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・「男樹 四代目」全4巻 本宮ひろ志(1999~2000、集英社)(ネタバレあり)

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「男樹」シリーズの三作目。確か前作・「新・男樹―京太郎編」のラストで、父・京介をヤクザの世界から引退させ、みずからもその世界から遠ざかったかのように見えた京太郎。
だが、なぜか東日本の暴力団全体を裏で統べる男となって蘇っている。年齢は三十代半ば。
父・京介は海での不慮の事故で死んでしまい、村田の血統である京太郎の子どもは女の子(京子)であるため、彼の野望をもうだれも止めることができない。

前回のラストで、「なぜ父である京介は家庭をとらず、極道の道を選んだのか」と悲しみを吐露した京太郎。いや、確かに「新・男樹―京太郎編」としてはそれでまとまったとは思うが、やはり本宮ひろ志の意志としては、

「権力を握ることができる者は、他人には理解できない不気味な存在になっていく」

ということが描きたかったのではないだろうか。
それはこの続編で、三十五歳となった京太郎がますます不気味な、何を考えているかわからない存在になっていることからも予想できる。

京太郎はただのやくざではない。一流の経済学者から経済学を学び、同時期にロシアン・マフィアに資金を貸して借りをつくる。そして実質的にはほとんどの企業をマフィアが支配しているロシアに対し、その見返りとして「北方領土を返せ」と要求する。
京太郎は北方領土を手土産に、日本政府に影響を及ぼそうとする。
それと手元に本がないので細かいところは忘れたが、日本の銀行を統一してその管理をアメリカに移譲、自分がそのメガバンクのオーナーにもなろうとする。
(このためには極道の看板が邪魔になるので、実質的な「組長」は腹心の部下に任せてある)

つまり京太郎のやろうとしていることは、「世界征服」とも言えるものである。
さまざまな大銀行合併によるメガバンク設立には、バブル後の不況下の日本がダメにならないように、という大義名分があるようだが、それ以外のことに関しては京太郎が「人のために」、「日本のために」と動いているようには見えない。
人の考えもしないことを考え、それを着実に実行して行く非情な行動力だけが、作品の中で目立つ。

だが物語のラスト近く、何もかもが達成できそうに思われた矢先、京太郎は娘の京子(自分と父の関係と同じく、一緒に暮らしたことはない)を人質に取られ、船によるロシアへの逃亡を断念してわざわざ帰ってくる。
これが京太郎が見せた「情」の部分のもっとも大きいところで、京子が助け出された後、京太郎は自らの命を絶つ。

この「男樹」というシリーズでは、親子何代にもわたって「勝手に惚れてくれて、勝手にみごもってくれて、自分の知らないところで子育てまでしてくれる妻」が登場する。
ご都合主義的すぎるし、2000年代にも入ってその描き方はどうなんだという気もするが、「本当に不気味な、一流の権力者」ならば、妻子をも平気で捨てるだろうし、またそんな妻子とも「うまくやっていく能力」があるのではないか。
しかし、そう描いてしまっては本物の怪物、妖怪であってもはや読者の感情移入は不可能であろう。

つまり「一度は見捨てた家庭に対する情」が、「読者への感情移入」として最後まで残されているのが、「村田京太郎」という人物を描くときの「安全弁」のようなものになっているのだと思う。

なお、今まで書いてきたことは私の妄想ではない証拠として、京太郎の娘・京子は、「男一匹ガキ大将」的な、人間味あふれる元ヤクザ、祖父の村田京介に育てられており、京介には感情移入できるが、京太郎には父であるにも関わらず、今ひとつ愛情が持てない、といった描写がきちんとあるのであった(もちろん、そのわだかまりは「おとしどころ」として、物語のラストには氷解していくわけだが)。

つまり、本宮ひろ志は、彼の影響下にあるマンガ家のほとんどが「地元のガキ大将」がそのまま大人になったような人物を好んで描くのに対し(それはそれで悪くない)、「権力を持った人物の個と公」について、かなり真摯に考えた作家だと言えると思う。

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