無題01
ブログもすっかり流行らなくなったと思う。
ある程度長文の必要な時事ネタ・社会評論系か、
タレントのアメブロみたいな、写メのっけて二、三行テキスト、みたいのとかじゃない? 盛り上がっているのは。
そうでもないのか。
私のブログのテキストの長さが、いわゆる「ブログのテキスト」のジャストサイズでないことはわかってんのよ。
だけど、言いたいことをぜんぶ書こうと思うとどうしても長くなってしまう。
あと、「ちゆ」にいまだに憧れている。
こんなこと思ってたのおれだけかもしれないけど、ネットが盛り上がり始めた90年代末から2000年代初頭、
「自分である程度の長文を手軽に発信できなかった頃」に、「世が世なら……」と思っていたやつは何十万人もいたはずで、その「世が世なら」の「世」が、「テキストサイト」のブームで一気に実現化した。
おれは場が与えられれば、できる子なんだ。
たぶん、日本の何十万人かはそう思っていたはずだ。文芸系のサークルとかで「おまえ文章うまいな」とか言われていたやつで(イラストやマンガは同人誌即売会という、実力をある程度測定できる場が、ネット出現以前からあったから、また別)。
ところが、実際はそうじゃなかった。
「テキストサイト」という新しい「場」を制したのは「ちゆ」であり「侍魂」であり読んでいなかったけど「斬鉄剣」であった。
ところで、「ブログの女王」と言われた真鍋かをりは、個人HPのブームの際、自作のHPをつくっている。
だが、当時の彼女はパッとしなかった。
次にブログの時代になった。ブログ界を制したのは、よくわかんないけどおれ以外の人間たちで、面白いことに自作HP時代にはパッとしなかった真鍋かをりが「女王」と呼ばれるまでになった。
そしてツイッターが流行り始めると、たちまちその筆力だけで万単位のフォロワーを持つ人々が出現。
当然、それはおれではない。
そんなふうに思っていたが、夢枕獏が十数年前、カヌーで旅する野田知佑をうらやみながら、
「彼をうらやましいと思うときもあるけど、彼は彼で自分の中での歯ぎしりをかかえて生きている」(大意)
といった一文があり、それを思い出してもう「ちゆ」に嫉妬するのはやめることにする。
それにしても今でも理解に苦しむのは「ちゆ」の、「ガオレンジャー」に対する毎週のツッコミが異様にウケていたこと。もう10年以上前だが、
ガオレンの前がタイムレンジャー、後がハリケンジャーだということを考えても、当時から戦隊ものは「洗練」の方向に向かっていたことがわかる。
もう、「なんで今さら幼稚園バスを襲うんだ」というような時代じゃなかったのである。
超人バロム1の「ヤゴの子守唄」や、東映スパイダーマンや電人ザボーガーにツッコミを入れるのとは、ガオレンの場合ちょっと意味合いが違うと当時から思っていた。
より正確に言えば、メイン脚本の武上純希がそうしたオールド・スクールな「ツッコミどころ」を抱えた人だったのかもしれないが、それにしても「ガオレン」は、洗練さ、へんてこさ、双方含めてそれほど特筆すべき作品ではなかったように思う。
それが証拠に、「ヘンな特撮」として「ガオレン」を思い出す人は、今はいないんじゃないか?
それなのに、毎度まいど、「どうです、ガオレンってこんな変な作品なんですよ?」とばかりに「ちゆ」で紹介されて、周囲も大喜びだったのがいまだに理解できない。
おっと、軽妙洒脱なエッセイを書こうと思ったら、ただの昔話になってしまった。
さて、工場の壁を背にしながら、朝焼けを観に行くか。
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