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【雑記】・「ある右より芸人のコラム」

ある雑誌に、一部で右よりな発言で知られている芸人のコラムが連載されている。
このコラムにおいて、政治的な発言はむしろ少ない。ほとんどが日常の面白かったことや最近の仕事などについて書かれている。
彼は過激なことを言って耳目を集めるようなことはしなくてもいいほどには売れているし、事務所が時事ネタを歓迎しないのかもしれない(ちなみに、念のために書いておくが、鳥肌実ではない)。
しかし、その中でひとつ、ものすごく気になるコラムがあったので、そのことについて思い出して書く。

私は、芸人で右寄りな人は多いのではないかと勝手に思っている。これはまったくの想像なのだが、「国」という屋台骨が倒れれば、真っ先に食えなくなるのは芸人だからである。
また、「芸人社会」はひとつの巨大なコミュニティであり、何かあった場合、何が正義かというより「芸人社会」の保持の方に動くのは当然とも言える。古いしきたりもあり、縦社会もであるので、そうした面からも「伝統」へのリスペクトがある。
反権力的な思想の評論家から、反権力的な側面が論評されたりもする芸人界だが、私は「芸人の反権力性」というのは疑っている立場である。

閑話休題。別に芸人が右だって左だってどうでもいい。前述のコラムの内容はこうだ。
「いわゆる美魔女にテレビに出ないでほしい。トシをとってから、女性が自由に、エステに金と時間をかけたり美貌を追求したりするのは勝手だ。しかし、テレビに出ている彼女たちを見て、なりふりかまわずに子育てや夫のサポートを日々続けている、自分の妻のような境遇にいる女性がかわいそうである。自分は本当に美しいと思う女性の姿は、家事や子育てを一生懸命やる姿だと思っているが、とにかく彼女たちが傷つくのでやめてほしい」。

なお、ここには「女性は家に入って夫を立て、子育てをすべき」という文言はいっさい入っていないことは明記しておく。

私はこの文章を読んで「???」と思った。一読、よくわからなかった。「美魔女」という言葉も始めて知ったし。
しかし、じわじわと気づき始めた。この芸人は、「美魔女」なんて、本当はひとつも認めたくないのである。
これが旧来の右翼知識人であれば、「美魔女なんてバカだ」と一刀両断であっただろう。「知識人はなぜか上から目線」という法則があるので、ぜったいそうなる。
だが、彼は客商売である。大衆に反感をもたれては元も子もない。だから、「やめろとは言ってない、せめてテレビにだけは出ないでほしい」と書いたのだろう。

だが私は思う、「美魔女」が出てきて、彼の妻がそれにあこがれるようなら、ひるがえって自分をみじめに思うようなら、それは夫である彼の思想的敗北ではないか。

今もそうだろうが、共産圏の国は情報を制限している。なぜか。資本主義国の情報が、あまりに魅惑的だからである。それはもう、国全体が傾きんばかりに魅力的だからである。
しかし、そんな状況を見て我々が思うのは、「情報を遮断しないとやっていけないのか? この情報社会に」ということだろう。日本の鎖国時代じゃあるまいし。

この芸人の「美魔女」の場合、そっくり立場が逆転する。しかもテレビで稼いでいる男が、自由主義の権化のようなテレビにおいて「出ないでくれ」と懇願する。これは何かオカシイと思わざるを得ない。

ことネットにおいては、右とフェミの元気がいい。ところが、ごく単純に考えたら右的な思想はフェミ的な権利を抑圧するのではないか? 両者がネット上で衝突しているのかどうか知らないが、この二つが対立しているのをあまり見たことがないのが不思議である。

そして、「美魔女」の問題は「実は、この芸人の主張では、女性は何をやってもいいわけではない」ということを明らかにしたぶん、興味深い矛盾を露呈させているな、と思う。
この芸人さんは正直なのかもしれない。

なお、彼は着飾って大人と対等にわたりあう「子役」に関しても、「特別な存在」、「テレビというのは非日常の世界」と言って、子どもが子役に憧れることをひどく警戒していた。
私は「右」のアキレス腱は女性と子どものあり方について、だと思うが、その辺、対策はできているのだろうか。
それとも、何も考えていないのだろうか?

勉強不足で、自分にとっては謎なのである。


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