【評論とは】・「時代も変わった」
数ヶ月前、あるポストモダン評論家が、
「もともとサブカル評論というのは、多くの人が知らなかったり評価していなかったものを探してきて評価することに意味があった。
それが2000年代以降の評論家が「メジャーに乗っかった方が注目される」と思ったのか、多くの人が当たり前に知っていることばかり評論し始めた」と文句を言っていたので、驚いた。
そしてその評論家は自分のポリシーとして、「みんなが知っているようなことは、聞かれれば答えていたが自分から発信していたのはエロゲーについてだけ」とも言っていた。
彼が批判の対象にしているのは「あまちゃん」、「AKB」、それと「初音ミク」に関する評論のこと。
しかし言いたいことはわかるが、すでにメジャー/マイナーの線引きが、2000年代から変わってきていることが逆にわかる。
「初音ミクがメジャーかマイナーか」というのは、なかなかむずかしい問題ではないか?
また、その評論家が「メジャーなものは取り上げず、マイナーなものを評価する」というポリシーだったということも、今頃知った。まあ私がおっさんだからですかね。エロゲーも初音ミクも、そんなに変わらないように思うんですよね。
(あくまで印象として)
……にしても、あまちゃんやAKBをいわゆるサブカル系の人が論評しているのには、私も素朴に驚く。「あまちゃん」は1話も見てないし脚本はクドカンだから、私の知らない解説すべき何かがあるのかもしれないとも思うが、AKBに関しては「宣伝マン」としての役割を自認している小林よしのりや中森明夫以外、言説として必要なものなのか、少々疑問ではある。
……というか、少なくともアプローチとしてAKBのアーキテクチャを問題にする、というのはかなり首をかしげざるを得ない。
AKBがやっていることは、私から見たら「芸能界」のミクロコスモスをつくろうとしているにすぎず、また、「アーキテクチャのしっかりした娯楽」としては、たとえばプロ野球など、既存のもので容易に思いつくものがあるからだ。
なお、ポストモダン系とは無関係だが、「半沢直樹」を金融などの観点からクソマジメに解説している人がいて、あきれてしまった。
いや解説するのはいいが、エンタメ作品に「こんなことはありえない」などの批判は無意味だろう。
実は「サラリーマンもの」は、「こんなこと現実に起こらない」、「現場は違う」などと言った、にわか評論家が百出するジャンルである。
なぜなら、サラリーマンの人数が、単純に多いからだ。
なお、「テレビは終わった」なんてネットではさんざん語られているが、今年の話題が「あまちゃん」、「半沢直樹」と、二つもテレビドラマが入っていることはどう説明するのか。
実は、まだまだテレビの影響力はすごいのである。
というわけで、この項終わり。
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