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【無001】・「雑学考」

90年代初頭、「クイズの回答的知」が一部の評論家によってものすごく批判されていたと記憶する。
まあ世の中はクイズの回答みたいに答えは出ないから、そういう意味ではその批判は間違ってはいなかったが、いい大学入って卒業した人たちが言ってもしらじらしいよな。
受験勉強がクイズ的知、以外のなんだというのだろうか。

それとも、「高校までのクイズ的知は必要であり、そのうえで、大学に入ってから『ほんものの知』を得よう」ということだったのだろうか。
だとしたら、高校三年間、まともに勉強して、その後大学に行かなかった生徒は、バカみたいではないか。

それと、2000年代のトリビアブームも、(私が知らないだけかもしれないが)表立った批判をみたことがなかった。
もともと、90年代初頭のクイズ的な雑学批判の根底には知識人によるオタク批判が横たわっていたのだが、2000年に入って情勢が変わったので宗旨替えしたのだろうか。
こういうのは、後から腹が立つよね。

80年代後半から90年代初頭の、知識人によるオタク批判は、
「きみたち、知識への渇望はあるのにそれをアニメや何かで消費しちゃって、まったく惜しいんだよね、ボクたちが教育してインテリに引き上げてあげよう」という雰囲気が濃厚だった。
今考えると気持ち悪い。

80年代後半から90年代初頭の知識人の多くは、サブカルチャー好きはまあまあ自分らと関係があり、コミュニケーション可能だと思っていた。
だがオタクとは価値観が断絶していたから、「ザンネンな知識人、知識人未満」というふうにしか、とらえることができなかったのだ。
あるいは、「オタク」を「知識人」側から「啓蒙」して、旧来の知識体系に取り込み、「お客さん」(言うなれば食いぶち)にしようとしていたのではないだろうか。

本当に80年代後半から90年代初めのオタク論の数々は、今考えてもムカついてくる。

「真摯」という意味でまともだったのは、90年代初頭当時では、オタク論においては大塚英志と宅八郎だけだったのではないか。

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