【雑記】・「オタク的近況、あるいは単なるじじい話」
個人的に「ここしばらくは、もう必死でマンガやアニメや特撮を追いかけない」ことに決めている。
理由は、疲れるから。
で、最近思うこと。
・その1
「サブカル野郎と違って、どんなときも、どんなときも、好きなものを好きと、言える気持ち、抱きしめていたい、とはっきり言えるのがオタク」と90年代には言われたが、本当にそうかどうかは実は、わからない。
というのは、現在まで「オタク特有の趣向、好きなものに対する傾向」というのが常にあって、逆にそれが、オタクをオタクとして成立せしめている部分があるからだ。
私は個人的に「楽しく過ごしたい」ため、適当に話を合わせるときもある。
ある時期まで、具体的には「ガオガイガー」くらいまで、「そのときに周囲に何となく流行っている作品」があって、それを観ることで話を合わせる、というようなことをしていた。だが、けっきょく、「エヴァ」ほどオタク界を一色に染めてしまう作品というのはもう現れなくなった(ジブリを除く)。
これは、「オタク一般の心を掴む作品をつくることができなくなった」とも、「受け手の好みが多様化した」とも取れるが、詳細な考察はここではしない。
ただし、オタクが特定の作品を題材にして「遊ぶ」--男性向けにしたり百合妄想をしたりBL妄想をしたり、パロディをしたり、という一連の手つきは(多少の変化はあれ)大筋では変わってない。そしてその「一連の手つき」があってこそのオタクであろう。
・その2
繰り返すが私は楽しく過ごしたいのであって、あまりシビアな論争とかは好きではない。
自分でもしない。したらきっと、必ず負ける。
だが、エヴァ論争のときは、「まあ、こういうこともあるだろうな、そういう作品だから」と思っていた。
なぜそのように思えたのかと言えば、それは「エヴァ」という作品にどのような解釈の違いはあれ、その「語り手」のメンタリティや生活基盤には、それほど大きな差はなかったのではないか、という安心感があったからだ。
いや、正確にはそうではないな。
「エヴァ論争」が、おのおのの立場をあぶりだしたのであり、だからこそ、わかりやすい文脈としては「日本のアニメ」とか「ガイナックス作品」というコンテクストをまったく理解しないでカバラがどーのとかポストモダン思想がどーのとか、そっち方面だけで一点突破しようとした評論家が、「それまでのオタク的コンテクストを理解している者たち」から、「おまえはおれらと違う」と言い渡されてしまったりしたのだった。
で、その頃無邪気にも、私は「日本アニメ、あるいはガイナックス」というコンテクストを理解さえしていれば、まずまず楽しくエヴァ鑑賞ができると思っていたわけである。
・その3
ところが、そうではなかった。
世のオタクには、「ウルトラマンは大好きだがウルトラセブンは大嫌い」、「70年代のロボットアニメは好きだがガンダムは大嫌い」、といった、こまごました趣向の持ち主が存在し、存在するのは別にかまわないが、その中には「自分の趣向は当然」と考えていて、あまり説明をしない人がいて、その趣向の理由が自分には理解できない、という人が、少なからずいることがわかった。
いやまあ、いてもいいんだけど理由がわかりにくいのである。
でもまだ、それでもそういう人たちでも、ある時期までは「オタクの共通性」というものを持っていた。
この「オタクの共通性」というのは何かと言えば、簡単に言えば「どう育ち、何に影響を受けてきたか」ということだ。
むずかしいことを考えなくても、画一的な環境に育てば教養のベースは同じになるから、当然、趣向に共通性は出て来る。
ところが、下の世代になってくると、もう完全にわからない。
というのは、世代間ギャップが主な理由で、「オタク的趣向」以前の、共通ベースとなる「教養」や「体験」が変わってしまっているため、さらにややこしい趣向が乗っかると、個人的にはもう理解できなくなってしまうのだ。
また、「電車男ブーム」以前くらいまでは、「オタクは日蔭者」という共通了解が今よりずっと強くあったから、「あいつはああ言ってるけど、同じ穴のむじなだよなー」でなんとなく理解した気になっていた。
しかし、今ではもう、だれがどんなアニメや特撮が好きだろうが、どんな背景を持ってそれを語っているかがよくわからず、なんだかもう何を言ってるのか、私にはよくわからないのである(もちろん、必死で調べれば理解はできてくるのであろうが……)。
以前も書いたが「おたくのビデオ」というアニメは実写パートも含めて、非常に面白い。歴史的価値もある。
だが、これをつくった彼らの誤算は、「後継者が、必ずしも同じ景色を観ているとはかぎらない」ということを予想できなかったことだったのではないか、と思う。
私が書きたいのは「近頃の若いもんは……」という話ではない。
オタク趣味が90年代半ばくらいまで、「超・世代的」趣味だと思われていたのはまったくの幻想であったのだという、ひたすらに寂しい心情なのである。
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