ、「えっ!?」と驚いた。
だが数秒後、すぐに思い出した。
90年代後半、アキバブームの直前くらいの頃、我々は「ゴジラ」の話などほとんどしなかったし、それでも周囲に「オタク」はたくさんいたのである。
この記憶をとどめておくことは、重要なはずだ。

・その1
いわゆる「M君事件」から数年、「もうそろそろホトボリがさめてもいい頃じゃないか?」と、みんな思っていた1995年、アニメ「エヴァンゲリオン」が始まった。
そして翌年、オタキングの「オタク学入門」が刊行される。

まあ、「オタキングがどんな本をいつ出そうが、おれには関係ねぇ!!」と憤るオタクの人がいることも知ってはいるのだが、「オタクはオタクでいていいんだ!」と強く主張し、論理武装させてくれる著作は、この「オタク学入門」以外はなかったことは事実である。
むろん、それまでにも大塚英志とか宅八郎みたいな人もいて、それなりに無視できないのだが、大塚は「おたくっていろいろと問題点もあるけど、切り捨てちゃいけない人たちなんだよ」という、後ろ向きというか「駆逐されそうになるのを押しとどめる」スタンスだったし、宅八郎の存在は「おたくというキャラを演じきることによって、いろいろなものを浮かび上がらせようとする」というパフォーマンスの一種であり、やはり「マイナスを演じることでプラスにする」というスタンスだったと思う。
それに対し、「オタク学入門」が、初めて「オタク的観点は新しい、これからの、役に立つ視点なんだ」と「前向きさ」をブチあげたことに、非常に大きな意味があったのである。
(裏返せば、それだけオタクにルサンチマンがあったということである。)

・その2
つまり、オタキングにとって「オタク」とは「視点」の問題であり、その「新しい視点」を世の中にアピールすることが当時の彼の目的だったと、私は考えている。
だから、よくよく考えれば、当時のパソコン通信やコミケ会場などでいろいろなオタクたちが集まってきていたが、共産趣味者(政治運動をウォッチングしたり書籍やグッズをコレクター的に集める人たち)もいたし、アニメファンもいたし、おもちゃコレクターもいた。それこそ、いろんな人たちがいた。
「高速道路のジャンクションマニア」を、「視点の面白さ」としてオタキングがよく紹介していたことを思い出す。
これなどは、当時、オタクが特撮ともアニメともゲームとも関係なくても成立しうる、と考えられていた証拠だろう。

当時、集まっていた人たちは「視点」を共有していたのであって(それは幻想だったかもしれないが)、だから、あまり細かい、サマツな話はした覚えがない。
むろん、オタキング自身がどう考えていたかは知らない。彼にしてみれば、SFマニアで特撮マニアでおもちゃコレクターのものすごい人たちがたくさん増えればいい、と思っていたのかもしれない。だが、当時の私の感覚としては、「視点」がとにかく重要だったのである。

もうひとつ、今と違うのは「対世間的に、オタクは思ったほど変人ではないし役に立つ」と広くアピールしたい、と思っている人たちが多くいたので、「オタクの負の側面」は、あまり語られなかったということだ。
とにかく、世間からの視線を、みんな気にしていた。だから「オタクはこうである」とふるまうことが、要求されていたように感じた。
話は飛ぶが、谷啓の家が火事になったとき、友人がかけつけたら、彼は焼け跡で麻雀をしていた、という話がある。大変なときに、わざと平然として見せて友人を驚かそうと思ったらしい。芸人は、芸人仲間の葬式でも普通の人のようには悲しまないし、なんとか笑いを取ろうとする。それが、亡くなった芸人への供養だとも考える。

当時の「オタク」には、そういうところがあった。たとえば三次元の女性にふられたって、結婚もできず一人ぼっちでいたって、平然としていなければならない、というようなことである。いや実際、私がだれかにそういう態度を強要されたとか、そういうことではない。
だが、「オタク」を一種の「奇人ではあるが、役に立つ存在」として強く打ち出そうという動きはあったはずだ。
オタクならではの悲惨な話も語られはしたが、あくまで自虐ギャグにとどまっていたと記憶している。

・その3
余談になるが、90年代当時、「恋愛」や「結婚」の問題はバッサリ切り捨てられていた、そのことが2000年代になってからの「萌え」の強調というか「萌えている人間がオタク」という方向に大きく舵が切られたことの一因だろう。

話を戻す。
なんでこのエントリを書こうと思ったかというと、
「オタキングなんて、どうせときどき部室にやってきては本当かウソかわからんことを吹き込んでくる迷惑なOBのような存在なんだ」という意見をネットで見たからだ。
まあ今は多少そういう面があるかもしれないが、彼を「いつの時代にもいるヤツ」として片付けてしまうことには、異議がある。
彼は「後続オタクのルサンチマン」と彼の主張が合致していた頃、独自の輝きを放っていたのである。

逆に言えば「「そもそもオレはオタクとしてルサンチマンを感じたことがない」という人にとっては、「オタク学入門」は、別にあってもなくてもどうでもいい本、ということになる。

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