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【無題】・「どこかでだれかが嗤ってる、または金を払って他人をうっとりさせるつもりはない、の巻」

「一ヶ月無料」だったかな、ある文筆業でも定評のあるミュージシャンのメルマガをとってみた。
で、一週間くらいでやめた。

私がその人のメルマガを購読しようと思ったのには理由がある。ライターでもオタク系の人、思想系の人、ジャーナリスト気質の人と、それぞれ手クセもあるし考えのクセもある。そこで昔から習慣的に、自分の親しんでいるテイストとは違うジャンルの人のテキストを読むことにしているのだ。

そのミュージシャンは、オタク的なダサさとは無縁のところにある人なので、以前は私の中のバランスとしてブログを購読していたが、それをやめてしまったのでまあメルマガでも読んでみようと思ったのだ。

でも、なんだかダメだった。こちらの意識として、「カネを払っている」と思うと自分の意識以上にクォリティを要求しているらしい。ブログだったら「しょーがねーなーこの人も」と思えることが、そうは思えなくなってしまう。

「これはとても購読できない」と思ったのは、数日前に送信されてきたメルマガの中で、
「国はインターネットというおもちゃで国民を何ら疑問を持たない存在として骨抜きにした。ネットでいかに国家を叩こうが、国は変わらない」
「しかし、かといって国家にはたらきかける政治運動で、国が動いたためしはない。動いたとしても、コスパが悪すぎる」
「だが、人々が日常を楽しむことを覚えれば、状況は変わる」

……とかなんとか書いていたからだ。まあ私は怒りのあまりメルマガを消去してしまったので詳細は忘れましたが、そんなクソエントリでした。

メルマガ内では、それまでも「大衆がネットで発言するようになってから、オピニオンリーダーの発言力が下落した」というようなことをチクチクチクチク書いており、また坂本龍一の、私から見ても「無邪気すぎる」市民運動というか社会運動に対する嘲笑などが書かれていた。

まあ、私の世代(1967年生まれ)からしても坂本龍一だとか(本稿とは直接関係はないが、いとうせいこうとか)の、それ以前の閉塞感を知っているくせに奇妙に楽観的な社会運動に対するアプローチ、には確かに理解しがたいものがある。

で、少なくない人々が、そういうところに背を向けて「自分たちの世界」を形成してその中であそぶ。
当のメルマガ発行人が再三再四批判する「SNS」はその一つの完成形ではある。
よくも悪くも。

2010年以降、少しはまともにものを考えている人だったら、こうした「閉じた電脳空間」とでも行ったものからどのように脱却すべきか、いやそもそも脱却すべきなのか、ということは必ず思索のテーマになっているはずだ。
その答えは人によってさまざまだが、「貧乏でも、一人ぼっちでも、日常を楽しめれば何とかなる」というのは、いったいどこのクソ社会学者から持ってきた思考なのだろう?
何とかなるわけ、ないではないか。

より正確に言えば、「日常を楽しんで生きる」ことと、現状、人々が不安に思っている社会問題とは、まったく次元の違う話である。
えーおれこんなのに金払ってんだ、と思ったら、速攻で購読中止のボタンをクリックしていた。

彼の発言を、もう少し丹念に追って行けばもう少しまともな主張をしているのかもしれないが、それを追っかけるほどこちらはヒマではないし、何よりそういう連載マンガの途中みたいなテキストが許されるのは過去ログをタダであされる(検索機能もある)ブログだけではないか? と思った。

おわり。


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