【雑記】・「許してやれよ、ハロウィンコスプレ」
なんでも今年のハロウィンは大人がコスプレしまくったそうで、テレビだけの知識ではなく、実際に新宿で天使や悪魔のコスプレをした女性たちを見かけた。
しかし、ツイッター上のコミケ系コスプレイヤーの一部からは、いろいろとディスが飛び交っていたようだ。
それらは主に、
・リア充が、ハロウィンのときだけコスプレをしている
・由来も知らないで、海外の文化をマネしているから嫌い
・渋谷にゴミをまき散らかしていったからイヤだし、そのせいでオタク系コスプレイヤーまで非難される
とかまあそんな感じ。
私が、ハロウィンの日に平気でコスプレ姿でウロチョロする女の子を見かけたのが2、3年前だから、それがそのまま増加して今年のようになったようだ。
私も若い頃なら、「唾棄すべき状況」として怒り狂っていたかもしれない。だが、私はトシをとってしまった。
「日本は他宗教には寛容」とは俗に言われるが、それを置いておいても、すでに「クリスマス」を受け入れてしまっている以上、ハロウィンでどうのこうのとは、もう言えないのではないか。
「ハロウィン」がイヤなら、クリスマスの浸透を食い止めるべきではなかったのか。
クリスマスはパーティーをしておいて、ハロウィンはダメという理屈は、どこにあるのか。
……とまあ、そんなことを思ったのである。
とくに一部のオタク、コスプレ女子の物言いは、オタク誕生時からある、「世間から疎外されたルサンチマン」と寸分たがうことがない。
百歩譲って、「オタクはルサンチマンを抱えるものである」としたとしても、もともとオタク間でも「コスプレをする人」は、「人前に出ても平気」、「容姿にまったく自信がないわけではない」という特性を持っている。
統計を取ったわけではないが、オタク間でもコスプレをする人の方が、「リア充度」は高いのではないか?
そう考えると、「何が問題か」は、もうさっぱりわからないのである。
「渋谷にゴミをまき散らかしていったからイヤだし、そのせいでオタク系コスプレイヤーまで非難される」に至っては、被害妄想に近いのではないか。
世間はそこまで、コスプレについて考えてないと思うよ。
だいたい、「コスプレ」のウィキペディアの項では、「オタク系コスプレ」の元は、アメリカのファン活動の中でのものであり、その大元はハロウィンなどでコスプレをする西欧の文化だということになっている。
つまり、コミケもハロウィンも、根は同じなのである。
確かに、文化には「表出するものは似ていても、そこまでにいたる下地としての文化がまったく違う」ということはあり得る。
たとえば、なんでも達者な大スターが、どんな曲でも書ける天才肌の作曲家に、ラップをつくってもらって披露したとする。
たとえ、それの作品的なクォリティがすごいとしても、やっぱり本来のHIPHOPとは違うわけで、そういうことはありえる。
ありえるが、それはオリジナルとなっている文化が侵されるという危険性がないかぎり、文句を言われる筋合いのものではない。
ハロウィンのコスプレが、今後、オタク系コスプレイヤーの領域を侵すことがあるだろうか?
たぶん、ない。
それは安心していい。
我々はクリスマスパーティーを受け入れてしまったのであり、パーティーをやらない人間もわが子にはクリスマスプレゼントをやるのであり、すべてを拒否するのなら、明治維新は達成されるべきではなかった。
みんな、新撰組とともに滅んでいくべきだった。
辛いが、我々はハロウィンを受け入れるしかない。
血の涙を流して。
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