【アニメ映画】・「キャプテンハーロック」
監督 荒牧伸志
脚本 福井晴敏、竹内清人
遠い未来、銀河に散らばった人類は、衰退の道を歩んでいた。
老いて生まれた地に行きたいのか、故郷である地球に戻りたがる人類。だが、その数は5000億にまで膨れ上がり、すべての人間が地球に戻ることはできない。
人類間の帰還をめぐる戦争(カム・ホーム戦争)の末、地球は「ガイア・サンクション」の成立によって人類が立ち入ってはならぬ聖域となった。
だがその平和に反旗を翻す、伝説の宇宙海賊がいた。その名はキャプテンハーロック。
青年ヤマは、ハーロックのアルカディア号にスパイとして潜入するのだが……という話である。
以下は、少々ネタバレあり。
・その1 「原罪を持つハーロック」と「孤独な人類」
プロットとして最も重要な点のひとつは、ハーロック自身が地球に対してある「罪」を持ち、贖罪のために戦っている、という点にあるだろう。
……ちっとも「自由」じゃない。アルカディア号は「自由の艦」じゃなかったの?
それともうひとつ重要なのは、本作で描かれる「人類」が、遭遇できる宇宙人、異星人もいない、まったくの孤独な存在であることが強調されている点である。
「悩めるヒーロー」、「戦うべき明確な敵がいない状況」というのは、冷戦崩壊後のヒーローものではよくある設定で、そのこと自体は別に問題ではない。
(はっきり言うが、そのこと自体を忌避する人は、「現在」の作品を論評しなくていい。)
だが、問題はその料理の仕方である。
ハリウッド映画ではほとんどの場合、とくに911以降は「倒すべき敵」はアメリカ内部にいることになっている。
「ウォッチメン」(原作は911以前)、「アイアンマン」、「アベンジャーズ」、「ホワイトハウス・ダウン」などみんなそういう話である。
「内部に敵がいる」のは911の影響だけでなく、伝統的なものもあるらしい。アメリカの右翼は主に地元密着型で、それを統治する中央政府には、常に反発する傾向があるようだ。
「ロズウェル事件」などの一見バカバカしい「噂」が現在でもネタとして機能しているのは、そういった「政府に対する不信感」を反映したものであろう。
だから、本作において最終的な「戦うべき敵」が、人類の一部のお偉いさん、だというのはまあだれもが考え付くものの、まっとうな展開ではある、ととりあえず言っておく(SF的な設定はメチャクチャだったが……)。
・その2 「何に対して」の自由か
では「悩めるハーロック」はどうだろうか。
私は、ここにまったく納得がいかない。まあもともと、ハーロックというキャラクターは内面を描くのがむずかしい、完全無欠のキャラである。だからこそ、一般的な印象としては「突然現れて、主人公に加勢してくれるゲリラ的な存在」として描かれることが多く、「ハーロック」のパロディでも、そのような登場の仕方が多い(「ウルトラマンダイナ」第42話に出て来るキャプテン・ムナカタ、「黄金戦士ゴルドラン」中盤以降に出て来るイーター・イーザックなど)。
たとえばスパイダーマンは、「おじさんが殺されることに間接的に加担してしまった」という「原罪」がある。だが、それは未来に向かってつぐなうべき問題であり、あくまでもピーター・パーカーの内面の問題である。
犯した罪の結果が、現在でも継続しているとなるとまったく事情は違ってくるわけで、それは「悩める人間」を描くことにはなっても、「ヒーロー」を描くことにはならないのだ。
なぜこんなことになってしまったかというと、「敵の不在」という現代的なテーマが、また浮上してきてしまう。
ハーロックとは、自由の艦、アルカディア号に乗っている自由人である。
では、何に対しての自由なのか。
アニメ版「キャプテンハーロック」においては、まず堕落した人類に迎合しない、という自由がある(次に「マゾーン」に屈しないという「自由」)。
アニメ「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」ではもっと明確で、侵略宇宙人「イルミダス」に対する「自由」である。
要するに、ハーロックとは「永遠の反体制人」であり、抑圧に対して相対的な「自由」を獲得しているのである。
だから、ハーロックがハーロックであるには、その対象となる「自由を抑圧する存在」、「自由をはき違えた存在」が必要なのだ。しかし本作の敵である「ガイア・サンクション」は、「とりあえずの平和」を保とうとする団体で、映画を見ていてもだれをどのように抑圧しているかがよくわからないのである。
これはもう完全に設定の失敗だと思う。
もっと寓話的に、極端に、「不可侵である地球には実は一部の富裕層が住んでいて……」くらいのわかりやすい設定にすればよかったのだ。
・その3 話は戻るがSF的背景について
これはハッキリ言って、もうメチャクチャである。
現在、82~83年に放送された「わが青春のアルカディア 無限軌道SSX」を見ているが、「ガンダム」を通過した当時でも、「これはちょっとどうかな」という設定の連続である。
たとえば、複数で攻めて来る敵戦艦のビーム砲みたいなものは、アルカディア号に当たってもほとんどかすり傷くらいしか負わせられないのに、アルカディア号の主砲はとんでもない威力がある。
巨大な戦艦の修理は、トチロー一人が行っている。
そもそも、乗組員は5、6人しかいない。
だが、観ていていちじるしい疑問は湧いてこない。
それは松本ワールドが「そういうもの」だからである。
松本ワールドでは、男は背後から敵を撃ってはならないし、友を侮辱されたら命がけで戦わなければならない。
「男らしい」敵にはあくまでも武士道的な敬意を表し、そうではない敵は容赦なく撃ち殺す。
そのような「松本ワールド」込みでの「松本SF世界」だったのだ。
本作にはその「松本らしさ」から離れたことを補う要素が、まったくない。
「宇宙戦艦ヤマト2199」が、当時の設定を活かしてなんとかつじつまを合わせようと四苦八苦しているのを観ると、「あまりに安易じゃないの?」と言わざるを得ない。
・その4 「カリ城」になりえなかった本作
本作が、「たった一度だけ、ハーロックの原罪を描いた物語」として成功しているかというと、まあまったくしていないわけで、しかし成功の芽だってあったかもしれないのだ。そこを全否定はしない。
それは、「ルパン三世 カリオストロの城」という成功例があるからである。
「カリ城」は、アニメ「ルパン三世」第一シーズンでのOPのシーンが出て来るので、最初の「ルパン三世」と世界観はつながっていると言っていいだろう。
そして、「最初のルパン」より以前の自分を、カリ城のルパンは「俺は一人で売り出そうと躍起になっている青二才だった バカやって……いきがった挙げ句の果てに 俺はゴート札に手を出した」と述懐している。
いわば、「カリ城」は、クラリスに助けられたことのあるルパンが、その泥棒人生で一度だけやった善行、ととらえることができる。
「カリ城」のルパンがあれほど原作とも、他のテレビシリーズとも違う善人なのに、かろうじて「ぜんぜん違う作品」になっていないのは、「まあ、あんなやつでも一度くらいは善行を行っているだろう」と思わせる要素があるからである。
対するに、本作のハーロックは「まあ、ハーロックだって悩みはあるだろう。罪は犯すだろう」とどうしても思えないところに問題がある。
また、最後に「孤独な、空虚な宇宙に、それでもなお進んでゆく」ハーロックが、「どうしてそうするのか」もまるっきり納得がいかないのにも問題がある。
そもそも、宇宙人とまったく遭遇の可能性のない世界で、ハーロックの存在は意味があるのだろうか。
そして、まったく宇宙人などいない設定にするならまだしも、ミーメは出て来るんだよね。
何かこう、まったく晴々としないんですよ。観ていて。
そんな映画です。
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