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【雑記】・「無題」

「都会の子が田舎で癒される」アニメは多いが、 「田舎の子が都会で癒される」アニメはどうか。 もう村八分にもあわないし、しょうやさまのガキの言うことを聴かなくてもいいし、ムラのしきたりで鬼の面をかぶった男たちに抱かれなくてもいいし、 土地神様の蛇に食われることもない(偏った田舎感)

これ、2014年9月21日にツイートして、以来、私のつぶやきにしてはめずらしく3056ツイート、 2,250ふぁぼされた。

このツイート、あくまで「アニメ」ってことと「ギャグ」のつもりで書いたんだけど、「田舎の子が都会に来ても仲間はずれにされたり方言をいじられたりして悲惨だ」ってマジレスされてウンザリした。せめて、ギャグで返してよ。あとアニメにしてね。

このツイートは言うまでもなく、一般的イメージの「ジブリアニメ」を揶揄したものである。
私は子どもの頃(ジブリ出現以前)から、「都会っ子が田舎で癒される」なんてすべて欺瞞だと思っていた。
実は1980年代以前には、「田舎」が都会人に語られるときには戦争での「疎開」が話題となっていた。
そこで語られるのはヨソ者としていじめや仲間はずれにされたという、苦い記憶である。未読だが、藤子不二雄Aの「少年時代」は、そのときのことを書いた作品だときく。

もちろん、80年代以前にも、「冒険ダン吉」のような、いわゆる白人酋長もの、「ターザン」、「ジャングル大帝」、東宝怪獣映画のように「南方への憧れを描いた作品」などは多かった。だがそこには冒険があり、異文化と接触するときの摩擦が盛り込まれていた。

「ひと夏の、田舎での滞在」と「癒し」がチョクで語られるようになったのは、まあそれ以前にもいろいろあったんだろうが、やはり「となりのトトロ」がひとつのポイントになっているのだろう。
もっとも、「トトロ」公開当初から、「トトロ」の登場人物たちは病気の療養に来た人とその家族、しかも父親は大学の教師で、田舎で自然に根ざして暮らしている人とはほどとおい、ということは指摘されていた。
ややうがった見方をすれば、トトロ公開よりかなり前に、「ディスカバージャパン」という日本国内旅行のキャンペーンみたいなものがあり、横溝ブームがあった。横溝的な因習・怪奇性を、確かに「トトロ」は残しているのだが、やはり「田舎イコール癒し」のイメージはつくったと思う。

私の他愛ないツイートが3000リツイートもされたということは、ツイッターの主な利用者は、「田舎イコール癒し的世界観」を、胡散臭く思っているのだろう。

それはいいのだが、「だけど都会にも疎外感はあるよね」的なエアリプをもらったときには、心底ウンザリした。
そんなことは私にもわかっている。そこまで言ってしまっては、ギャグとしてのおとしどころがなくなる。
日常生活にもこういう人はいて、なんでもけなせばいいと思っている。

それと、「田舎イコール癒し」に関するディスも、わざわざ返信されることが多かったが、私の最初のつぶやきにその感情が含まれている以上、それをかぶされても答えようがない。

そこまで言われると、今度は「田舎イコール癒し」をフォローしたくなってくる(笑)。

ジブリが天下を取った要因のひとつとして、「80年代の東京一極集中の文化」へのアンチテーゼだったことがあげられる。
80年代、文化は完全に東京中心だった。それはお笑いで言えば、たけし、欽ちゃん、とんねるずが性質は違っても基本的に東京の笑いであり、タモリも「都会の笑い」という点では東京的だったことからも言える。関西から来た明石家さんまは当時から大メジャーだったが、それ以外は「東京の感性」が占めていた。
それをじょじょに変質させていったのが、ダウンタウン以下のよしもと勢である。ダウンタウンをざっくりと「関西の笑い」とするのはあまりに雑すぎるのだが、それにしてもバックボーンがどこの土地なのか、が違うだけでもずいぶん雰囲気が変わったのである。

何が言いたいかというと、80年代後半までで、人々は「東京的センスからの抑圧」にウンザリしており、ジブリは見事にその受け皿になったということである(と言いつつ、「トトロ」の父親役の声優が「東京文化のオピニオンリーダー」たる糸井重里なのは、どういう経緯であれ興味深い)。

なんにしろ、「見たくない現実は、見たくない」のは地方も都会も同じなのだ。
そんなことくらい、私もわかっているのです。

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