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【雑記】・「『サブカル』って」

前に何度か書いているんだけど、また今回も書こう。
何度も同じことを書いていると、微妙に違ってくるかもしれないし。
「Eテレ」で、宮沢章夫を講師とするニッポン戦後サブカルチャー史というのが始まっているようだ。
すでに二回やっているが、私は録画してまだ観てない。
で、見る前の話。

たまたまなのかもしれないが、私のツイッターのTLでは、この番組、印象があまりよくない。
理由は、謎。
宮沢章夫を嫌いな人だったら、まあ好きになるわけないと思うけど。

ただ、そういったTL上の雰囲気(むろん、私のTLの雰囲気は私がチョイスしたアカウントの人たちという偏りがあるので)とはまったく別に、そのような「反感」をもたれることが、「サブカルも遠くなりにけり」だと思ったし、学生運動サイドのことを若者カルチャー史に入れることの拒絶反応、もすごいな、と思わざるを得なかった。

まず、今さら「オタクVSサブカル」でもないとは思うのだが、宮沢章夫は確かオタク文化はかなり嫌いであり、現在57歳。同時代のオタク文化にそれこそ「対抗」意識があるのかもしれない(あくまでも「戦後サブカルチャー史」を見る前の、私の予想ではあるのだが)。

また、宮沢当人がそう思っていなくても、現在60歳近い人が「サブカルチャー」の講義をすることは、ひとつの意味あいを自然と持ってしまう。
というのは、「オタク陣営からサブカルチャー陣営への、文化の奪還」である。
とくにヴィレバン大嫌い、とらのあな大好き、みたいな趣向の、現在三十代くらいまでの人たちは、眉にツバを付けるかもしれない。

だが、それでもなお「サブカルチャー史」が講義される意義はある、と自分は考えている。
それには以下の問題点があげられる。

まず第一に、オタク史は「学生運動史」を、どうしてもうまく取り入れていない、という印象が私にはあること。
第二に、オタク史はイデオロギーに無頓着であるように感じられること。
第三に、オタク史ではオタク文化をドメスティックなものとあまりにもとらえすぎること。

第一に関しては、1973年あたりであまりにも断絶してしまったために、もはや過去に何が起こったのか、多くの人がわからなくなってしまっている。
なぜそうなったのか。やや筆を滑らせれば、オタク第一、第二世代あたりがよってたかって記憶消去に周り、それより下の世代が何もわからなくなってしまったのである。
いわゆる団塊の世代の、それより上の世代とも下の世代とも違う感覚については説明がむずかしい。
ここでははぶくが、団塊の世代のすぐ下の世代は、よほどのこの世代がうざかったらしい。
というわけでなんだか知らないが大塚英志は(最近は知らないが)何かと「団塊の世代批判」を繰り返していたし、「三無主義」、「無気力世代」と言われた団塊の世代よりすぐ下の世代(名称が長くて書くのがめんどくさいな)は、むしろ「団塊の世代」との比較によって「無気力」と言われてきたらしいフシがある。

だが、「新左翼的」なイデオロギーは、オタク好みのするアニメにも色濃く反映されている。たとえば宮崎駿、高畑勲、押井守といった人たちの作品群である。
それだけでなくても、全共闘世代にありがちな「時代の大きな流れに流されていってしまう『自分』」というモチーフは、ファーストガンダムや「太陽の牙ダグラム」などにも痕跡として残されている(もちろん、これらの作品の関係者が実際の運動に関わったかどうかはまったく別の問題である)。
というわけで、実は学生運動史を組み入れた方が、読み解きやすいものもある、ということだ。
なお、たまたま放送作家の高平哲郎のインタビューを読んでいたら、「学生運動は友達のいない田舎者のすること」とバッサリ切り捨てていた。
話はそれるが、こういう「東京生まれ(あるいは東京育ち)の裕福な家庭のおぼっちゃま文化」という理解の仕方が、オタク側にもサブカル側にも存在する。景山民夫、泉麻人、香山リカ、宮台真司などがそうだ。いわゆる「インテリのひまつぶし」的なところから若者カルチャーに関わってきた人たちで、彼らが地方から出てきて私立大に入るために上京してきた人たちや、最近の「アオイホノオ」で話題のように「関西で虎視眈々と中央のクリエーターを目指そう」と思っていた人と趣向が違うのは理解してもらえるだろう。

閑話休題。第二に関して、話がそれた部分とつながるが、オタクは総じてテーマ性よりも表現方法などの表層的な面の分析に耽溺する傾向、なきにしもあらずである。だから、「サブカルチャー」という切り口で切った方が、見えてくる部分もある。

第三に、オタクは「世界に誇る日本のアニメ、ゲーム」的なとらえ方を、とくに最近「しがち」である。一方、サブカルチャー陣営は、自分たちの心のふるさとは海外にあると思っていることが多い。これは、「音楽」ジャンルが全体的にサブカルチャー寄りであり、それが「洋楽」であるところから来ている。
しかし普通に考えれば、アニメもゲームももともとは海外の技術であり、何よりオタク文化の源流である「活字SF」は欧米の文化である。だから、海外をルーツとした視点で文化を見ることも何がしかのカウンターになるはずなのである。

疲れたので、おわる。

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